漆黒の騎士と紅蓮の皇帝

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皇帝サイドXIII

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    白薔薇の騎士Ⅴ

「………………あの、ユールさんが、『黒薔薇の騎士』だったの?」
「ええ、そうよ」
「じゃあどうして今は行商人なんかやってるの? 『黒薔薇の騎士』の称号を与えられるってことは、相当強かったんだよね?」
「そうね、強かったわ。私なんか、彼に勝てたこと一度もないのよ」

 リリィが勝てない人。よっぽど強かったんだね。でも、それなら、どうして騎士を辞めてしまったんだろう。僕が黙っていると、

「レックス。今から十ヶ月ほど前のこと覚えてる?」
「十ヶ月ほど前? 確か今の戦争が膠着化したぐらいだよね? お父さんも忙しそうだったよ?」
「そう、この戦争が泥沼に入った時期よ。その日は私達三騎士が陛下と今後の行末について、話していたところだったんだけどね——」


 その日、私達三騎士は陛下のもとで、今後の戦争について話していた。

「今、我々がなすべきことは速やかな戦争終結です」

 ユールがそう陛下に進言する。

「うむ、そうだな。これ以上戦争を続けていても民は苦しむだけだ。我は民衆の苦しむ姿をこれ以上は見ていることはできぬ。ときに、ユールよ。貴殿なら、この戦争をどのように終わらせる?」

 ユールはしばらく考えた後、

「そうですね、まずは西部戦線を撤退させましょう。あそこに配置されている軍は確かに強力ですが、このままでは、兵站、弾薬が持ちません。聞いた話では、野戦病院もかなり大変だとか。本来のトリアージが意味をなさなくて、逆のことを行なっているようです」
「つまりは、どういうことだ?」
「通常の医療現場をイメージしてください。陛下が医者なら、軽傷の者と、重傷の者、どちらを優先して治療にあたりますか?」
「ふむ……そうだな、我が医者ならまず重傷患者を助ける。そしてその後に軽傷患者を助けるな」

 そこに流れる少しの沈黙。それを破ったのは陛下だった。

「あ、……もしや、此度の戦争では——」
「そうです、陛下、戦場では重傷患者は役に立ちません。そこで、軽傷の者を先に治してしまい、再び最前線に送りこむのです」
「なるほど、そうであったか」
「はい、私も先日、西部の野戦病院を視察して参りましたが、地獄絵図でした。陛下、あちらではすでに、のですよ」

 麻酔がない。それは即ち、患者を麻酔なしで手術することを意味する。考えただけで恐ろしい。私は普段宮殿にいることが多いから、そのあたりはよく知らなかった。

「では、戦争終結に向けてでき得る限りのことをするよう、取り計らう」
「陛下に私の言葉が届いたようで、なによりです。それでは私たちはこれにて失礼します」

 私達が陛下のもとから去ろうとしたそのとき、本来開けられることのないはずの目の前の扉が勢いよく音を立てて開いた。

「動くな! やはり宮殿は人手不足のようだな」

 こんなところに軍人。それもひとりではなく、数十人。確か陛下は今日は軍人との謁見の予定はなかったはず。だとしたらこれは——

「やっぱり間に合わなかったか。時間切れかな」

 ユールがため息をもらす。そして、レイピアを構える。
 そう、これは軍事クーデター。私もいつか起こるとは思っていたけれど、まさか、よりにもよってこんなときに。

「陛下。ここは私たち三騎士にお任せください。陛下は御子息を連れてどこか安全なところへ」

 このような状況でも、ユールは動じない。私とヨーデルも急いで、レイピアを構える。

「分かった、この場は貴殿らに任せる。任せるが、命の危険を感じたら、即刻逃げてくれ。今この場所では撤退こそが最善の策」
「ありがたき、御言葉。でも私は『黒薔薇の騎士』。そう易々と首が飛ぶことはないでしょう」

 私達が軍人と対峙している間に、陛下は行ってしまわれた。

「ユール、私達三人で勝てるかしら」

 私がうっかり、本音をもらす。

「リリィ、君はふたりを葬ってくれ。そして、兄さんは五人。できるかな? あとは僕がまとめて相手する」
「ユール、何言ってるの? それじゃあ、まるで——」
「おっと、僕も安く見られたものだね。僕はこれでも『黒薔薇の騎士』だよ」
「そうだったわね、ごめんなさい。では、ヨーデル、私達は」
「私たちで」
「「最善を尽くそう」」

 はぁ、はぁ。普段は決闘しか慣れていない私にとって、軍人ふたりを相手するのは少しつらかった。ヨーデルもなんとか七人をやっつけたみたい。流石は『青薔薇の騎士』。奇跡を起こす男。でも、それより、ユールは——、

「ふう。残すはあとひとりか。ここが最後の踏ん張りどころだね。リリィ、兄さん、邪魔しないでくれよ」

 ガシャン。レイピアの音が鳴り響く。ヨーデルと違い、ユールの剣戟は軽い。だが——

「???!!!」

 油断した相手に次の一撃が、そしてまた次の一撃が飛んでくる。そう、ユールは手数の多さで勝負する。今まで何人もの軍人を相手してきたのにも関わらず、額には汗すら流してはいない。

「これで、終わりかな。あは、興醒めな幕切れだったね」

 そう言って、ユールのレイピアは軍人の胸を貫く。どうやら勝負はあったらしい。

「さて、僕たちも陛下と合流しよう。今ごろなら確か陛下と御子息は——」

 クーデターは失敗に終わった。私達もここを離れよう。そう思っていたとき、

 パァン。

 静寂を引き裂くような鋭い音。私には一瞬、何が起こったのか、よくわからなかった。きっとユールも、ヨーデルもそうだったと思う。だが、それは——さっき、倒したはずの軍人のリボルバーから放たれた弾丸は、ユールの左腕を貫いていた。
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