月夜のモノガタリヒメ

たそかれぼたん生雨(きう)

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18 陰謀の宮

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 また振り返り,火傷で爛れた顔面を見せつけながら,肩を怒らせ罵倒する。私が一言発するごとに,内侍は滝のごとく非難を浴びせてくる。
 公卿たちの制止も効果はない。ついに人目も憚らず,天皇の胸に搔きついて大嘘つきの非人を即刻退出させよと口説き落とそうとする。
 時間ばかりが過ぎていき埒があかない。順を追って話すのは無理であろう――
「内侍さまが宮さまを手にかけられたのです。頼成さまが御一緒でした。隠れて見ておりますと頼宗さまと鉢合わせ,騒ぎになりました」
 一息に言いきったとき,奇声を発して内侍が飛びかかってくる。座ったまま身を翻す。内侍は標的を見失って床に突っ伏すが,すぐさま起きあがり,片足を高くあげ,蹴りつけようとする。その足を抱きとめて自分のほうへひき寄せながら背後に回りこみ手足を絡めつつ敵の動きを封じこめた。
「覚えておいでですか――昨夜と同じでございます。煮え滾る湯より宮さまをおあげした私に憤り,内侍さまは同様の行いをなさいました。私は内侍さまの足をとらえ,湯桶内にひきずりこんだのち,拘束したまま湯に潜り,あなたさまを気絶させたのではございませぬか!」
「な,何を言いやる! 大嘘つきめ!」
「湯に浸かったために,お顔に火傷を負われたのではございませぬか」
「こ,これは雷のせいじゃ! 宮さまをお救いしようとしたため,ともに雷にうたれたのじゃ! 証拠もなしに虚言を吐くでない!」
「証拠――でございますか? 証拠ならございますよ。一介の新参女房が勾当内侍さまのお体の秘密を知る由などございませんでしょう。ところが私は存じております。昨夜内侍さまの衣が破れた折に目にしたからです。あなたさまのお胸は――」
 一つない,と言おうとした。
 その刹那,懇願するかのような視線が内侍より放たれるのを認めたのである。
 内侍を解放し,後方へ膝行する。
「ほ,ほれ見ぃやぁれ! 証拠などないではないか!」
 天皇が声を荒げた。
「上さまぁ?……」
 内侍が呆けた顔を上むける。
「黙れ!――黙れと言うておるのだ! おまえは嫄子を茹で殺したか! ゆえにあのように全身が焼け爛れておったのか! あの美しい嫄子を,おまえ同様,醜いさまにかえる所存であったか!」
 天皇が立ちあがり,足をうち鳴らし去っていく。すがりつく内侍を振り払い,一瞥も与えない。
 その足音が夜気の蠢きと,内侍の啜り泣きにのまれると,能信が口をひらいた。
「不浄の声を聞かせるな。牢獄で泣け」
「この女の申していることは全てつくり事にございます! 私は何も――」
「不浄の声を聞かせるなというのが分からぬか!」
 内侍が小さく蹲り,身を震わせ続けた。
「しかし……」
 能信は苦渋に満ちた表情で,こぼれた髪筋を耳に掬いあげた。
「事実を曲げてはなりませぬぞ。噓は露顕するもの――内侍を御覧になっていたのではないか」
 相手の返事を待つものの,反応がないのに苛だって扇をうつ。
「兄上!――」
 頼宗がびくりと体を動かした。
「……わ,わしは何も知らんぞ……」
 八文字髭の間隔が窄まってはまた広がった。
「家司の妹御や,長橋殿と頼成殿を見たとき急いで逃げたのじゃ――面倒に巻きこまれてはたまらんからのう――」
「御湯殿で見た者が,家司の妹だと最初から分かっていたのですか?」
 能信が詰め寄る。
「それは誠に先ほど分かった! ただの言い違えじゃよ!――」
「御湯殿にて内侍と頼成殿を見たことを今まで黙っていたのは何ゆえ! 不審な女以外は見ておらぬと言っていたではないか!」
「ゆえに,ゆえに,ゆえにじゃよ! 面倒に巻きこまれるのを恐れたのじゃて! 宮さまが釜茹でになり,頼成殿も雷に射抜かれたのじゃ! そんな場にいあわせたとなれば,ただでは済まぬ!」
「頼成殿が雷に射抜かれた!――」
 愕然とした弟の顔つきと,公卿たちの狼狽ぶりに,頼宗は己の失策に気づいた。
「望子殿の言うとおり,中宮暗殺の場に頼成殿もいたのか――頼成殿は雷に射抜かれたのか――兄上は一部始終を目撃しておったのか――いや違う――」
 能信が頼宗の肩を左,右と摑む。
「兄上は最初から知っていたのだ――事の子細を全て――兄上は陰謀に与していたのだ」
 鵺が大音声を発しながら通り,過ぎてゆくのを山中に聞いているかのような錯覚にとらわれる。確かにここは深山より濃い冥暗渦巻く陰謀の宮である。
 足をとらわれ進退窮まる公卿が呻吟する。わしは知らぬ。何も存ぜぬ。
 能信が兄の体を揺さぶった。
「俺を助けようとしてくれたのだろう? 関白左大臣に対抗し,尊仁親王さまを帝位に就けようとする俺に助勢するため,中宮暗殺を企てたのだろう?」
 涙しながら問う弟に,頼宗は首を横に振ってみせた。
「いつもいつも言うておろうが――対抗するなどという考えをもってはならぬ。我ら兄弟は父上の跡を継がれた長兄殿をお支えするのが役目ぞ。長兄殿を父上と思わねばならぬ。ゆえにわしは――兄はな,決して関白左大臣殿に歯むかう気持ちはないぞ」
 弟の両頰を自らの両掌につつみこむなり揉み解すみたいに撫でて,にっこり笑う。
「ならば,どうして中宮暗殺にかかわったりしたのだ!」
 顔一面にふきでる大粒の汗が化粧を溶かし,白濁の筋をつくりながら滴りおちた。
「わしは知らぬ。何も存ぜぬ」
「兄上!――」
 能信が頼宗の横面を殴った。
「おやめください!――」
 悲痛な面持ちで叫ぶのはいかにも高潔然とした眉目秀麗な公卿である。話を聞くうちに,頼宗と能信の同母弟で,頼通の母倫子りんしの養子となった長家ながいえであると知れた。
「我らは兄弟ではございませぬか! ともに父上道長公の血をひく兄弟です! 兄弟の間で中宮側だの皇后宮側だの分裂するなど情けない! もう兄弟喧嘩は懲りごりです!」
「兄弟?――」
 教通が嘲笑する。
「妾の子など兄弟と思うたことなどないわ」
「愚か者めが!――」
 頼通が叱りつけた。教通は驚いて平伏する。
「兄上どうぞお慈悲を!――」
 長家が額を床に擦りつけた。
「天皇には私から恩赦を賜りますよう直訴いたします。どうぞ兄上も寛大な御処断をお願い申しあげます。私にできますことなら散位でも出家でも喜んで受けいれますゆえ,権大納言頼宗の命を何卒お救いくださいませ!」
 頼宗は蟄居を命じられ,その家司が検非違使庁にて勘問されることとなった。
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