月夜のモノガタリヒメ

たそかれぼたん生雨(きう)

文字の大きさ
17 / 29

17 私にはできない

しおりを挟む
「私の小袿です」
 みなの視線を浴びた。
 頼通は目色で制止したが,すぐさま立ちあがり,再び散会の号令をかけた。しかしそれに従おうとしたのは内侍のみである。
「それは私の小袿に間違いございませぬ」
「ははっ……ははっはははは……」
 頼通が私に近づき,無言のうちに能信を傍らに退かせた。
「いや,さすがに物語の姫君だ――たいそうつくり話がお上手ですね。しかし今は徒然を慰める戯れ時ではございませぬ。政の最中なのです――」
 人の目線におりて物腰やわらかに諭すものの,表情のかたさが緊迫した状況を雄弁に伝えている。立ちいってはならぬ領域に踏みこもうとしている危うい現状に今更ながら戦々兢々とされた。
「内覧を庇おうとする気持ちはお察ししますが,不用意な一言があなただけでなく,兄上を,お父上を,菅原家を破滅に導いてしまうのですよ――お分かりいただけますね」
 内親王が澄んだ瞳で見つめている。
「……分かっております。でも,どうして,これほど分からず屋なのでしょう……」
 人性の見極めを得手とする頼通が,相手の意向の先を看取し,面を険しくした。
「――第一,あなたのものだという証拠がない。あれは内覧の小袿だ」
「いいえ,私のものなのです――ねえ,そうでしょう?」
 執子に問いかける。
「構わないから本当のことを言って頂戴」
「本当のこと?……」
 執子が怪訝な顔つきをする。
「本当に――私の盗んだのは内覧の御方さまのお召し物です。御方さまの愛用されるお香が焚き染められておりますもの――あの方と親しいあなたのお部屋にお召し物のかかるのを見ました。あなたをお訪ねした折にそのまま脱ぎおかれたのでしょう。捜しに戻られて,お見つけになれなかったとしても騒ぎになるはずはない――そう考えますと,気持ちが抑えられなくなってしまったのです」
「お聞きになりましたか。小袿は私の部屋にございました」
「だから何だと……」
 頼通は視線を逸らせた。
「昨夜雨にうたれた内覧の御方さまは,私の部屋にて更衣されました。その折,手持ちの装束をお貸ししたのです。ゆえに内覧の御方さまの纏われるお香が移ったのです――そちらの小袿は私のものに相違ございませぬ」
「筋は通っておる。話のなかに貴重な新証言も得られた――」
 音もなく能信が滑り寄ってくる。
「何ゆえ内覧殿はそなたの部屋にて更衣する必要があったのだ? 何ゆえ雨にうたれねばならなんだ?」
 弁解の言葉が浮かんでこない。恋人に会いたくて戸外でそぼ濡れながら待ち侘びていた――真実を告げれば,兄と足柄との関係が表に出てしまう……
「さよう,内覧殿の陰陽の術を操ることは,万人周知の事実――術を駆使し,よからぬ悪事を働いたのではないか? その過程で身を濡らし,ゆえに更衣する必要が生じた――」
「違います! 足柄は悪事など働いてはおりませぬ!――ずっと部屋にいたのですから!」
「足柄――というのは,内覧殿の菅原家におられたときの俗名かな――」
 能信が不敵な笑みを浮かべた。
「いや,さような昔のことはよい。それより,ずっと――さように申されたのか?」
 動揺を隠せなかったと思う。
「内覧殿は部屋にずっとおられたか? ずっと――というのは昨夜ずっと,という意で解して宜しいのかな?――さように証言できるそなたも,夜一夜起きていたと申すか?」
 口を噤んでいた。能信がひたすら睥睨してくる。我慢くらべが続いた……
 能信が小さく息をつき,立ちあがって公卿たちの列に戻る。
「そなたは昨夜の宴に参ったか?」
 扇を揺らめかせながら人の返事を待たずに喋る。
「つきあいの悪さも時には肝心よのう――心強い証人ができた。我ら公卿も女房たちも酒宴にて羽目を外したせいなのか,眠りこんでしまったのだ。それで昨夜は物音一つ聞いておらぬ。そなたは何か耳にしておらぬか? 何か気いた点があれば,有り体に話してくれぬか?」
「起きておったにせよ,物語に夢中でございましたでしょうよ――何せモノガタリヒメでございますから――」
 内侍の発言に周囲から失笑が起きた。
「モノガタリヒメを虐めるな!」
 腕に抱く内親王が内侍にむかって拳を振りあげた。
「内親王さまのおそばに変わり者を侍らせるのはいかがなものかと……おかしな性分が感染うつってしまいましょう……」
 内侍がみなに聞こえる囁き声で奏上した。
「祐子――祐子や,おいで――」
 天皇が手招きした。しがみつく内親王の全身に熱が帯びた。小さな体を盾にして私を守ろうとしている――自らの母を見殺しにした卑劣な臣下を――
「……モノガタリヒメ……何故,泣いているの?」
 内親王の頰に涙が落ちた。
「こらえるのです――何も言ってはなりませぬ――」
 透かさず内親王を腕に譲り受け,頼通が耳打ちした。
「内侍は人を謗れる立場ではなかろう――」
 能信がよく通る声で言った。
「御湯殿に随行しながら何の手段も講じられなかったのであるから。極刑に値するものとして猛省すべきであろう」
「私はおとめしましたよ! それでも宮さまがどうしてもお湯をいただきたいとお聞きいれにならなかったのです! だから雷にうたれて――」
 内侍の発言を,頼通も私も制止しようとしたが,間にあわなかった。
「母さまは――母さまは雷にうたれたのですか!」
 内親王がその腕に抱かれたまま,頼通を見あげた。頼通は揺れる眼差しを内親王に注いでいたが,やがて小さな肩を搔き寄せ,振り分け髪の後頭を撫でた。
「きらぁあい!――」
 内親王が頼通の腕から飛びおり,天皇のもとへ駆け寄った。
「上さま――母さまは身罷られたのですか!」
「――い,いいや,違うのだ」
 天皇が笑顔を繕った。
「雷にうたれたが,別所にて療養しておるだけじゃ。じき戻ってこようぞ」
 内親王が俯き,しくしく泣きはじめた。次第に泣き声を激しくして仕舞いには臥し転びつつ号泣する。
「ああっ……ヒメ……モノガタリヒメ……」
 涙に搔き曇りぼやけた視界のなかを,内親王が這ってくる。為す術もなく,ただ平伏するばかりの私に近づき,力なく体を揺さぶってくる……
「母さまは,母さまは御存命でいらっしゃるな? 戻っていらっしゃるな?」
 私にはできない――黙っていることも,知らぬ存ぜぬで押し通すことも到底できない。
「申し訳ございませぬ――恐ろしさのあまり身が竦み,お救い申しあげられませんでした。誠に申し訳ございませぬ」
 内親王がぴたりと泣きやみ,全身を凍てつかせた。瞬き一つしない。
 頼通が口早に女房たちへ指示をくだし,内親王を連れだしていく。
「やはり,あの折お帰りいただくべきだった。あなたは鬼にとらわれたのです――」
 頼通は視線を残しながら背をむけた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。 人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。 防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。 どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...