偽りオメガの虚構世界

黄金 

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68 楓の本心は?

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 植物園に行く鳳蝶達と歓待を受ける仁彩達と分かれた後、楓と史人は別の場所へと案内された。
 広大な敷地内の大きな建物の奥深く。
 分厚いカーペットや木目の壁、天井にはシャンデリアが並ぶ廊下を二人は歩いていた。

「どこの王宮?」

「俺に聞かれてもねー。」

 楓と史人はコソコソと話し合う。
 表向きは薬学研究所となっていたが、二人が向かうのはこの施設で最も警備が厳しく、最も豪奢な一角だ。

 案内人が立ち止まるそこは、広い廊下の行き止まりだった。
 音もなくドアがスライドし開く。
 更に奥へと案内されて、着いた所に雲井皓月と識の二人が待っていた。
 ソファで寛ぎゆったりとしている。

「識さん!」

 いつにない史人の喜色を含んだ声に、楓は珍しいなと観察した。
 史人は識の下へと急いで行ってしまった。たった二日から三日会わなかっただけだろうに、嬉しそうだ。

「史君、久しぶりだね。」

「はい、ちゃんとご飯食べてますか?皓月さん、おはようございます。今日はお二人で申し訳ありません。」

 呼び出したのは史人だった。
 楓の依頼内容、ウィルスに入っている楓のサブ垢を取り出したい、という依頼を皓月に伝えていた。
 識の了解は取ろうとも、責任者は雲井皓月だ。識の身元保証人も史人の雇い主も皓月になる。

 久我見湊が作ろうとしている人工知能が、もし本当にフリフィアの八尋を超える人工知能であった場合、それはフィブシステムを脅かすものになる可能性が出てくる。
 
「勝手に識達を使おうとされるのは困るな。」

 皓月の非難めいた言葉に、楓は素知らぬふりをした。

「やっぱりダメかぁ~。契約いる?」

「当たり前だ。」

 識を巻き込むなら史人や仁彩をツテに使わねばならず、そうなると皓月が出てくるかなとは思っていたが、やっぱりそうなるかと楓は諦めた。

 じゃー今までの概要を説明するねと、湊が三年前にウィルスを持ち込んだ辺りから説明をする。

「では君は囮として使った自分のサブ垢の核となるデータを回収し、そのままウィルスごと消滅を計りたいという事で良いんだな?」

「はーい、そーです!皓月さん側からしてもそのウィルスは消さなきゃでしょ?今んところはカスデータ消してくれるやつだけど、そのうち稼働してるユーザーアカウント食べられたら困るでしょ?」

 ね?ね?とキュルンと訴える楓に、皓月はため息を吐いた。

「確かにそうだが、それはフリフィア側の過失だろう?」

 協力する為の契約書が楓のスクリーンに送られる。その内容に楓がウゲッと声を上げた。
 
「えー?高くない?ここの利権はちょっとぉ。」

「じゃあ、これに。」

 二人が話し出したので、識と史人は少し離れたテーブルで待つ事にした。
 
「あの子凄いね。仁彩と同い年だよねぇ。」

「俺も同じですけど?」

 あ、そうだったと識は驚く。
 こういうところが仁彩と同じだなと思うのだが、識は誰にも成し得ない事をやる事が出来る。
 それがこの人の、人権も尊厳も全て無視して手に入ったものだとしても、別の人間に同じ事をやっても簡単に手に入るものではない。
 この人の穏やかな性格があるからこそ、きっと狂う事なく生きているのだ。
 世の中を、全ての人間を恨み、その頭脳を使って復讐することも出来るのに、ただ静かに生きる事は簡単な事ではない。

 そっと穏やかにこの人と一緒にいたい。

 史人は今模索中だ。
 この人は逃げようと思ったら簡単に史人から逃げられる。識の能力を使っても、皓月に頼むにしても、史人は敵わない。
 だから識から一緒にいて欲しいと思ってもらわないとならない。

 半分しか生きていない自分には難しい事だ。若さと体力くらいしか勝てないのではないだろうか。

「ウィルスの下に行くなら、俺も一緒に行って良いですか?」

 なるべく一緒にいたい。
 史人の真剣な表情に、識は困った顔をした。

「危ないよ?もし君に何かあったら……。」

「俺に何かある時の損害より、貴方を失うことの方が重大です。」

「念の為に史人にも入ってもらおう。」

 契約内容に決着がついたのか、皓月と楓が近付いてきた。

「はい、勿論です。」

 笑顔で了承する史人に、識が何か言いたそうな顔をする。

「すみません、よろしくお願いします。決行はウィルスがこのバグに来た時です。」

 楓がスクリーンに表示された地図を指差す。チェックが入った場所は『another  stairs』内の鳳蝶の喫茶店がある町から程近い場所。
 
「行動パターンから進む位置に人為的にバグを発生させる。ウィルスが入ったら出れないように罠を張っておく。バグに捕まえたら楓がデータを取りに中へ入る。バクは今イベントをやっている《天使の叛乱》に合わせよう。最終決戦日に稼働率が上がるだろうから、その日にバグを作りやすい。」

 皓月の説明に、皆頷く。
 結構日は十二月三十一日。


 皓月は少し離れて史人を呼んだ。

「この前の話の続きだが……。」

「はい。」

「………………色々言いたい事はあるが、言ってもどうしようもない事ばかりだな。一つだけ言うなら、一度でも手を離せば終わりだ。」

 識はまだ学生の若い史人に臆している。
 孤独が長いからこそ、差し伸べられる手に縋り付きたくなる。識は強いが優しい。本来ならば人に愛されて生きるのが似合う性格だ。
 史人が差し伸べる手を、取っていいものかどうか迷っている。
 歳も倍近く離れているのだ。先にいなくなるのは識の方。いや、それよりも、もし史人にもっと好きな人が出来たら、識は史人の幸せを優先するだろう。

「俺が未熟なのは理解しているつもりです。でも諦めませんから。」

「そうか……。期待している。」

 皓月は人を使うのが上手い。
 その人物の得て不得手を考慮し采配する。なので必ず成功への近道を歩く。だから部下がもし失敗しても、それは自分の読みと采配不足だと考える。

 人道に外れる研究所を潰し、手に入れた識は、最初単なる駒の一つと考えていた。
 識の二だと名乗る五つ歳下の子供を、支配下に置くつもりだった。
 なのにその子はなんの疑いもなく皓月を信じた。だからこそ今迄生きていたのがしれないが、その純粋な心根を壊したくなかった。
 雫と一緒になりたいと言うなら、愛する弟を与えて良かった。血の繋がる弟なのだ。どうせなら大事に思える人間と共に庇護下で生きて欲しかった。
 何度も識の精神世界に潜り、迎えに行った。決して責めず、焦らぜず、心が落ち着くのを待った。
 何度も潜ったのは、待っていると気付いて欲しかったから。
 帰ってくる場所があると信じて欲しかったから。
 無事帰ってきたが、結局は眠りにつかせてしまった。皓月と雫を番にしたのは、確かに識だけど、識の心は一人になってしまった。
 
 また孤独になれば識は眠りにつき、夢を見たいとも思わずに起きないかもしれない。

 識が望むならどんな手を使ってでも相手を寄り添わせるつもりだったのだが、一回り以上も歳下の、しかもアルファである史人とは思ってもいなかった。
 読み違えたつもりはない。
 史人は本来人に深く関わるのを嫌うタイプだ。浅く広く。そして情報を入念に集めていく、慎重な人間だったはずなのだが……。
 何故か識に執着を見せている。

 識が望むなら、それが例えアルファの男であろうと寄り添わせよう。だが、傷をつけるのならば直ぐに排除する。
 史人もそれは理解しているので皓月に対して慎重だ。

「あの、今日はもうお帰りで?」

 皓月はフッと笑った。しっかりしていても、史人もまだ高校生。

「………夕方まではここにいよう。」

 許可と受け取り、史人はお礼を言って識の方へ足取り軽く歩いて行った。
 感情を隠しがちな史人は、識相手には表に出すようにしている。それは、人を信用しきれない識の為であり、史人なりの気遣いだろう。
 







「識さん!今日は皓月さんも一日ここにいるそうですから、一緒に見学回りませんか?」

 楓に質問攻めにされていた識は、史人の登場にホッとした顔をした。

「そうなの?じゃあ、一緒に回ろうかな?」

 識を置いて、白衣姿の社員と奥に消えて行った皓月を確認して、識は史人の誘いに飛びついた。

「いいところだったのにぃ~。」

 史人が二人の間に入ると、楓は文句を言った。

「何が?」

「え~!そんな威圧放たれても困っちゃうっ!識さんに聞いてみれば~~。」

 楓はケラケラと笑いながら逃げてしまった。

「……あ、出口分かるのかな?」

「分かるでしょう。仮にもフリフィアの統括をしているのですから。ここの見取り図くらい手に入れていてもおかしくありません。」

 史人からそう言われて、それもそうかと識は納得した。

「ところで何を話してたんです?」

 史人から聞かれて識は肩を揺らした。
 目を彷徨わせる。

「あ、あの、ね。これをお薦めされてたんだ。」

「?…………!」

 識が出したスクリーンに、何やら商品の宣伝が載っていた。
 
『ほら、オメガや女性と違って勝手に濡れませんし!これお薦めです!やっぱ最初が肝心ですからぁ!』

 そう言って見せられたのは、潤滑剤の数々だった。他にも様々な商品が下に続いている。
 識はよく分からない内容は直ぐに検索する癖が付いているので、おそらく次々に検索したに違いない。
 赤い顔で下を向いてしまっていた。

「……………貴方は何も心配しなくても俺が用意するので大丈夫です。」

 あの野郎………怒。
 怒りを笑顔で隠しつつ、識に送られてきていたページを削除する。
 
 この後数日、楓は史人の近くに現れなかった。








 ふんふん♪と鼻歌を歌いながら楓は植物園に向かう。
 教師達は担当場所を決めてそこにいる筈なので、事前に調べておいた場所に向かっていた。
 
 広大な植物園の中には数カ所飲食可能なテラスが設けられている。
 研究所社員が普段から使用しているらしく、本日は生徒達にも開放されていた。
 その一箇所に法村がダラリと椅子に座って植物園を眺めていた。
 流石アルファ性であるだけあって、高身長の長い足、小さめの頭には整った顔がついている。髪を後ろに緩く流し、一見するなら見た目が良い。
 通り過ぎる社員達が、学校の教師を示すネームプレートを確認しては、声を掛けようかどうかと囁いていた。



 法村はフウと溜息をついた。
 退屈だからだ。
 特にやる事もなく、しかもたまにチラチラと他人から見られている。下手な事も出来ない。

「……セ・ン・セ!」

「……!?」

 背後からコソッと囁き掛ける声に、法村は驚いた。細い腕が伸びてきて法村の首に巻きつく。
 サラサラの黒髪が頬にかかり、ふわりと良い匂いがした。
 
「なぁ~に暇そうにしてんの?僕が相手しよっか?」

「……………お前か…。もう見学は終わったのか?」

 終わったよ~と言う楓は、法村の肩に乗っかってキャッキャとじゃれついている。
 今の楓はやけに機嫌が良かった。

「何か良いことでもあったのか?」
 
 そう聞く法村に、楓は嬉しそうに頷いた。
 その顔はとても子供らしく、懐かしい笑顔だった。
 思わず法村は楓の腕を掴んでしまった。
 また居なくなりそうで、目の前から消えてしまうのではと錯覚する。
 楓はどうしたのかとキョトンとしていた。

 法村にとってはあの一ヶ月は短くも長い時間だった。
 最初から達観した子供らしくない顔つきの楓が、徐々に家族に見せるような笑顔になり、嬉しかった。
 このままずっと一緒に居ればいいのにと思った。
 いつものように大学に行き、晩御飯の材料を買って帰ると、もう楓はいなかった。
 元から誰も居なかったかのように、使っていた衣類も生活道具も一切消えた。
 たまに撮っていた画像も無くなり、楓という人間なんて最初からいなかったかのように、消えてしまった。
 苗字は知らなかった。ただ楓とだけしか名乗らなかった。どこの子かも知らない。フリフィアの身寄りのない子だと思い込んでいたから、そのうち事情を話して戸籍を作ろうと思っていた。

 久しぶりに出会ったのは高校の入学式。
 目の前に現れた楓は、最初に出会った時と同じように、子供らしからぬ笑顔で自己紹介をした。
 浅木楓と名乗った。
 それはフリフィアの後継者の名前じゃないかと愕然とした。

 試供品のVRに楓そっくりの子が出ていたから、本当はフリフィアで生きているのではと期待していただけに、楓が手の届かないような全く世界の違う人間であった事にショックを受けた。

 今、目の前にいてもあの頃のように同じ布団で一緒に寝ることは出来ない。
 たった二人だけの狭い部屋で、冗談を言い合いながらご飯を食べる事もない。
 普通に生きてきた法村には、フリフィアの楓がどうやって生きているのか理解出来ない。
 大学生だったあの時に戻れない。

 平然と脅しにくる楓に戸惑いつつも、大人しくいう事を聞くのは、少しでも元に戻らないかと願うからだが、高校生の楓は昔の事など忘れたかのように平然と法村を蔑む。


 楓の腕を掴んだまま黙ってしまった担任教師に、楓は後ろから抱きついたまま囁いた。

「………法村センセ、このまま黙ってると変態教師ってバレちゃうよ?」

 アルファ教師に、見るからにオメガと分かる楓が抱きついているのだ、ハッと気付いて法村は慌てて楓の腕を離した。
 振り返りざま見えた楓の表情が、一瞬だけ悲しそうに見えた気がして、法村は狼狽える。

「…………カエデ?」

 昔のように普通に問い掛けてしまい、楓の表情がスウッと無表情になる。
 それを見て、ああしまったと後悔した。
 楓は昔を無かった事にしたいのかもしれない。法村はあの時を大切に思っているが、楓にしたら無駄な時間か、意味のない時間だったのかもしれない。
 法村から口出ししてはいけないのだ。

 楓はまたいつものように笑った。
 飄々として、小悪魔のようにちょっと悪い顔をして、法村に言い放つ。

「教師を続けたければ大人しく僕のいう事を聞く事ですよ~。」

 いつもそうやって脅す楓に、法村はいつもの様に情けない顔で謝るのだ。
 そうすれば、また明日楓が自分の下にやってくると知っているから。

「しーー!そんな大きな声で言わないで~!」

 情けなく小声で訴える法村に、楓は安心して笑ってくれるだろうから。










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