月夜のモノガタリヒメ

たそかれぼたん生雨(きう)

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27 痛快,クツヌゲノキミ!

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 荒廃する外観とは異なり,真新しい藺草いぐさで編まれた畳上には微塵の塵もなく,厨子棚や二階棚,唐櫃,脇息や円座などの調度類は平常使用されているかのように手入れされている。いつの間に誰が灯したのか,大殿油の火に浮かびあがる台盤には提子や盃,破子などが整えられているのであった……
 俄に外が騒がしくなる。合戦が再開されたようである。頼通のさしむけた軍兵が到着したのかもしれない。
 意識のない俊通の身体をあたためながら息を殺しているうちに,よく通る声で名を連呼された。声の主は援軍であると主張し敵兵を平定したゆえ安堵せよと繰り返す。
 血の気の失せた俊通の面が躊躇をすぐさま断ち切った。濡れ縁へ出ていけば,庭に屈強そうな体格の男衆が立ち並んでいる。
「怪我はないか?」
 私の名を呼んでいた声の主が男衆の先頭で松明を掲げた。
「能信さま!」
 赤黒く火照った頰がわずかに緩む。
 事情を話し,俊通の救命を急いでもらった。
「足柄から助力を頼まれたのですか?」
 能信が怪訝な顔つきをする。
 いきなり男衆が女人のような悲鳴をあげた。挙って目をおおい,這いつくばって逃亡をはかる。
「出たぞ,怨霊だぁ!」
 透渡殿に長身で眉目秀麗な貴公子が佇んでいた。
「クツヌゲノキミ!――」
 私が叫ぶと,貴公子は手を振り返した。
 彼は幼少時代の友であり,笙の師匠でもあった。沓が常に脱げかけであるために,クツヌゲノキミと愛称していたのである。人目を盗んで鬼殿に通い詰めた童女と彼との親交は,父孝標の上総赴任まで続いた。
「そなたも早う来い!」
 能信に抱きあげられて鬼殿を後にする。
「幼きころのように,遊びにいらっしゃれ」
 クツヌゲノキミが呼びかける。
 振り返れば,急速にのびる蔦の群れが四足門の扉をおおい隠そうとしていた。
「恐ろしきものを見てしまった。穢れを祓わねばなるまいな」
 能信が,走る足もとめぬまま早口で言った。
「恐ろしきもの? 何処が恐ろしいのでしょう? 見目麗しき若人ではございませぬか」
「そなたの目には,さようなありさまに映っておるのか。ほかの者には醜悪以外の何ものでもないのに――火の粉を散らす目尻はつりあがり,毒気を吐く口は耳までさけて,肉の襞には吸血蜘蛛や蠍を養いながら,胴や手足は波打つほどに肥えている。国中の相撲取りを集めても,あれより肥えた者はおるまい。まさに鬼じゃ。鬼殿の主,三条中納言朝成卿の成れの果てよ」
「クツヌゲノキミが朝成卿……」
「いかにも,我ら一族を祟っておる大怨霊朝成卿とはあれのこと――その怨霊にかつて二十余歳の俺は捕まった。胆力くらべの遊び心より鬼殿を訪れたのが一巻の終わりだったのだ。悔やんだところで已んぬるかな。ちょうど殺されかけたとき,ある女児がやってきた。女児に残忍な所業を見せるのを恥じたのだろう。怨霊は女児に免じて許してやると俺を解き放ってくれた。その女児とは幼き時分の望子殿――そなただ」
 能信の瞳を覗きこむ。戯れではないようである……
「つい先ほど微睡んでいると,朝成卿が夢枕に立ったのだ。即刻兵を集めて鬼殿へ参り,命の恩人に報いよと俺の首を絞めるではないか」
「それで能信さまがクツヌゲノキミのお屋敷にいらしたのですね」
「やはり忘れておるのか。つまらぬのう――」
 顔面を接近させる。
「俺は約束したのだ。命を救ってくれた礼として,大人になったそなたを北の方に迎えると」
 浅黒い顔を押しのけ,熱のこもる腕から飛びおりる。無我夢中で月光の降り注ぐ西洞院大路を駆け抜けた。
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