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サチとサンジン様

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 上原は帰宅し、家に置いてある電話帳を捲った。

「浜西、はまにし……」

 目当ての電話番号が走り書きしてある。

 浜西とは二年程前、三野町の町長が代わった際会ったきりだ。どんな顔だったかすら覚えていない。誰でもいい。浜西は上原にとっての藁だった。

 さっそく電話をかける。残念ながら留守だった。町内会で交換し合う番号はたいてい固定電話なので、留守の場合相手が帰宅するまで繋がらない。こうなるなら、携帯電話も交換しておくべきだった。

「おおい」

 隣の部屋から上原を呼ぶ声がした。上原の父だ。今年卒寿を迎えたが、大きな病気もなく家で静かに暮らしている。

「どういたが?」

 部屋に行くと、父がマッチを手にこちらを向いていた。

「線香がのうなった」
「買い置きしちょったがよ」

 そう言って仏壇の引き出しを開けたが、空だった。今使っているのが買い置きの最後だったらしい。上原が眉を寄せる。

「夕食を買うついでにそれも買うき、ちっくとばぁ待って」
「分かった」

 どうせ浜西への連絡は時間を置かなければならない。父を妻に任せ、上原は再度外へ出ていった。

 車を走らせ、最寄りのスーパーに向かう。いつもなら山に沿う道路を使うが、最近は遠回りをしている。あまり視界に入れたくなかった。

──見ただけでどうにかなるなら、この辺りの町民全員おかしくなっちゅうねや。

 自分でも理解しているが、気になるものをわざわざ見て気分を害する必要も無い。

 スーパーの駐車場に車を停め、中に入る。相変わらず老体には堪える広い店だ。

 車で十分のここは住んでいる郡で唯一の大型スーパーで、たいていの日用品なら揃えられる。田舎は嫌だと出ていった息子はインターネットで服を購入していたが、上原たちはスーパーにテナントで入っている服屋で済ませていた。

 娘は五年前に結婚して隣県に引っ越した。父から継いだ町長だが、次は違う家に頼むしかなさそうだ。

 こうした日々の小さなことが積み重なって、最近は体のあちこちが痛むようになった。主治医からはストレスを溜めないようにと言われている。

 そこにサンジン様の件ときた。知らず、ため息が漏れてしまう。

「あらぁ、町長さん。こんばんは」
「こんばんは」

 町内会の集まりで会う女性に会った。川を挟んで向かいの通りの四軒先に住んでおり、集まりにはよく夫婦で参加している。

「いつもお疲れ様です」
「いえ、町長の役目ですき」

 上品な物言いに安心しつつ、会釈をして別れる。

 買う物は決まっているのでさっさと済ませよう。

 牛肉とキャベツ、それに線香をカゴに入れる。ビールに手が伸びるが、止めた。

 アルコールは百害あって一利無しと妻に言われている。禁煙の方はまだ完全に出来ていないが、家の中では吸っていない。

 代わりに炭酸ジュースを取る。ビールよりは文句を言われないだろう。

 寄り道せず帰宅する。上原の父は待ってましたとばかりに線香を玄関で受け取り、そそくさと部屋へ行ってしまった。

「おかえりなさい」

 妻は台所で味噌汁を作っていた。買い物したものを渡すと、さっそく炒めると言ってくれた。

 仏間に行けば線香の煙が充満しており、仏壇の横にある換気扇を回す。

「宗一」

 熱心に手を合わせていた父が上原に向き直る。

「町長の仕事は順調かよ」
「偏屈な人はほとんどおらんき、楽なもんよ」

 父は十五年前まで阿河町の町長をしていた。大真面目で、サンジン様の祠にも自ら足を運び、せっせと掃除をしていた。

 上原の代になってからも最初こそ掃除をしていたが、どうにも山の中が怖くて、上原がしなくなれば誰も寄り付かぬ場所となった。

 父は今でも山の掃除をしていると思っている。上原が止めたことを伝えていないからだ。

 申し訳なくて、町内会の役員に声をかけて供え物だけ持っていってもらっているが、ただそれだけで、サンジン様の怒りは蔑ろにしている自分の所為ではないかと怯えている。

「サンジン様は恐ろしい神様やき、大切にせんといかん」

 その言葉に、上原が目を丸くさせた。

 てっきり、父はサンジン様を大切に想っているから山へ通っているものと考えていた。

 順序が逆だった。大切に想っているのではなく、恐ろしいから大切にしていたらしい。

 言われてみれば、町長を下りた途端、サンジン様の掃除をしなくなった。父にとっても、したくないことだったらしい。

──何故、サンジン様が恐ろしいと思うようになったんだったか。
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