漆黒の騎士と紅蓮の皇帝

太白

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騎士サイドⅥ 涙

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「どちらへ行かれるのですか、陛下」
 すたすた、すたすたと早足で歩いていく陛下の御背中に問うと、
「いいから、我に着いてこい、我の書斎へ行くぞ」
との御返事があった。
 陛下の書斎など、私のような者が軽々に入っていいところでは、もちろんない。
 先生に見つかりでもしたら「そんなに首と胴を二分したいらしいな」と剣を抜かれてしまう。かと言って、陛下に従わないという道はない。
 そうこうしているうちに、書斎へ辿り着いてしまった。

 一応書斎に入る前に、付近に人の気配はないか、確認してから素早く室内へ。
 先に中で待っておられた陛下は、執務机とセットになっている、立派な革張りの椅子の背に、夜会用の衣装の上着を置いておられた。
 ふぅ、という小さなため息を聞き逃すような私ではない。
「陛下、申し訳ございません……。陛下の御御足を引っ張るようなことは、したくはなかったのですが。ですが、あそこまで言われると……」
 こんなもの、ただの言い訳だ。自制のきかなかった己のせいで、陛下にいらぬ御迷惑をおかけしてしまった。きっとあのご婦人方は、今頃陛下の陰口も叩いているに違いない。
 醜悪。
 煌びやかな外見のその腹の中は、この世のどんな生き物よりも醜い。
 そして、そんな存在如きに反応してしまった己の弱さこそが最も不快で、酷く悔しかった。
 再びギリギリと奥歯が軋む。強く強く握りしめたままの拳が震える。

「うむ。其方はよく頑張った。さすが我が騎士候補生だな。我としても鼻が高いぞ」

 え、と呆気に取られて顔を上げると、次の瞬間には、ふわりと抱き締められていた。
 陛下が、私を? 抱き締めて? え?
 混乱が脳髄の中を駆け巡る。

 ぽんぽん。

 激しい混乱の真っ只中の私の背中を、陛下の御手が、幼子をあやすように、優しく叩いた。
 もう駄目だった。必死に堪えていたものがすべて溢れ出してしまうようだった。せめて声だけでも押し殺したいのに、嗚咽が止まらない。自分が縋りついて泣いている相手は陛下であると、こんなことは不敬の極みであると、分かっているのに。
 この一年半で多少は強くなったと思っていたのに、そんなことはなかった。
 否定するしない以前の問題だ。
 受け入れてなんていなかった。変われてなんていなかった。
 変わったと思っていたものは、所詮上っ面だけで。
 「私」はあの日の「あたし」のまま。
 貧民街の小汚い小娘のまま。

 悔しい。

 口さがない女達。小馬鹿にしてくる視線。侮蔑。穢らしいものを見るような目。
 何もかもが悔しかった。
 そして何よりも。
 ちっとも強くなんてなれていなかった自分。感情を完全にコントロールできない自分。こうして敬うべき陛下に、縋りつき泣いている自分。溢れ出した涙を止められない自分。
 悔しい。悔しい、悔しい、悔しい。
 どうして、私は、こんなにも。

 どれぐらいの時間、そうしていただろう。
 五分だろうか? 十分? もっと長く?
 時間の長短など関係ない。私は、私はなんてことを。
 慌てて陛下から身を剥がす。
「も、申し訳ございません、陛下! 私としたことが、どう償えば……」
 深く深く、頭を下げる。顔から血の気が引いていくのを感じた。
「構わん。其方はよく耐えた。あそこで泣き出されたら、さすがの我でも収まりがつかなかったからな」
 くすり、と笑う気配がした。
 陛下が、笑ってくださった……?
 あの陛下が……?
 驚きと混乱と申し訳なさと色々な感情がぐるぐるぐるぐる。
「面を上げよ。其方は葉巻は吸うか。なんなら分けてやるぞ?」
 許しを得たので顔を上げると、悪戯っぽい笑みを浮かべた己の主君がいらっしゃった。
 このようなお顔もされるのか……。
「はっ、ありがたい御言葉ですが、陛下、私はこれでも候補生の端くれですから……」
 いけないいけない、呆けた顔を晒してしまうところだった。
 そんな私の状態を知ってか知らずか、
「うむ。そうであったな、すまない。このような類いの嗜好品は、「百害あって一利なし」だからな。やらないのであればやらない方がよい。我も無理には勧めんよ。では紅茶などはどうだ? 珈琲もあるが、今の時間に飲むと我、眠れなくなるからな」
 これまでお見かけしたどの表情よりも柔らかく、それでいて少し少年めいた御言葉だった。
 つられて、私の顔も緩んでしまう。

「陛下も、可愛らしいところがあるのですね」
「まあな。我も皇帝であるが、ひとりの人間であることに変わりはない。怒ることもあれば泣くこともある」
「陛下ほどの御方でも、泣かれるのですか」
「貴様、我を今までどういう人間だと思っていたのだ。我にも喜怒哀楽の感情ぐらいは、備わっておる。ただ普段はあまりそういったものを見せぬだけだ」

 そんな会話をしつつ、私は、特別に美味しくなれと思いながら、ゆっくりと紅茶を用意したのだった。
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