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サチとサンジン様
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「たまるか! まっこと恐ろしい気が、山の中に紛れ込んじゅう」
町長が数珠を大袈裟に擦って言った。窓を閉め切った公民館の中は、昼間だというのに薄暗い。周りの大人たちが顔を見合わせる。
「生贄の効力が切れたがよ」
「そんなん言われても、今の時代どうしたらえいか」
昔は持ち回りで女児を捧げていたと記録にあるが、それと同じことは到底出来やしない。
他に相応のものを捧げるべきか。人間と同等なものなどなかなか思いつかない。
「拝み屋さんにお願いして、どうにかしてもらおう」
一人の提案に男たちが賛同する。誰しも、目の前の問題事を解決したいが、自分を犠牲にはしたくないものだ。
「ほいたら、岩間のばあさんがそういう類は得意やろう」
「ああ、生き字引の」
「明治生まれの?」
「それはさすがに言い過ぎじゃ」
さっそく、町長ともう一人が代表で岩間の家に行くことになった。
岩間は阿河町の端に住んでいる。家の前が川、後ろが山で囲まれており、まるでそこだけ切り取られたように一軒だけぽつんと建っている。岩間の夫が建てたらしいが、すでに他界しているので理由は分からない。
「まだ九月も終わらんのに、ひやいのぉ」
町長が半袖から伸びた腕をさする。
いくら夏が終わったといっても、まだ陽が傾いた程度の時間では二十度以上あるはずだ。
近くに民家が無いからか、山から風でも吹いてくるのか、どちらにせよ早く用を済ませて帰りたい。
岩間の家が見えてきたが、中は暗く、人がいる様子はない。
「……生きちゅうが?」
「正月の新年会で顔は見ましたけんど」
はっきり言って、岩間の顔も声も町の全員が知っていると言っても過言ではないのに、彼女と交流があるものはいない。彼女の家の位置がすでに物語っている。町内会としては高齢者の定期的な生存確認をしなければならないのだが、彼女自身がそれを拒否しているのだ。
ここまで来て引き返すわけにもいかない。何かお土産を持って帰宅しなければ。意を決して引き戸を叩いた。
「こんばんは。岩間さん?」
引き戸の横には札が一枚貼られている。神社で祈祷をしてもらったものだろう。
しばし待ってみるが応答は無い。外れか。また明日訪問しよう。そうして踵を返そうとしたところで、部屋の窓ががらりと開いた。ぬうっと老婆が顔を半分出す。
「誰じゃ」
皺枯れた、低い声だった。一瞬の間を置いて、町長が慣れた笑顔を作る。
「こんばんは、上原です。突然すみません。お聞きしたいことがありまして」
それには答えず、顔を引っ込めた岩間が玄関の引き戸を開けた。中の様子を見て、二人の顔が強張る。玄関から見える壁に、外と同じ札が数十枚もびっしり貼られていた。
「早う用件を言え」
「どうもどうも。実は諸事情で拝み屋さんを呼ぶことになりまして。長く住んじゅう岩間さんならご存知やろうと参った次第です」
岩間は随分と曲がった腰に右手を当てながら、百を超えている割にはふさふさしている白髪を揺らして顔を上げた。
「サンジン様か」
拝み屋という一言で原因を当てられたが、町長たちは驚かなかった。阿河町で問題が起きたとすれば、サンジン様だと年寄り勢なら誰でも予想が付く。町長が気まずそうに薄くなった頭を掻いた。
「そうです。最近、この辺りだけ地震が頻発しちゅうがです。やき、サンジン様が怒っちゅうかもしれんと思いまして……」
「ふん……あれから大分経つき」
あれからというのは、最後に生贄が捧げられたことを差すのだろう。
「待っちょれ」
二人は大人しく従った。五分程して、岩間が紙を持って戻ってきた。
「ほれ、拝み屋さんの連絡先じゃ」
「有難う御座います!」
何度も頭を下げると、岩間は暗い表情のまま言った。
「くれぐれも、サンジン様の機嫌を損ねてはいかん」
「分かりました」
上原たちが上機嫌で岩間宅を去ると、岩間は玄関先に札を二枚追加で貼り、厳重に鍵を閉めた。
「拝み屋さん、話を聞いてくださるだろうか」
「聞いてもらわないかん。我々だけでは何も出来ん」
「いつ行くが?」
本音を言えば、今すぐ縋って任せてしまいたい。いくら町の代表者だと言っても、人間の域を超えたものを相手に身を挺して町民を守るまでの義務は無い。
「三野町はどう言っちゅう?」
上原が縋るように聞いた。
サンジン様の山と隣接する町は、令和の今、阿河町と三野町の二つだけになっている。昭和までは四つ存在したが、合併されて現在の形となった。祈祷師を訪ねて対応してもらうとなれば、三野町の意見も聞く必要がある。
「なんも。地震が三野で起こっちょらんなら、サンジン様が怒っちゅうがも知らん可能性もある」
「それは困った」
責任は分散させた方が、個々の重しが減っていい。そもそも自分たちが原因ではないのだ。上原が提案する。
「今の町長は浜西さんと言ったか。俺から連絡するねや」
「おお、ありがたい。頼みます」
これからのことを考えれば、連絡することくらい小指の先くらいの手間だ。
町長が数珠を大袈裟に擦って言った。窓を閉め切った公民館の中は、昼間だというのに薄暗い。周りの大人たちが顔を見合わせる。
「生贄の効力が切れたがよ」
「そんなん言われても、今の時代どうしたらえいか」
昔は持ち回りで女児を捧げていたと記録にあるが、それと同じことは到底出来やしない。
他に相応のものを捧げるべきか。人間と同等なものなどなかなか思いつかない。
「拝み屋さんにお願いして、どうにかしてもらおう」
一人の提案に男たちが賛同する。誰しも、目の前の問題事を解決したいが、自分を犠牲にはしたくないものだ。
「ほいたら、岩間のばあさんがそういう類は得意やろう」
「ああ、生き字引の」
「明治生まれの?」
「それはさすがに言い過ぎじゃ」
さっそく、町長ともう一人が代表で岩間の家に行くことになった。
岩間は阿河町の端に住んでいる。家の前が川、後ろが山で囲まれており、まるでそこだけ切り取られたように一軒だけぽつんと建っている。岩間の夫が建てたらしいが、すでに他界しているので理由は分からない。
「まだ九月も終わらんのに、ひやいのぉ」
町長が半袖から伸びた腕をさする。
いくら夏が終わったといっても、まだ陽が傾いた程度の時間では二十度以上あるはずだ。
近くに民家が無いからか、山から風でも吹いてくるのか、どちらにせよ早く用を済ませて帰りたい。
岩間の家が見えてきたが、中は暗く、人がいる様子はない。
「……生きちゅうが?」
「正月の新年会で顔は見ましたけんど」
はっきり言って、岩間の顔も声も町の全員が知っていると言っても過言ではないのに、彼女と交流があるものはいない。彼女の家の位置がすでに物語っている。町内会としては高齢者の定期的な生存確認をしなければならないのだが、彼女自身がそれを拒否しているのだ。
ここまで来て引き返すわけにもいかない。何かお土産を持って帰宅しなければ。意を決して引き戸を叩いた。
「こんばんは。岩間さん?」
引き戸の横には札が一枚貼られている。神社で祈祷をしてもらったものだろう。
しばし待ってみるが応答は無い。外れか。また明日訪問しよう。そうして踵を返そうとしたところで、部屋の窓ががらりと開いた。ぬうっと老婆が顔を半分出す。
「誰じゃ」
皺枯れた、低い声だった。一瞬の間を置いて、町長が慣れた笑顔を作る。
「こんばんは、上原です。突然すみません。お聞きしたいことがありまして」
それには答えず、顔を引っ込めた岩間が玄関の引き戸を開けた。中の様子を見て、二人の顔が強張る。玄関から見える壁に、外と同じ札が数十枚もびっしり貼られていた。
「早う用件を言え」
「どうもどうも。実は諸事情で拝み屋さんを呼ぶことになりまして。長く住んじゅう岩間さんならご存知やろうと参った次第です」
岩間は随分と曲がった腰に右手を当てながら、百を超えている割にはふさふさしている白髪を揺らして顔を上げた。
「サンジン様か」
拝み屋という一言で原因を当てられたが、町長たちは驚かなかった。阿河町で問題が起きたとすれば、サンジン様だと年寄り勢なら誰でも予想が付く。町長が気まずそうに薄くなった頭を掻いた。
「そうです。最近、この辺りだけ地震が頻発しちゅうがです。やき、サンジン様が怒っちゅうかもしれんと思いまして……」
「ふん……あれから大分経つき」
あれからというのは、最後に生贄が捧げられたことを差すのだろう。
「待っちょれ」
二人は大人しく従った。五分程して、岩間が紙を持って戻ってきた。
「ほれ、拝み屋さんの連絡先じゃ」
「有難う御座います!」
何度も頭を下げると、岩間は暗い表情のまま言った。
「くれぐれも、サンジン様の機嫌を損ねてはいかん」
「分かりました」
上原たちが上機嫌で岩間宅を去ると、岩間は玄関先に札を二枚追加で貼り、厳重に鍵を閉めた。
「拝み屋さん、話を聞いてくださるだろうか」
「聞いてもらわないかん。我々だけでは何も出来ん」
「いつ行くが?」
本音を言えば、今すぐ縋って任せてしまいたい。いくら町の代表者だと言っても、人間の域を超えたものを相手に身を挺して町民を守るまでの義務は無い。
「三野町はどう言っちゅう?」
上原が縋るように聞いた。
サンジン様の山と隣接する町は、令和の今、阿河町と三野町の二つだけになっている。昭和までは四つ存在したが、合併されて現在の形となった。祈祷師を訪ねて対応してもらうとなれば、三野町の意見も聞く必要がある。
「なんも。地震が三野で起こっちょらんなら、サンジン様が怒っちゅうがも知らん可能性もある」
「それは困った」
責任は分散させた方が、個々の重しが減っていい。そもそも自分たちが原因ではないのだ。上原が提案する。
「今の町長は浜西さんと言ったか。俺から連絡するねや」
「おお、ありがたい。頼みます」
これからのことを考えれば、連絡することくらい小指の先くらいの手間だ。
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