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26 真の罪業
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魂の脱体彷徨を防ぐため冷える俊通の身を抱きしめる。その背に突きたつ短刀が内親王にひき抜かれる。噴出する血を浴びながら内親王を見た。
「なんだ,その目は? 何ゆえ,さような目をむけるのだ? もしや,咎めておるのではあるまいな。誰も麻呂を咎めることなどできぬぞ――」
内親王が懐から何かをとりだす。紙屋紙である。紙に書かれた文字を視線で辿り,
「祐子の言は朕の命なり 敦良」
と,高く掠れ気味の発声を真似てから,筆跡をこちらへ見せて満悦の表情をつくる。
「これが何か解せよう?」
言うまでもなく後朱雀天皇の真跡である。手慰みの際に内親王が戯れかかり,天皇に書かせたものであった。
「おまえも覚えておろう? 麻呂の申すとおりに,上さまは喜ばれてお書きくださった。何ぞやの折につこうてやろうと思い,下賜された御手をしもうておったのじゃ。これを見せれば,たちどころにみな平伏し,麻呂の仰せに従ったぞ。信長も,おまえをとらえるための兵や陰陽師を首尾よく調達してくれたわ。麻呂の言は帝の命なり!――誰が麻呂を咎めることなどできようや!」
「此度の騒ぎを仕組まれたのは内親王さまでございましたか――」
幼な子へと近づき,その目線におりた。
「貴いお方は徳あるゆえに貴いのです。それなのに私1人をとらえるために,人々の善意を裏切り,大勢の命を奪った……。何という恐ろしく愚かで悲しい罪を犯してしまったのでしょう。さような罪に内親王さまを駆りたてたのは私にございます。ですから私は内親王さまのおそばにいてはならぬのです。もはやお仕え申しあげることはできますまい。ゆえにお望みどおりにお殺めくださいませ」
短刀を握る,血で汚れた小さな手を両掌につつみ,自らの胸もとに導く。
幼な子が微かな声を漏らし,円らな瞳より涙を流した。
もわりとした風圧を感じた。
内親王と私との間隔がひき離され,ぴょうと旋風がわって入る。黒い物体が内親王を弾き飛ばし,幾度か転がったのち動きをとめた。白目を剝いて泡をふく時親が手足を投げだし倒れているのである。
「姫君さま! ああ,どうしましょう! 姫君さま,姫君さま! どうか,お気を確かにおもちくださいませ!」
足柄に激しく揺さぶられた。
胸に刺さる短刀が滑りおちると同時に干からびた白蛇の頭部も落下した。私を守るため頼成の術に分断された蛇雄の頭を,供養する機会も逸するまま懐におさめながら携帯していたのである。
「姫君さま!」
足柄が満面の笑みを咲かせた。
「蛇雄でございますよ! 蛇雄が救ってくれたのでございます!」
衣の下を検めると傷跡一つない。
「陰陽師たちの攻めに手こずりまして,お助けするのが遅れました。誠に申し訳ございませぬ」
私――どうかしていた。
生の喜びを嚙みしめるのも束の間,新たな懸念が押し寄せる。視線を走らせば,信長の腕に抱かれてこちらを見つめる内親王の姿に行きついた。
「よかった,御無事であった――」
今度は足柄の手をひき寄せる。
「駄目じゃないの――上さまの御娘を攻撃したりしては」
「一向に頓着いたしませぬ。足柄は姫君さまとテイさまをお守りするためなら,今上天皇をも頼通さまをも害してやるのです――」
「足柄――」
華奢な身体を抱擁する。陰陽師や武官との攻防により,激昂した心情が穏便ならぬ発言を繰りださせているのである。
「よくって――足柄は内親王さまに何もしていないのよ。時親さまが対戦中に気絶して制御不能の身体を内親王さまにあててしまっただけ。いいわね,そうなのよ――」
「望子殿!――」
信長が声を張りあげた。
「もはやこれまで! 降参されませい!」
「主君の誤りに際し諫言するのが真の忠臣の役目ではありませぬか。己が忠臣だと胸を張れますか」
そう返答すれば,若い信長は視線を泳がせた。
私が横たわる俊通に駆け寄ったのを合図のように,足柄は私と俊通を抱え,飛翔するなり,呪文を唱えて一帯に暗幕をかけた。その隙に鬼殿内部に避難する。
俊通の出血は多く,既に脈も微弱であった。
「ねえ――」
と,私が言った途端,次の言葉を察する足柄は頻りに首を横に振る。
「お願い,戻って頼通さまにお伝えして! 殿でなければ事態を収拾できないもの! 早く薬師に見せなけば,この方が――」
「いやです! なりませぬ! 足柄は何処にも参りませぬ! 私めはここに伺候しております! 姫君さまのおそばにおらねばならぬのです!」
「聞いて――」
足柄の両手をとり,つつみ隠していた罪業をうちあける。
「いずれ兄上にも話すつもりなの。私は不用意に誰かの手に落ちたりしない。自ら望まぬ限りは――」
足柄の両眼が震えた。
「あの夜も自ら望んで汚れることを選んだ。自ら望んで罪を犯してしまったの。だから兄上も足柄も思い悩むのはもうやめて。自分たちを責める必要はないのよ」
足柄を立たせた。
「私は大丈夫。この身は私自身で守ってみせるから!」
深々と頭をさげて,鮮やかな唇を真一文字に結ぶと,艶やかな姿は忽ち殿舎の建具の影に紛れてしまう。
「なんだ,その目は? 何ゆえ,さような目をむけるのだ? もしや,咎めておるのではあるまいな。誰も麻呂を咎めることなどできぬぞ――」
内親王が懐から何かをとりだす。紙屋紙である。紙に書かれた文字を視線で辿り,
「祐子の言は朕の命なり 敦良」
と,高く掠れ気味の発声を真似てから,筆跡をこちらへ見せて満悦の表情をつくる。
「これが何か解せよう?」
言うまでもなく後朱雀天皇の真跡である。手慰みの際に内親王が戯れかかり,天皇に書かせたものであった。
「おまえも覚えておろう? 麻呂の申すとおりに,上さまは喜ばれてお書きくださった。何ぞやの折につこうてやろうと思い,下賜された御手をしもうておったのじゃ。これを見せれば,たちどころにみな平伏し,麻呂の仰せに従ったぞ。信長も,おまえをとらえるための兵や陰陽師を首尾よく調達してくれたわ。麻呂の言は帝の命なり!――誰が麻呂を咎めることなどできようや!」
「此度の騒ぎを仕組まれたのは内親王さまでございましたか――」
幼な子へと近づき,その目線におりた。
「貴いお方は徳あるゆえに貴いのです。それなのに私1人をとらえるために,人々の善意を裏切り,大勢の命を奪った……。何という恐ろしく愚かで悲しい罪を犯してしまったのでしょう。さような罪に内親王さまを駆りたてたのは私にございます。ですから私は内親王さまのおそばにいてはならぬのです。もはやお仕え申しあげることはできますまい。ゆえにお望みどおりにお殺めくださいませ」
短刀を握る,血で汚れた小さな手を両掌につつみ,自らの胸もとに導く。
幼な子が微かな声を漏らし,円らな瞳より涙を流した。
もわりとした風圧を感じた。
内親王と私との間隔がひき離され,ぴょうと旋風がわって入る。黒い物体が内親王を弾き飛ばし,幾度か転がったのち動きをとめた。白目を剝いて泡をふく時親が手足を投げだし倒れているのである。
「姫君さま! ああ,どうしましょう! 姫君さま,姫君さま! どうか,お気を確かにおもちくださいませ!」
足柄に激しく揺さぶられた。
胸に刺さる短刀が滑りおちると同時に干からびた白蛇の頭部も落下した。私を守るため頼成の術に分断された蛇雄の頭を,供養する機会も逸するまま懐におさめながら携帯していたのである。
「姫君さま!」
足柄が満面の笑みを咲かせた。
「蛇雄でございますよ! 蛇雄が救ってくれたのでございます!」
衣の下を検めると傷跡一つない。
「陰陽師たちの攻めに手こずりまして,お助けするのが遅れました。誠に申し訳ございませぬ」
私――どうかしていた。
生の喜びを嚙みしめるのも束の間,新たな懸念が押し寄せる。視線を走らせば,信長の腕に抱かれてこちらを見つめる内親王の姿に行きついた。
「よかった,御無事であった――」
今度は足柄の手をひき寄せる。
「駄目じゃないの――上さまの御娘を攻撃したりしては」
「一向に頓着いたしませぬ。足柄は姫君さまとテイさまをお守りするためなら,今上天皇をも頼通さまをも害してやるのです――」
「足柄――」
華奢な身体を抱擁する。陰陽師や武官との攻防により,激昂した心情が穏便ならぬ発言を繰りださせているのである。
「よくって――足柄は内親王さまに何もしていないのよ。時親さまが対戦中に気絶して制御不能の身体を内親王さまにあててしまっただけ。いいわね,そうなのよ――」
「望子殿!――」
信長が声を張りあげた。
「もはやこれまで! 降参されませい!」
「主君の誤りに際し諫言するのが真の忠臣の役目ではありませぬか。己が忠臣だと胸を張れますか」
そう返答すれば,若い信長は視線を泳がせた。
私が横たわる俊通に駆け寄ったのを合図のように,足柄は私と俊通を抱え,飛翔するなり,呪文を唱えて一帯に暗幕をかけた。その隙に鬼殿内部に避難する。
俊通の出血は多く,既に脈も微弱であった。
「ねえ――」
と,私が言った途端,次の言葉を察する足柄は頻りに首を横に振る。
「お願い,戻って頼通さまにお伝えして! 殿でなければ事態を収拾できないもの! 早く薬師に見せなけば,この方が――」
「いやです! なりませぬ! 足柄は何処にも参りませぬ! 私めはここに伺候しております! 姫君さまのおそばにおらねばならぬのです!」
「聞いて――」
足柄の両手をとり,つつみ隠していた罪業をうちあける。
「いずれ兄上にも話すつもりなの。私は不用意に誰かの手に落ちたりしない。自ら望まぬ限りは――」
足柄の両眼が震えた。
「あの夜も自ら望んで汚れることを選んだ。自ら望んで罪を犯してしまったの。だから兄上も足柄も思い悩むのはもうやめて。自分たちを責める必要はないのよ」
足柄を立たせた。
「私は大丈夫。この身は私自身で守ってみせるから!」
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