月夜のモノガタリヒメ

たそかれぼたん生雨(きう)

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13 炙りだし

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 几帳内で息を潜めていた。兄からそうしていろと命じられていた。
 緊急に公卿が集められている――
 濡れたわむ草木を一気に萎びさせる日が高くのぼり,目くるめく幻の歪に多重する天空の西方がいつしか朱に染まりつつ墨汁を溶かしたみたいなまだらが滲み蠢きながら押し広がって,また夜が戻った。
 局の外から呼びかける者がある。大勢の人の気配が交錯し,周囲は騒然となる。
「急ぎ正殿に参られよ!」
 威圧的な声に灯燭が揺れる。胡簶やなぐいの矢の擦れあう音――武官が女房たちに召集をかけているのである。
「おい――」
 眼前に膨らむ人影に息もとまりそうになる。
 そこに立つ兄が,腰を屈め,表情のない顔を近づけてくる。
「どうして黙っていたのだ」
「何を? 何のこと?」
「頼宗さまと出くわしたのだろ?」
「――黙っていたなんて!?――兄上が悪いのよ! 何か話そうとしても無視するから! まるで私と話そうとしなかったじゃない!」
「そんな大事なことを話さない奴がいるか」
「何ですって!――」
「喧嘩している暇はないのだ。何があっても,知らぬ存ぜぬで通せよ――」
 内親王誕生を祝う昨夜の宴に出席し,御殿に滞在していた頼宗は当初,ほかの公卿と同じく,嫄子中宮の頓死した時間と思しき深夜には寝いっていたと説明していた。しかし,勾当内侍が丑三つ時に発生したという御湯殿での落雷に話題を及ばせたとき「雷は寅の刻に落ちた」と口走ってしまったらしい。
「頼宗さまは殿たちに問い詰められ,ついに御湯殿にいらしたという事実をお認めになったのだ。しかも内侍とは異なる女を目撃したとも証言された」
「それって――」
「しっ――」
と,人差し指を唇にあてる。
「知らぬ存ぜぬで通せよ――」
 抑揚のない声で言ってから感情のない視線を人に注ぎながらも何処か遠くを見ている。
「俺は菅原の家長だから,家を第一に考えるぜ――己の身は己で護れ」
 兄といれ違いに,無断で局に駆けこんできた古参の女房に急かされる。傍輩たちに押し流されるように正殿へと至り,廊で待つよう指示される。数名ずつ呼ばれては,妻戸の内側に吸収され,徐々に自分の番が近づいてくる。一時ほど経った頃,正念場を迎えた。
 詮議の間へ足を踏みいれる――。
 むかいあって座する公卿たちの列に挟まれ,墨染めの衣を頭よりすっぽり被り,足を投げだし崩れ伏す者がいる。中宮嫄子の名を繰り返し呼び,悲嘆する濁声は勾当内侍のそれである。
 事情も知らず異様な状況に面した女房たちが泣きはじめた。蔵人頭が叱責するが,十代後半や,二十歳を過ぎたばかりの娘たちには逆効果となり,いっそう激しく噎び泣く。それを一興宛ら見物し,喜ぶ公卿も少なくない。
「怖うないぞ,怖うないぞ――」
 白塗り化粧顔の八文字髭を躍らせながら近づく公卿がある。頼宗である。
 並んで立つ女房8人を1人ずつ抱擁していくが,美人の誉れが高い麗子れいこに甚だ時間をかけるため,右大臣藤原実資ふじわらのさねすけに咎められる。
「御自身が検分されたいのではないかな,実資殿」
 そう嘲笑するのは,ほかの公卿が端座するなか,胡坐をかいて扇をひらめかせる上達部である。束帯ではなく狩衣を纏い,烏帽子より幾筋か髪のこぼれているのも故意の趣向とさえ映る。
「失礼ではないか! 礼を弁えよ!」
教通のりみち……」
と,頼通が声を荒げた同母弟を制止する。
「礼を弁えねばならぬのは教通,そちであろう。兄に対する物言いも知らぬのか?」
「これ,能信もよさぬか――」
 頼通が狩衣姿の異母弟に一瞥をやった。
 なるほど――これが能信か。聞きしに勝る豪胆ぶりである。
「実に目出度い」
 能信がやや浅黒い顔面の両眼を押しひらく。
「目出度い?……」
 頼通がじろりと能信を見据えた。
「さようです。実に目出度い」
 一頻り快活に笑う。
「あまりに不謹慎ではないのか……」
 頼通が声色をかえた。
「かくなる折に戯れ言はやめよ……。それとも……そなたにとってはそれほど目出度いか?」
「いかにも,さようで」
「権大納言!――」
 教通が立ちあがる――
「まあ,そう,かっかするなよ――」
 能信が砕けた口調で言いながら教通にむけ野良犬を追い払うような手振りをする。当然,教通は怒髪天を衝くありさまで,非難の言葉を撒き散らすが,能信はそちらを見ようともしない。
「我が弟教通は,遊女ごときのために,実資殿と諍いを起こしたと聞き及んだが?」
 能信は口先を尖らせ,教通と実資とを見くらべた。
 2人の公卿は上気して返答できないでいる。
「国家の重鎮同士がつまらぬ鞘あてなど起こし,仲違いしていたのです。それがこうした難事に及び,この能信を共通の敵として手を結びあった――実に目出度くはございませぬか? 大和の政も安泰です。公卿の関係も盤石になったところで本題に戻っては? 中宮頓死の現場にいたという不審者を炙りだしましょう」
 「中宮頓死」という言葉を聞いて女房たちがざわめいた。また泣きだす者もある。
「嫄子さまぁ!――」
 内侍が叫び,全身をよじって慟哭をはじめる。すると刺激された女房たちも感情を爆発させた。
「静まれ!――」
 頼通が𠮟りつけた。
 一瞬にして静寂につつまれる。頼通に促され,頼宗が女房の検分を再開する。ひくつかせる鼻を,抱き竦めた傍輩催子ときこの髪や首筋に押しつける。
 御湯殿前で頼宗に内侍と誤認されたことを思いだす。頼宗は視力が弱いのではなかろうか。ゆえに嗅覚による人物認定を試みているのであろう。であるならば,今夜は偶々いつもと異なる香を衣に焚き染めていると弁明しよう――
「卑俗な香よのう――」
 頼宗が両目を極度に細めた顔を,催子に接近させて鼻先を小刻みに動かす。
「昨夜の女と同じ香じゃ」
 公卿たちが一斉に腰をあげた。
「では,その者が探索しておる女か!」
 実資が尋ねた。
 膜のおりたような目を宙に漂わせ,頼宗が首を捻る。
「いや,違う――同じ香じゃが,違いますのじゃ」
 催子が緊張と恐れのあまり粗相をし,公卿たちの顰蹙をかった。
「近頃,人気の香でして――」
 催子の姉麗子が口添えする。
「流行りに敏感な女房なら,みな一度はつこうております。実は私が調合したのでございます。近づきの証しにと大勢の傍輩に配りましたゆえに,薫衣香くのえこうや空薫きを楽しみ,同様のかおりを纏うておる者は少なくないのでございます」
 私も麗子に頻りに勧められ,昨夜も今夜も使用していた。
 頼宗が催子を解放し,検分は新たな女房へと移った。その次の番が私である。どうしよう……。心做し,公卿たちが私を注視している気がする。
 焦るな――麗子が主張したとおり,同じ香を使う女房は数多いる。自分もそのうちの1人に過ぎぬと言い張ればよい。
 はたと扇のひらく音が空を切った。立て膝に腕をかけ徐に身をこちらへ傾けると,面を扇ぐ。乱れる髪が弾むように揺れる。まともに能信と目が搗ちあった――
 気づかれた。能信に不審者の正体を察知された。動揺が伝わってしまったに違いない。
「これじゃ,これじゃ!」
 頼宗が大声を発した。
「まさしく,これよ!――強い俗香にまじり,名香も漂っていたのじゃよ。まさにこの薫香を,わしは嗅いだ!」
 私の前に並んでいた執子もりこの腕を摑みあげる。
「何かの間違いでございます!」
 執子が泣き叫ぶ――
「私は何も知りません! 宮さまのお亡くなりになったことも,権大納言さまのお言葉ではじめて知ったのですから! ずっと寝ていたのです! 昨夜はすっかり眠ってしまって物音一つ聞いておりません!」
 蔵人たちが執子に群がった。執子を連行しようとする。
 いきなり腰部に搔きつかれた。執子がとりすがってきた。
「お助けくださいませ……」
 押し殺した声で言い,渡来人の血筋を象徴する印象的な大きな瞳を瞬き一つせず,見ひらいたまま私を仰視する。雄弁な目であった。執子は真実を知っていながら黙っているだけなのである。
「見たように存じます」
 墨染め衣のあわせ目がわずかばかりひらき,黒々とした隙間より,内侍のがさつく声が漏れた。
「確かでございます。私もこの女を御湯殿付近で目にしましてございます」
 執子は身の潔白を訴えて喚いた。蔵人たちが乱暴に執子を私からひき離す――
 このままでは執子が不審者と決まってしまう。もしかしたら中宮の命を奪ったのも執子のせいにされるのではないか。これまで実行された中宮を亡き者にせんとする悪事の全ても,執子やその後ろ盾となる家や一族の企てと見做されるのである。そのような理不尽が許されてよいはずはない……。
 墨染めの隙間から内侍が謀略に満ちた目で私を見ている――兄と示しあわせて真実を闇に葬り去ろうとする内侍の思惑どおりに,事が運ぼうとしている。
 兄上,これで構わないの? 邪悪な権威に阿り,暗殺という恐ろしい陰謀の片棒を担ぐことになるのよ! 我が菅原一族は汚濁せる水に染まらず生きてきたはずだわ!
 意を決し,その場に両膝をつく――
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