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第1章 転生

第3話 出会いのシーンを見届けたい!

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 『玲玉記』の中で私が一番心を打たれたのは、冤罪えんざいで殺される皇帝と皇后の悲恋エピソードだ。


 ――青龍国せいりゅうこく第十四代皇帝、青永翔せいえいしょう

 生みの母である楊淑妃ようしゅくひを幼い頃に病で亡くし、後ろ盾が無くなった永翔は、皇后となった夏玲玉かれいぎょくから命を狙われる。
 自分の毒見役が目の前で次々と毒に侵されて死んでいく。
 それを見た永翔は心を痛め、次第に自分の食事の毒見を拒否するようになる。

 毒見役がいなくなった永翔は、度々食事に盛られる毒を服して生死の境を彷徨さまようものの、何とか生き永らえている。

 そんな永翔を支えたのが、鄭玉蘭ていぎょくらんだ。

 大切な人を失うことが怖い永翔は、妃となった玉蘭ともなかなか打ち解けられない。しかし玉蘭の一途な愛は徐々に永翔の心を溶かし、二人は心を通じ合わせるようになる。
 愛する人と共にありたいと願う永翔は、玉蘭のおかげで生きようという意欲を取り戻すのだ。

 そんな愛し合う二人の仲を引き裂いてしまうのが、皇太后となった夏玲玉かれいぎょく
 彼女は自らが帝位に就くために、あろうことか二人を殺してしまう。

(……そんなの耐えられない! いくら小説の主人公だからって、皇帝を殺しちゃ駄目だわ)

 小説の中の架空の話なら仕方がない。でも今の私は、確かに『玲玉記』の世界の中で生きている。女帝になりたい皇太后には申し訳ないが、やはりどう考えても皇帝の命を奪うのは許せない。
 せっかくこの世界に転生したからには、大好きな二人の恋を応援したいと思うのが当然だ。もしかしたら私は、皇帝と皇后の恋を応援するためにこの世界に転生したのではないかとさえ思えてくる。

 二人の悲劇を思い出して涙ぐむ私を見て、子琴が恐る恐る話しかけてきた。


「あのぉ……お嬢様。頭大丈夫ですか? 号泣してますけど」
「子琴、聞き方が良くない。せめて、頭の怪我の具合は大丈夫ですか?って聞いてくれる? そして、勝手に思い出し泣きしているだけだから大丈夫よ。とりあえずお祭りと言えば屋台よね。何かツマミを買って行こう」
「ツマミ?」
「あ、変な言葉使ってごめん。お饅頭でも買いましょうか」
「お嬢様! 私が買っていきます。あそこの橋の上でお待ちいただけますか?」


 子琴が指さす方向を見ると、青龍川せいりゅうがわの支流にかかる小さな橋が見えた。

 ちょうどいい。
 確かあの小さな橋のたもとあたりで、鄭玉蘭が天燈ランタンを飛ばすのを皇帝が見初みそめるはずだ。
 第三者としてそのシーンを見学するには少々近すぎる気もするのだが、これだけ人出が多ければ目立たないだろう。


「ありがとう、子琴。あの小さな橋の上で待ってるね」


 子琴に御礼を言うと、私はいそいそと橋の上に向かった。

 あたりはすっかり日も落ちて、川沿いに点々と並んだ屋台の提灯だけが辺りを照らしている。
 橋の上までくると、私は橋の下を覗き込む。

 橋から水面までは人の背丈の半分程度だ。
 川底の石も水面からいくつも顔をのぞかせているので、大した深さではなさそうだ。

(万が一ここから落ちても大丈夫そうね)

 玉蘭ぎょくらんと皇帝はまだかと、私は更に身を乗り出して橋の袂を覗き込んだ。その時、橋についていた手がずるっと滑り、突然体のバランスを失ってしまった。

(――きゃあっ! 落ちる!)

 川に落ちかけて思わず宙に手を伸ばすと、偶然近くを通りかかった男から手を掴まれ、思い切り橋の方に引き戻される。
 橋の上に尻もちをついた私の目の前で、まるでスローモーションのように、助けてくれた男が代わりに川に落ちていくのが見えた。

 大きな水音と、体が川底にぶつかる鈍い音が辺りに響く。

(……やってしまった)

 見ず知らずの人に助けてもらった上に、自分の身代わりに川に落としてしまうなんて。私は橋の下を覗き込み、男の姿を探した。


「ごめんなさい! 私のせいで……。大丈夫ですか?」
「……大丈夫です。そちらは? 怪我はありませんか?」
「おかげさまで私は何も。あ、手を貸しますので上がってこれますか?」


 川の中にいる男に向かって手を伸ばすと、暗闇からぬっと伸びて来た男の手が私のの手を掴んだ。初春の水の冷たさとは逆に、男の手は大きくて温かい。
 そのままもう一方の手を橋に掛けて橋の上にすいっと登ってきた相手の顔を、遠くの屋台の提灯の灯りが照らす。

 身に着けている衣は、飾り気のない単純な意匠いしょうだ。
 しかし、深い藍色の生地は見るからに上等なもの。
 身分の高そうな相手だと一目で悟り、私は男に掴まれた手を思わず引っ込めてしまった。

 しかし男は焦ったような表情で、まるで私の手を逃すまいと手に力を込める。


「っ、君は……!」
「はい? なんでしょう……? あ、寒いですよね。あまり役に立たないかもしれないけど、この手巾しゅきんで良ければ使ってください」


 巾着きんちゃくから取り出した手巾を差し出してみるものの、男はそれには目もくれない。


「名は? 名は何と言う……?」
「な、名前ですか?」
「年はいくつだ、年は! どこの者だ?」


 切羽詰まった形相ぎょうそうたたみかけるように尋ねてこられたが、私にとっては何の見覚えもない知らない男だ。馴れ馴れしく話しかけられる覚えは全くない。
 驚いて口をパクパクさせていると、男の手には更に力が入る。

(痛いっ! この人もしかして、出会い頭に私を口説こうとしてる? まさか『玲玉記』の世界にもそんな男がいるなんて思わなかった)

 私は男の不意をついてガッチリと掴まれた手を返し、相手がひるんだところで再度体を押して川に突き落とした。一瞬の出来事に男、はなす術もなく川に落ちる。

 無情にも、再び大きな水音が祭り会場に響き渡った。


「ごめんなさい! 私、そういうのは結構ですので! さよなら!」

(もう……! もうもう! 何なのよ!)

 せっかく空に浮かぶ美しい天燈ランタンの灯りの下で、皇帝と玉蘭が出会う印象的なシーンを見学しようと思っていたのに。私は全速力でその場を立ち去った。

 橋の上には、何の騒ぎかと人が集まり始めている。
 皆が見下ろす川の中には、ほんの短い間に二度も冷たい川に落とされた男。
 彼は頭から足の先までずぶ濡れのまま、いつまでも川の中に呆然と座り込んでいた。
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