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番外編
145ヨニアの翠玉③
しおりを挟むネイニィは今困っていた。
朝から当番の玄関掃除をしていたところ、この前来ていたモビィス・ヤーハンデリとバッタリ会ってしまった。
このオメガ保護施設には多くのオメガが入っている。あの日窓から少し見えただけのネイニィのことなんて覚えていないだろうと思っていたのに、モビィス・ヤーハンデリはネイニィのことを覚えていた。
ああ、ヤバい。
モビィス・ヤーハンデリの頭上には、ステータス画面が現れていた。親密度が四十スタート……。
コイツは攻略対象者ではないのに、アルファというだけで親密度が活発に動くらしい。
玄関で直ぐにお茶に誘われた。
この前窓の外にいたよね?そう言って。
断ったのに、オメガの子達がいってらっしゃいと背中を押した。押さなくていいのに。
そして仕方なくお茶をしている。
保護施設がある地区は山側にある。人も多く住んでいるし家も密集して建っているが、木々も多く港側より過ごしやすい。
住民が多いのでちゃんと買い物が出来るお店もあるし、市場もある。そしてお茶をするカフェもある。無くてよかったのに…………。
「今度港の方にもおいでよ。」
「……いえ、あまり外には出たくないので。」
ネイニィは困っていた。
もうゲーム仕様とは関係なく生きていきたいのに、ネイニィの目にはステータス画面が見えて親密度が分かってしまう。
まだ四十二……。親密度が二つ上がってしまった。なるべく不機嫌に見える様努力しているのに、勝手に上がっていく数値に、ネイニィは焦っていた。
親密度を上げる努力はしていたが、下げる努力はしたことがなかった。こんな時悪役令息オリュガ・ノビゼル…、じゃなくてオリュガ・カフィノルア王太子妃だっけ?がいたら下がってくれるんだろうか…。悪役令息オリュガがいると、皆んなが皆んな下がりまくった記憶が懐かしい。
ズズ……、と下品にお茶を啜りながら飲んでいるのに、目の前に座るモビィスは一向に気にしない。
チラッと目を上げると視線が合い、モビィスはニコリと嬉しそうに笑った。
ピコンと数値がまた一つ上がる。勘弁して…!
親密度を下げるアイテムなんてない。
下げるには暫く会わないことが有効だが、用もないのに保護施設にやって来たモビィスの狙いがなんなのかネイニィには痛いほど分かる。
ネイニィはゲームの設定でポイントを使ってアビリティを上げてしまっている。何で魅力を上げてしまったのかと後悔しても遅い。
保護施設の中でもこの容姿のせいでアルファに酷いことをされたのだと思われている。中にはアルファの主人に酷いことをされたネイニィを、従者のアルファが匿う為にここに連れ来たのだと、夢物語を話す者までいた。
いや、違う。事実はアニナガルテ王国の国王の前で闇魔法を使った為捕まったのだ。そんな本や演劇の中のお話の様に、恋物語なんて一つもない。
ネイニィは罪人なのだ。だからこの首輪がある。
今は保護施設から出てくる為に、フード付きの肩掛けをつけてきた。これならば首元を隠せるからだ。生地の上からちゃんと首輪が付いているかを確認する。
これがあるなら大丈夫。
モビィスはこの首輪を見ているはずだが、何でネイニィに興味を持ったのか。誰が見ても曰くありげな首輪だ。本当なら取った方がいいのだとネイニィだって思っている。だけど指が震えて取ることが出来ないし、誰かが取ろうとしても恐怖に震えて無意識に拒否してしまう。
いつかは良くなるよ、と医者と所長は言ってくれた。
「ねぇ、今度ネックガードを売ってる店に一緒に行かない?」
モビィスが話しかけてきた。
「ネックガード?」
確かオメガが予防の為に首に巻く保護装飾品だったはずだ。アニナガルテ王国でもつけたい人はつけるが、抑制剤に頼りがちな国なので使用頻度は低かった。基本は発情期中は外に出ないのが普通だった。それにオメガというだけで低く見られがちなので、町の外に出ているオメガが少なかった。
チラリと外を見ると、つけている人がチラホラと見える。
この国ではネックガードをつけて外を歩くのが基本なのか…。そういえばオメガでも普通に働いていると、保護施設の皆んなが言っていたことを思い出した。
モビィスはネイニィの首を見た。やっぱり気になってたのか。この首輪の所為で覚えられた?
「それよりも綺麗なのを贈りたいんだ。」
「…………いらない。」
貰う理由がない。
そう言って目を伏せるネイニィを、モビィスはじっくりと観察した。
とても綺麗なオメガだ。ストロベリーブロンドの髪は陽の光を受けて不思議なピンクと金の輝きを見せ、若葉の様な瑞々しい緑の瞳は見つめられただけで惹きつけられる。
白く小さな顔と桃色の唇に、細く長い指。華奢な肩に、スッと伸びた手足。どれをとっても美しい。
「ふう…、困ったね。ネイニィとは仲良くなりたいんだけどな。」
僕はならなくていい。
心の中で拒絶する。
そんなやり取りを暫く繰り返していた。いつになったら帰れるんだろうかと飽き飽きしながらモビィスの相手をしていて、ネイニィはピクリと肩を揺らした。
ネイニィの新緑色の瞳が大きく見開かれ、どこか遠くを見ていることにモビィスは気付き、何に驚いているのだろうかと見たが、モビィスには特に変わったモノは見えなかった。
ネイニィはアビリティ設定で知力、体力、マナー、魅力、魔法の数値をポイントで上げていた。だから視力もかなりいい。アルファ相手でも引けを取らない能力を持っている。
だから気付いた。
遠くに見知った姿を捉える。
「………………ヨ…………ァ……。」
震える唇で名前を呼び、ネイニィは立ち上がった。
まだ物凄く遠くにいるが、人影の間から見えたのは、深緑の髪をもつ養護教諭ヨニアの姿だった。
カフェの奥の方には市場が並び、何か買い物をしている様だった。慣れた手つきと市場の店主達とのやり取りに、たまたま来たのではないことが窺える。
向こうは気付いていない。
「すみません、もう帰ります。当番もあるので。」
素早くモビィスに断りを入れ、ネイニィは碌に返事も聞かずに走り出した。早く、施設に戻らなきゃ。
驚いた顔でモビィスが立ち上がったが、別に好かれたい人でもないので置いていく。
何で、何でヨニア先生がここにいるの……?
この国には知り合いなんていないと思っていた。
ネイニィだってここにどうやってきたのか記憶が無い。
急いで保護施設の門を潜り、木陰に入ってしゃがみ込む。はぁはぁとなかなか整わない息は緊張からだ。ドクドクと心臓が鳴る。
ヨニア先生と最後に会ったのはいつだろう?
いつ?と考えて、ネイニィの記憶の中ではアバイセン伯爵領が最後だったなと思い出す。
ネイニィはヨニアの親密度を上げた。ポイントを使って、八十以上に無理矢理引き上げた。それはバッドエンドを回避する為だけにやったことだった。
一人でも三十パーセント以上がいないとバッドエンドになるから、暫く会わないと親密度は下がっていくから、会わなくても下がらない様にという理由だけで、ヨニア先生の親密度をポイントで上げたのだ。八十まで上げておけばもう下がらないから。それだけの利己的な理由で。
だからヨニア先生の親密度は八十で止まっているはずだ。
それがヨニア先生にとってどういう状態なのか分からない。
親密度通りに愛情があるのか、それとも恨まれているのか……。
ネイニィはヨニア先生が一緒に行こうと言ったのに無視した。
あの時の先生は確かにネイニィのことを愛していた。だけどネイニィはそれを無視し軽蔑していた。
そんな人間をいつまでも愛する人間はいないということは、いくらネイニィでも理解している。
何でここにヨニア先生がいるのか分からない。
たまたま?それとも追いかけてきた?愛してるから?それとも憎んでるから?
親密度……。見ればよかった。ヨニア先生は攻略対象者だからどんなに遠くにいても見えたはずだ。
動揺して慌て過ぎて見ていなかった。
ネイニィはハッと顔を上げた。
ここにネイニィを連れてきたのはアルファの若い男性だと言っていた。ヨニア先生のことだろうか?
でも何でヨニア先生が?
攻略対象者ヨニア・アバイセンとテイローラワ国は何の繋がりもない。だいたいゲームにはテイローラワ国自体出てこなかった。
そう、そうだ……!
バタバタと自分の部屋へ転がり込む。
引き出しを開けてアイボリーのカーディガンを手に取った。
匂いはない。届いた時からアルファの匂いはしていなかった。微かにでもと思ったけど、ヨニア先生の匂いは感じない。何の匂いもない無臭だった。
ネイニィはカーディガンを抱きしめる。
ここに連れてきたのはヨニア先生?
アニナガルテ王国から誰かがネイニィをここまで連れて来た。アニナガルテと関わりのある人間は今まで一人もいなかったのに、町の中にヨニア先生がいた。
キュッと唇を噛む。
会って聞いてみたい。
連れて来てくれたのはヨニア先生なのか。何でここに来たのか。……ネイニィのことを恨んでいないのか。
ネイニィは自分がヨニア先生に対して酷いことをした自覚がある。それなのに連れて来てくれるのだろうか。
ネイニィはずっと意識が無かった。意識のない人間を運ぶのはかなり大変だと思う。
移動中の感覚を必死に辿るが、うすらぼんやりとしか思い出せない。
匂い、匂いは……?連れて来たのはアルファだ。アルファの匂いがしたはずだ。
でもそれすらあやふやで泣けてきた。
もう何度も思い出そうそして出来なかったことだった。
ヨニア先生の匂いは石鹸の匂いだ。
洗い立ての洗濯物のような匂い。お日様の下で乾く石鹸の匂い。そんな暖かな匂いの人を、ネイニィは馬鹿にして置き去りにした。
「……どうしよう……。」
自分が何に慌て、何に悲しんでいるのか理解出来ない。
多分この町に住んでいる。そんな雰囲気だった。
ネイニィがカーディガンを抱き締めて床に座り込んでいると、他の部屋の子が覗き込んできた。扉を開け放していたことに今気付く。
「どうしたの?モビィスさんと上手くいかなかったの?」
ネイニィを送り出したことをどうやら皆んな知っているらしい。変わり映えのしない保護施設の中では、どんな些細なことも噂として広まっていく。
モビィスのことはすっかり忘れていた。
「…………ねぇ、僕の休み次いつだっけ?」
「ん?ネイニィはねぇ、ええっと明後日だよ。」
壁に貼った当番表を見ながら教えてくれる。
「………おおっ、次のデート?何だ上手くいったの?」
「違う。」
「違うの?」
ネイニィはうんと頷く。
会いに行って何を話せばいいのかなんてまだ分からない。自分の心が整理出来ていない。それでも聞いてみたい。
ネイニィがここにいる理由を知っているのなら、教えて欲しかった。
食料を買い込もうとヨニアは市場に出掛けた。市場は午前中に買い込まないと品物の鮮度が下がる。日用品や保存食などは構わないが、生鮮食料品は早いうちからいいものを買いたい。
それでも朝イチに子供が熱を出したから診てくれと言われて対応した為、今日は出てくるのが遅くなった。
果物と肉を少しだけ買っておく。煮込んで数日食べればいいだろう。そう思って他には香辛料も買っておいた。
家に帰り診察の合間に料理をしていく。
夕方閉店の札を下げ、表の扉を閉めたのに外から叩く音がした。
急患だろうかとまた開け直すと、そこにはこの国に来て一度だけ会った人物が立っていた。夕日の中、深くマントを被る背の高い人物。
「入るぞ。」
拒否は許されない物言いに、ヨニアは静かに扉を開けてその人物を通した。
自分で扉すら開けない。通して貰うのが当たり前だと、その人物の雰囲気が語っている。
「挨拶はいらん。人に聞かれても困る。」
扉が閉まると直ぐにそう言われた。
ウィゼミト・ディテ・ナワラーヤ。この国の王太子殿下が態々ヨニアの店に来たのだ。
ヨニアは静かに頷く。
「直ぐに帰る。今日は要件があって来た。」
ウィゼミト王太子とはこの国に入って直ぐに対面した。サマファル国の王太子の密かな依頼に応じる為、テイローラワ国の王太子が自ら対応していたらしい。それくらい秘められた入国だった。
その時少しだけ話したのだ。
メネヴィオ王太子とウィゼミト王太子は歳は違うがサマファル国で学友だったらしい。
その時何かあれば力になるとウィゼミト王太子は約束したのに、頼んできたことはネイニィという罪人オメガの保護だった。
「自分が助かるよりもそのネイニィとかいうオメガの安全をとったのだ。」
亡命したくなったら来いという意味の誘いだったのだが、自分はいいからネイニィを保護してくれと、それだけでいいと密かに連絡をとったらしく、友人の最後の頼みと思い受けたのだとウィゼミト王太子は語った。
「メネヴィオはもうあの国から出れんだろう。そのオメガに何があるのか知らんが、自分が国に戻る代わりに見逃してもらったのだろうからな。」
そう言われて、今更ながらにメネヴィオ王太子殿下とネイニィの関係は親密なものだったのだろうかと思った。アバイセン伯爵家にレクピド・サナンテア子爵を攫う為に来ていたサマファル国の人間が、実はメネヴィオ王太子殿下だったのかなとは思っていたが、特別な関係があったのだろうかと少し嫉妬心が湧き、この感情は偽りだと自分に言い聞かせた。
国境では短く話し、馬車に乗せられリフィッツエの町へ移動した。ウィゼミト王太子と話したのはそれきりだった。
「今日はどのような話でしょうか。」
ヨニアは用心深く尋ねた。ヨニアは伯爵家の息子ではあったが、貴族の息子としてアルファとして十分に育てられていない。だから王族というものに対して普通に警戒心が湧く。触れてはいけないモノとして。
「……アニナガルテ王国に行って来たのだが。」
ウィゼミトはアニナガルテ王国で行われた王太子の結婚式に出席してきた。視察や外交も行って来た為夏の終りに出発して、漸く帰って来たところなのだが、王城に帰る前にリフィッツエの町に寄った。
メネヴィオが気に掛けるネイニィという存在についてアニナガルテ王国で調べてきたからだ。
「闇属性であることは知っていたが、元は聖属性であり、現在アニナガルテ王国では罪人であることは分かった。」
「……………。」
「ここに来た時ネイニィが持っていた瓶について調べていたな?」
ヨニアは驚いた。それについては話していなかったからだ。気付かれず監視がついていたのだろう。いや、寧ろ今もいるのかもしれない。
ネイニィが大切に持っていた物だ。何と答えるべきか逡巡するが、どっちにしろ把握されているのだから仕方ないと頷いて肯定する。
「その瓶を渡せ。」
「瓶はネイニィの物です。本人にしか渡せません。」
「では直ぐに中身を飲ませろ。」
「何故ですか?」
ウィゼミトはナリシュ王太子に謁見を申し込み、直接話をしてきた。様々な外交について話した後、それとなくアニナガルテ王国から来た闇魔法使いについて話した。
途端にナリシュ王太子の顔が薄っすらと笑みに変わった。どうやら触れてはいけない話らしい。
「ご存知でしたか?」
この顔は我が国にネイニィが来た経緯を知っている顔だと確信し尋ねた。そしてその隣で微笑んでいた王太子妃も美しい顔が鋭さを増し、緋色の瞳はこちらの身を焦がすほどに覇気を放つ。
「瓶を持っていたはずだよ?まさか奪ってないよね?」
奪っていないと理解していての牽制。あの瓶はヨニアという男が持っている。
成程、奪うな、手を出すなということか。
「瓶の中を聞いても?ヨニアも知らない様子でした。」
ナリシュ王太子殿下は微笑みながら口を開く。
「直ぐに中身を飲ませるように。あれは薬ですから。」
穏やかながらも二人の圧は重い。ネイニィは聖魔法使いだった。それが今は闇属性に変わっている。情報を集めると、闇魔法を使って魔獣を操った当時、同じような瓶を持っていたらしい。
もしやヨニアが保管している瓶は属性を変える薬か?
飲ませてみる価値はある。
「…………いい?僕達は見ているからね?」
あの美しい王太子夫妻は少々厄介そうだが、ウィゼミトは知りたくなった。
ヨニアは頑なに拒否した。無理矢理奪うのは得策ではない。
「あれは属性を変える薬かもしれない。」
「属性を……!?では……!」
この男はネイニィの属性を元に戻したいと思っているのか。確かに闇属性よりは聖属性の方がいい。
さて、どうやって飲ませるか。
ヨニアは少し悩んで答えを出した。
「…………僕の方から渡します。」
「………そうか。ではそうするといい。」
それでも構わない。巧く聖属性に戻ればテイローラワ国にとっても有益だ。ネイニィはかなりの聖魔法使いだと聞いている。それが本当ならば王家に召し抱える価値がある。
ヨニアは笑って出ていくウィゼミト王太子を見送りながら、ネイニィが聖属性に戻った時のことを考える。
ネイニィの聖魔法の威力は大きい。
それに目をつけられればヨニアにはどうすることも出来ない。
その時、ヨニアはどうすべきなのか…。
ネイニィを求める心と、呪いだと叫ぶ心に挟まれながら、ヨニアは一人深く悩んでいた。
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