月夜のモノガタリヒメ

たそかれぼたん生雨(きう)

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19 清爽,狂笑に染まらず

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 検非違使庁の再三の召喚にも応じず,心身不調と物忌みを理由として兄が自邸にこもって8日が過ぎていた。
 周囲からの風あたりの強さに居たたまれず,実家への退出を願いでるも許可はおりない。下意上達のなされていない懸念もあった。
 夜が更けたのち意を決し,局を抜けだし祐子内親王の御座所へと急ぐ。
 風にのり息のつまるほどの甘いにおいが押し寄せてくる――傍輩の麗子が立っていた。
「……あの……内親王さまにどうしても御目通り賜りたくて……もう眠っておられるかしら……」
「いいえ……」
 麗子は派手なつくりの顔を綻ばせた。
「内親王さまもね,どうしてもあなたにお会いしたいと,密かに私をお寄越しになったのよ」
「そうなの!――」
「さあ,参りましょう――」
 麗子は内親王の御座所とは逆の方向へと歩みはじめた。
「別所にいらっしゃるの?」
「いいえ,そうではないの。途中で検非違使と女房たちが戯れていたわ――兄上さまの件で,また嫌みを言われるのはいやでしょ。遠回りしていきましょう」
 延々と連なる一直線の廊を進んでいく。濃紺の闇に橙を滲ませる灯燭が次第に数を減らし,ついには左右より壁の押し迫る,先の見えない通路に足を踏みいれる。
「麗子さま――私,恐い――」
「大丈夫。人に会わないほうが好都合でしょう?……」
 渡殿を4度通り,4度目の角を曲がったとき,水のせせらぎが耳に入る。折から頰に吹きつける風が激しさを増し,雲の絶え間より漏れた月光に,遣り水の繫がる広大な池にこんもりと浮かぶ中島が映しだされた。
「もうすぐよ……」
 麗子が腕を摑む。
「何処へ行くの?」
 麗子は人を見つめたまま,水鏡に漂う釣殿を指さした。
「誰がいるの? 内親王さま――ではないわね?」
 麗子は無言のまま,前のめりに姿勢を低めるなり,一方の手でとらえた私の腕に,もう片方の手も添えて強烈な力をこめた。
 私は麗子の足を払った。彼女の体が均衡を失った拍子に駆けだす。
 麗子が獲物の逃避を高らかに告げ知らせた。
 背後から複数の足音が追ってくる――
 無我夢中で走った。しかし――
 前方に人影が躍りでた。2人の男だ。光沢の帯びる太刀を一斉にひき抜き行く手を阻む。
「――望子さまでいらっしゃいますか?」
 男の1人が尋ねた。
「……あ,あの,どちらさまで?……」
 男が太刀をおろす。
「橘俊通でございます――初めてお目にかかります――私のほうは存じておりましたが」
 長軀であるが,瘦せぎすで,生っちろい蛙の腹みたいな肌におおわれた面である。まさに青瓢箪――かつて縁談のもちあがった相手に甚だ失望した。
 両眼は澄んでいて悪事や俗念とはまるで無縁の清爽の気が漲ってはいるものの,私はどちらかと言えば,少し濁っている目のほうが色気を覚える。頰や顎なども,手いれしても,がさがさと青髭の残ってしまうぐらいの男らしさがあってほしい。だのにまるで童のような肌質である。6歳年長であると耳にしていたのに,これでは並べば母と子である。到底38歳などとは思われない。18と偽っても通用する。全く!――どうして?――どうにもこうにも魅力を感じない。好みとは懸け離れているのであった。返すがえすも――
「残念だわ」
「えへぇ?……」
 青瓢箪が肩を窄めて問いなおす。額にも目尻にも口まわりにも,皺一つない。
「……あの……」
 艶々つるつる顔の,桃色に染まるのが月光に照らされる。食いいるように見つめ過ぎた自分に気づく。
「落ちかけています」
 烏帽子に視線をむければ,瓢箪が熟した唐辛子へと転じた。
「それがしは検非違使,中原成道なかはらのなりみちにござる」
 俊通の烏帽子を正すのを横目に,連れの男が名乗った。
 10年ほど前に房総地方に起きた平忠常たいらのただつねの乱にて追討使に選ばれながら,職務の懈怠が著しく,任を解かれた人物である。
 青瓢箪め,人間関係にも恵まれていないと見た……
「そちらの女人を渡してもらおう!――」
 追手たちが背後に群がった。
 俊通と成道が再び太刀を構えて私の前に飛びでる。
「望子さまのお部屋近くに不逞の輩の屯するのを認め,もしやと案じ,見張っておったのだ!」
 俊通が勇めば,成道も負けじと威勢を張る。
「こちらの女人の兄菅原定義殿は検非違使庁より召喚のかかる身である! 定義殿の妹を拉致せんと画策するは,妹を質にとり,定義殿に何らかの働きかけを為さんとするものか! 定義殿に便なき証言をさせまいと目論んでおるのだな! 検非違使の1人として断じて許せぬ!」
「検非違使の職まで解かれとうないなら,おとなしゅう家司の妹御をひき渡すがよいぞ」
 賊の群れが二手にわれて,白塗り化粧顔が現れた。鼻下に八文字髭が踊っていた。
 俊通と成道がたじろぎ,慌てて膝をついた。
 頼宗の背後から,人とも思われぬ顔面を突きだしたのは内侍であろう。火傷の症状が後日いっそう顕著に出たのである。皮膚は爛れ,目鼻や唇の腫れあがる惨たらしいさまに,俊通と成道は衝撃を隠せず,仰け反ったまま尻餅をついた。
 それを見た内侍がしわがれた怒号を発し,こちら目がけて襲いかかってきた。既に気が触れているのかもしれない。
「おのれがやったのじゃ! おのれがかくも無様にした!」
 私は廊を飛びおり難を逃れたが,なお追いつめようとする内侍を,俊通がねじ伏せた。
「放してやれ――」
 頼宗が言う。
「長橋殿であるぞ」
「えへぇ!――勾当内侍さまで!――」
 俊通が力を緩めた隙に,内侍が身を起こす。
「ちょちょちょちょっと――お待ちを!――」
 俊通が内侍の胴を抱きかかえ押しとどめた。
「一体どうなっているのでございましょう? 何が起きているのでしょうか?」
 頼宗が蝙蝠扇を閉じたりひらいたりする。
「我が家司の妹御が長橋殿を湯桶にひきずりこんだのじゃ。ゆえに長橋殿は悍ましきありさまに成り果ててしもうた」
「ま,誠にございますか?……」
 俊通が切れ長の瞳を震わせる。
「誠に望子さまが?――勾当内侍さまを湯桶に?――そんなはずはございませぬ。否定なさってくださいませ!」
 詳しい経緯を説明したい。しかし中宮暗殺に纏わる一連の事件は一部の人間にしか知られていない。知らないほうがよいのである。知ってしまえば陰謀の渦に巻きこまれてしまうから……
「真実をお話しください! 望子さま!」
 俊通が叫べば,内侍も喚き散らす。
「そうじゃ,こやつがやった! こやつが煮え滾る湯に我を沈めた! こやつじゃ! こやつなのじゃ! こやつに醜くされた!」
「雷にうたれて負傷されたのではないと,お認めになるのですね!」
 私が指摘するなり,内侍は白髪まじりの頭を搔き毟り,絶叫した。
「なんでぇ我が雷にぃ!――嫄子を救おうとしてぇ?――なんで我が嫄子を救う!――あの意地汚い極悪非道の女賊を救うてやるものかぁ!――我は,上を盗った女賊を成敗してやったのじゃあ!――うははぁ,うはあ,うはははははあぁっ!――ぐつぐつ沸騰する湯に幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も!――そうじゃ,沈めて煮詰めてやった! あの醜い顔ときたら胸がすいた!――」
 勾当内侍が中宮嫄子を手にかけた――池に臨む東釣殿一帯は騒然とした。頼宗は制止するが,内侍は早口に捲したてた。既に内侍を解放し,後退しながらゆっくり距離をとっていた俊通は時機を見計らい,廊を逃れようとする。――が,足首をとらえられた。
「もっと嫄子の釜茹でを堪能したかった!――」
 内侍が俊通の足をひき寄せ,その胴へ馬乗りになる。
「それなのに物語狂に邪魔されたのだ。ゆえに嫄子と同じく処刑してやるつもりが,あやつときたら――我を抱えて煮え湯に潜りおった!」
 血を吐くような声を発し,目蓋に埋まる両眼から殺気を放つ。
「許せぬ! 我と同じにしてやる! どやつもこやつも我と同じになるがいい!」
 そう言うなり,胸もとから短刀を抜きだし,弾みをつけて振りかぶる。
 青瓢箪,逃げるのよ!――
 内侍に突進する。
 骨張った肉づきの乏しい体が宙を舞ってから遣り水に落ちてはまった。抜けだそうとする際,濃色の小袿が破れ脱げ,単衣のみになった姿を,頼宗の従者の携える紙燭が明々と照らした。
 誰しも悪意はないはずである。ただ単衣より透ける半裸と,焼け爛れた顔面とが,可笑味の核を刺激し,抑制不能な感情を爆発させた。
 男たちは呵々と笑った。笑いは笑いを誘発し,夜陰に反響しながら,轟音の狂気となって増幅しつづけた。
 内侍がこちらをむいた。目蓋奥の眼球で私を見ているのであろう。理由の知れない焦燥にとらわれ,自らの小袿に手をかけた。
「望子さま……」
 俊通が私の腕を押さえ,首を横に振る。大勢の男たちのなかで俊通独りが真顔でいた。
「私にお任せを」
 俊通は狩衣を脱いで折り畳むと,進みでて内侍へ差しだす。
 内侍は狩衣をまじまじと見つめていたが,ぎゃあと声をあげて俊通の手から狩衣を叩き落としたばかりか,身に張りつく単衣までも脱ぎ捨てた。残る乳房も腹も背も凄まじい火傷痕が浮きあがっている――
「乳の一つないのが,それほどおかしいか!」
 そう怒鳴るなり,短刀を振りまわし,誰彼なしに襲いかかる。
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