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第6章 記憶
第55話 玄龍の愚行② ※永翔視点
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「皇太后陛下、皇帝陛下。これは後宮太医の診療を記録したものです。十五年前に太医を務めていた許陽秀様の印も押されています」
明凛は診察記録を両手で持って高く掲げ、皇太后にそれを向ける。
そして周りにいる官僚たちにも順番に見せて回り、もう一度私たちの前に立った。
「曹妃、その診療記録に何が書いてある?」
「はい。皇帝陛下の立太子の儀が執り行われた日に許太医が楊淑妃様の病の様子を診察した時のことが書かれています。立太子の儀は十五年前の春、三月一日の夜です。診察の記録はそれと同じ三月一日の早朝に行われています」
官僚たちがざわざわと騒ぎ始める。
何度も朝議で検討されたにも関わらず、許太医がその日、皇太后以外の妃も診察していた記録は今まで出て来なかったのだ。
これは新事実が判明してもおかしくないぞと、聴衆は息を飲む。
「楊淑妃様は、右半身が麻痺して動かなかったとの記載がございます。立太子の儀では、楊淑妃様も皇太后様も青龍に捧げる天燈を左手に持っていらっしゃったはず。右手が麻痺して使えない楊淑妃様は、唯一使える左手も天燈で埋まっていますから、皇太后様を階段から突き落とすようなことはできないのです!」
立ち上がって聞いていた皇太后は、近くの男から先ほどの扇を乱暴に取り上げると、そのまま静かに椅子に着く。
場がしんと静まり返る中、椅子が軋む音がギイと鳴った。
「いかがでしょう、皇太后陛下。この印を調べて頂ければ、許太医のもので間違いないことが確認できるはずです。十五年も前のことですから、皇太后様のご記憶も曖昧でいらっしゃいましょう。ここはこの記録に基づき、楊淑妃様は無実として頂くのが良いと思います!」
青龍国の官僚たちは、蔡雨月の側に集まってごそごそと何やら相談を始めている。一方の玄龍国の者たちは、次の皇太后の反応を伺っているようだ。
しかし、皇太后は椅子に座ったままピクリとも動こうとしない。
気まずい静寂を破って声を上げたのは、蔡雨月だった。
「皇太后陛下。その書面の印が本物なのかどうかはすぐに調べられます。この印が偽物でない限り、私も楊淑妃様の除名の話は取り消すべきだと考えます」
重鎮の意見表明に、青龍国の者たちも後に続く。
除名に反対する者たちが蔡雨月の後ろに並び、次々と除名反対の旨を表明していく。
それを見た皇太后は、やっとのことで口を開いた。
「曹妃。その書面は一体どこで見つけたのですか?」
「皇太后陛下、それは……」
「どこでそんなものを見つけたのかと聞いているのです。許太医の書いたものなのだから、尚食局で保管されていて然るべきでしょう。お前が持っているのはおかしいわ」
明凛に扇の先を向け、皇太后は明凛に答えを促した。
「どこで見つけたものであろうと、許太医の印をお調べ頂ければ本物であることは確認が取れるはずです」
「私の質問に答えなさい。それはどこで見つけたと言うの?」
ひるむ明凛に、皇太后は苛立ちを隠せず扇を投げつける。
「明凛!」
思わず私が扇をぶつけられた明凛のいる場所まで降りようとした、その時。
崩れた入口の扉近くにいた人影が、「お待ちください!」と大きく声を上げる。
(あれは誰だ? もしかして……蔡妃?)
瓦礫の間を縫ってこつこつと靴を鳴らしながら、蔡妃は皇太后の前に進み出る。
「皇太后様に申し上げます。曹妃が持っている診察記録は、曹妃が清翠殿に入って見つけたものです」
「蔡妃様!」
蔡妃の言葉を遮るように、明凛が彼女の名前を呼ぶ。
診察記録が清翠殿にあったことを公にすれば、陶妃と許太医がただならぬ関係であったことが明るみに出るだろう。それを避けるために、明凛は診察記録を見つけた場所の明言を避けたのだ。
明凛の弱みに付け込んだはずの皇太后は、自らに不都合な事実をあっさり告白してしまった蔡妃の行動に狼狽える。
(明凛を追い詰めようと思っていたようだが、残念だったな。皇太后)
「清翠殿には前の皇帝陛下の妃、陶妃様がお住まいでした。許太医は陶妃様を信頼し、その診察記録をお預けになったのです。楊淑妃様が無実であることを証明する記録を、隠さなければならない必要があったのです。なぜだかお分かりでしょうか」
蔡妃はその細い目で、皇太后をまっすぐに見た。
自らの出生の秘密を公にされても構わないとばかりに捨て身でやってきた蔡妃と、前の皇帝の子を身籠ったと嘘をついたことを知られたくない皇太后。
軍配は蔡妃に上がったようで、皇太后は蔡妃から視線を逸らした。
「……分かりました。そこまで言うなら、楊淑妃の皇統除名については延期しましょう。ただし、許太医の記録は私が調べますからお渡しなさい」
明凛は診察記録を両手で持って高く掲げ、皇太后にそれを向ける。
そして周りにいる官僚たちにも順番に見せて回り、もう一度私たちの前に立った。
「曹妃、その診療記録に何が書いてある?」
「はい。皇帝陛下の立太子の儀が執り行われた日に許太医が楊淑妃様の病の様子を診察した時のことが書かれています。立太子の儀は十五年前の春、三月一日の夜です。診察の記録はそれと同じ三月一日の早朝に行われています」
官僚たちがざわざわと騒ぎ始める。
何度も朝議で検討されたにも関わらず、許太医がその日、皇太后以外の妃も診察していた記録は今まで出て来なかったのだ。
これは新事実が判明してもおかしくないぞと、聴衆は息を飲む。
「楊淑妃様は、右半身が麻痺して動かなかったとの記載がございます。立太子の儀では、楊淑妃様も皇太后様も青龍に捧げる天燈を左手に持っていらっしゃったはず。右手が麻痺して使えない楊淑妃様は、唯一使える左手も天燈で埋まっていますから、皇太后様を階段から突き落とすようなことはできないのです!」
立ち上がって聞いていた皇太后は、近くの男から先ほどの扇を乱暴に取り上げると、そのまま静かに椅子に着く。
場がしんと静まり返る中、椅子が軋む音がギイと鳴った。
「いかがでしょう、皇太后陛下。この印を調べて頂ければ、許太医のもので間違いないことが確認できるはずです。十五年も前のことですから、皇太后様のご記憶も曖昧でいらっしゃいましょう。ここはこの記録に基づき、楊淑妃様は無実として頂くのが良いと思います!」
青龍国の官僚たちは、蔡雨月の側に集まってごそごそと何やら相談を始めている。一方の玄龍国の者たちは、次の皇太后の反応を伺っているようだ。
しかし、皇太后は椅子に座ったままピクリとも動こうとしない。
気まずい静寂を破って声を上げたのは、蔡雨月だった。
「皇太后陛下。その書面の印が本物なのかどうかはすぐに調べられます。この印が偽物でない限り、私も楊淑妃様の除名の話は取り消すべきだと考えます」
重鎮の意見表明に、青龍国の者たちも後に続く。
除名に反対する者たちが蔡雨月の後ろに並び、次々と除名反対の旨を表明していく。
それを見た皇太后は、やっとのことで口を開いた。
「曹妃。その書面は一体どこで見つけたのですか?」
「皇太后陛下、それは……」
「どこでそんなものを見つけたのかと聞いているのです。許太医の書いたものなのだから、尚食局で保管されていて然るべきでしょう。お前が持っているのはおかしいわ」
明凛に扇の先を向け、皇太后は明凛に答えを促した。
「どこで見つけたものであろうと、許太医の印をお調べ頂ければ本物であることは確認が取れるはずです」
「私の質問に答えなさい。それはどこで見つけたと言うの?」
ひるむ明凛に、皇太后は苛立ちを隠せず扇を投げつける。
「明凛!」
思わず私が扇をぶつけられた明凛のいる場所まで降りようとした、その時。
崩れた入口の扉近くにいた人影が、「お待ちください!」と大きく声を上げる。
(あれは誰だ? もしかして……蔡妃?)
瓦礫の間を縫ってこつこつと靴を鳴らしながら、蔡妃は皇太后の前に進み出る。
「皇太后様に申し上げます。曹妃が持っている診察記録は、曹妃が清翠殿に入って見つけたものです」
「蔡妃様!」
蔡妃の言葉を遮るように、明凛が彼女の名前を呼ぶ。
診察記録が清翠殿にあったことを公にすれば、陶妃と許太医がただならぬ関係であったことが明るみに出るだろう。それを避けるために、明凛は診察記録を見つけた場所の明言を避けたのだ。
明凛の弱みに付け込んだはずの皇太后は、自らに不都合な事実をあっさり告白してしまった蔡妃の行動に狼狽える。
(明凛を追い詰めようと思っていたようだが、残念だったな。皇太后)
「清翠殿には前の皇帝陛下の妃、陶妃様がお住まいでした。許太医は陶妃様を信頼し、その診察記録をお預けになったのです。楊淑妃様が無実であることを証明する記録を、隠さなければならない必要があったのです。なぜだかお分かりでしょうか」
蔡妃はその細い目で、皇太后をまっすぐに見た。
自らの出生の秘密を公にされても構わないとばかりに捨て身でやってきた蔡妃と、前の皇帝の子を身籠ったと嘘をついたことを知られたくない皇太后。
軍配は蔡妃に上がったようで、皇太后は蔡妃から視線を逸らした。
「……分かりました。そこまで言うなら、楊淑妃の皇統除名については延期しましょう。ただし、許太医の記録は私が調べますからお渡しなさい」
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