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片山
視えるもの
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由里子が恐る恐る男へ話しかける。
「あの、貴方は何を指しているのですか?」
その問いには答えず、男は姿を消してしまった。
「あ!」
駆け寄るが、人がいた気配はすっかり無く、穏やかな風が流れるだけだった。
「あの人は味方なの? それとも──」
その時通り抜けた風がやけに寒くて、我返った由里子が玄関に滑り込んだ。
「分からない、けど、彼も家には入れてはいけないわ」
真上にある札に向かって両手を合わせる。
「もしかしたら、この札のことを指していたのかも。札があるから入れないぞって。それだったら、やっぱり私や家族を狙って……?」
顔色を悪くさせてリビングに戻る。ブランケットを棚から引っ張り出してソファに座った。
「やだやだ。これ以上一人で考えても仕方ないわ」
そうこうしているうちに正章が帰ってきた。リビングから覗いた限りでは袴の男はいなかった。
「おかえり。きなこ大人しかった?」
「うん。全然吠えないし、走らないよ。すごいイイコ」
珍しく満面の笑みで帰宅した息子に、母も同じ顔をさせた。
──犬を飼ってよかった。
「ようし、足綺麗になったよ。部屋で遊ぼ」
新しい兄弟が出来たようで、正章が甲斐甲斐しく世話をする。玄関を上がってリビングに入る前、きなこが一声鳴いた。
「わぁ、急に元気になった」
正章が笑いながらきなこをケージに入れる。
「お母さん。そろそろケージ以外でも遊ばせていいかな」
「一週間経ってないけどだいぶ慣れてきたみたいだから、ちょっとくらいは平気かもね。明日出してみようか」
「やった」
「美結が五月蠅く言うから、一週間経つまでは美結がいない時にね」
由里子が天井を指差しながら言うと、正章が二度頷いた。
「きなこがいたら、廊下が臭いのも平気になれそう」
ケージ越しにきなこを優しく撫でる。きなこはその手をぺろりと舐めた。
「さて、支度しなくちゃ」
止めていた夕食の準備をやり始める。手を動かしていると先ほどの出来事が薄れてきて、ようやく跳ねていた心臓が普段の調子を取り戻してきた。
切っておいた具材を入れて煮込み、火を止めてカレーのルーを入れる。鍋の中でくるくる回されるお玉を見つめていたら、先ほどシャベルを畑に突き刺したまま家に入ってしまったことを思い出した。
一瞬戻しに行こうと右足を出すが、それ以上は動かず、結局カレーの前に戻る。由里子は大きく深呼吸した。
──あの幽霊が誰を、何を指したにせよ、ここには何かがあるんだわ。
鍋の番をしつつ、スマートフォンでお気に入り一覧からあるサイトを表示させる。場所と営業時間を確認して画面を閉じた。
「よし」
火を止めて、リビングの引き出しを漁る。正章は由里子の行動を気にも留めない。
「あったあった」
由里子は引き出しの中から名刺を一枚取り出し、鞄の中に入れた。
「ママ~」
そこへ、二階から美結の声がした。顔を上げ、リビングのドアを開けて答える。
「はぁい、どうしたの?」
「来て!」
「用事の時は自分から来るのよ」
そう言いながらも二階へ上がると、美結が眉を下げてドアの隙間から顔を出していた。
「何かあった?」
「あんちゃんが怒った」
「あんちゃんが?」
頬を膨らませ、ケージを指差す。そこには普段と変わらない、大人しいあんがこちらを向いていた。
「怒ってないよ」
それに美結が首を振る。
「さっき。今は怒ってない」
「どう怒ったの?」
手を引かれ、ケージの前で立ち止まる。美結がそこで右足を振り上げて床を乱雑に踏んだ。
「こうやって、だんッてやったの」
「……足ダンってことかしら」
「何それ」
ケージ近くの床に放りっぱなしになっている飼育本を由里子が拾い、目次を眺めてからぱらぱらめくる。該当ページを美結に見せた。
「ほら、ここ。ウサギは怒ったり、何かを主張したい時に足ダンをしますって書いてある」
「やっぱり怒ってるぅ」
泣き出しそうな美結に、由里子が説明する。
「怒ってる以外の理由もあるみたい。餌がいつもと違うとか、構って、とか。美結が怒らせるようなことしていないなら、構ってってことだったんじゃない?」
途端、美結の顔が明るくなった。
「そっか、構ってだ。美結、何もしてないから」
「それなら餌を上げたりしてみたら?」
「うん。あんちゃん、餌だよ~」
牧草を一本手に持って網の隙間から差し出すと、あんは素直に食べ出した。美結が両手を挙げる。
「やった。あんちゃん怒ってなかったんだ」
「よかったね。じゃあ、ママは下に行くから」
「うん、ばいばい」
にこにこの笑顔で手を振る美結に安心して部屋を出た。部屋では美結が歌を歌いながらあんを構う。あんが上を見る。そこにひらひら舞う白い布があった。
「あの、貴方は何を指しているのですか?」
その問いには答えず、男は姿を消してしまった。
「あ!」
駆け寄るが、人がいた気配はすっかり無く、穏やかな風が流れるだけだった。
「あの人は味方なの? それとも──」
その時通り抜けた風がやけに寒くて、我返った由里子が玄関に滑り込んだ。
「分からない、けど、彼も家には入れてはいけないわ」
真上にある札に向かって両手を合わせる。
「もしかしたら、この札のことを指していたのかも。札があるから入れないぞって。それだったら、やっぱり私や家族を狙って……?」
顔色を悪くさせてリビングに戻る。ブランケットを棚から引っ張り出してソファに座った。
「やだやだ。これ以上一人で考えても仕方ないわ」
そうこうしているうちに正章が帰ってきた。リビングから覗いた限りでは袴の男はいなかった。
「おかえり。きなこ大人しかった?」
「うん。全然吠えないし、走らないよ。すごいイイコ」
珍しく満面の笑みで帰宅した息子に、母も同じ顔をさせた。
──犬を飼ってよかった。
「ようし、足綺麗になったよ。部屋で遊ぼ」
新しい兄弟が出来たようで、正章が甲斐甲斐しく世話をする。玄関を上がってリビングに入る前、きなこが一声鳴いた。
「わぁ、急に元気になった」
正章が笑いながらきなこをケージに入れる。
「お母さん。そろそろケージ以外でも遊ばせていいかな」
「一週間経ってないけどだいぶ慣れてきたみたいだから、ちょっとくらいは平気かもね。明日出してみようか」
「やった」
「美結が五月蠅く言うから、一週間経つまでは美結がいない時にね」
由里子が天井を指差しながら言うと、正章が二度頷いた。
「きなこがいたら、廊下が臭いのも平気になれそう」
ケージ越しにきなこを優しく撫でる。きなこはその手をぺろりと舐めた。
「さて、支度しなくちゃ」
止めていた夕食の準備をやり始める。手を動かしていると先ほどの出来事が薄れてきて、ようやく跳ねていた心臓が普段の調子を取り戻してきた。
切っておいた具材を入れて煮込み、火を止めてカレーのルーを入れる。鍋の中でくるくる回されるお玉を見つめていたら、先ほどシャベルを畑に突き刺したまま家に入ってしまったことを思い出した。
一瞬戻しに行こうと右足を出すが、それ以上は動かず、結局カレーの前に戻る。由里子は大きく深呼吸した。
──あの幽霊が誰を、何を指したにせよ、ここには何かがあるんだわ。
鍋の番をしつつ、スマートフォンでお気に入り一覧からあるサイトを表示させる。場所と営業時間を確認して画面を閉じた。
「よし」
火を止めて、リビングの引き出しを漁る。正章は由里子の行動を気にも留めない。
「あったあった」
由里子は引き出しの中から名刺を一枚取り出し、鞄の中に入れた。
「ママ~」
そこへ、二階から美結の声がした。顔を上げ、リビングのドアを開けて答える。
「はぁい、どうしたの?」
「来て!」
「用事の時は自分から来るのよ」
そう言いながらも二階へ上がると、美結が眉を下げてドアの隙間から顔を出していた。
「何かあった?」
「あんちゃんが怒った」
「あんちゃんが?」
頬を膨らませ、ケージを指差す。そこには普段と変わらない、大人しいあんがこちらを向いていた。
「怒ってないよ」
それに美結が首を振る。
「さっき。今は怒ってない」
「どう怒ったの?」
手を引かれ、ケージの前で立ち止まる。美結がそこで右足を振り上げて床を乱雑に踏んだ。
「こうやって、だんッてやったの」
「……足ダンってことかしら」
「何それ」
ケージ近くの床に放りっぱなしになっている飼育本を由里子が拾い、目次を眺めてからぱらぱらめくる。該当ページを美結に見せた。
「ほら、ここ。ウサギは怒ったり、何かを主張したい時に足ダンをしますって書いてある」
「やっぱり怒ってるぅ」
泣き出しそうな美結に、由里子が説明する。
「怒ってる以外の理由もあるみたい。餌がいつもと違うとか、構って、とか。美結が怒らせるようなことしていないなら、構ってってことだったんじゃない?」
途端、美結の顔が明るくなった。
「そっか、構ってだ。美結、何もしてないから」
「それなら餌を上げたりしてみたら?」
「うん。あんちゃん、餌だよ~」
牧草を一本手に持って網の隙間から差し出すと、あんは素直に食べ出した。美結が両手を挙げる。
「やった。あんちゃん怒ってなかったんだ」
「よかったね。じゃあ、ママは下に行くから」
「うん、ばいばい」
にこにこの笑顔で手を振る美結に安心して部屋を出た。部屋では美結が歌を歌いながらあんを構う。あんが上を見る。そこにひらひら舞う白い布があった。
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