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私は精進する

陳雷の母

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 本音を言えば、清洗チンシィに乗って高速で逃げたい。しかし、一瞬で気付かれ討伐対象だ。奴隷以外の人間が紛れ込んでいたことで迅国恨国戦争に発展するかもしれない。それは避けなければ。

「……!?」

 誰かの視線を感じ、歩きながら周囲を窺う。誰もいなかった。気を張りすぎか。速足で帰りたいのを我慢し、歪みの手前で再度人影がないか確認する。

 一龍を服に隠して素早く歪みを通った。

「……ふう、よかった」

 魔族と接触せず戻ってこられた。

 それにしても、恨国にいた人間には驚いた。顔が陳雷チェン・レイによく似ていたのだ。いや、陳雷が似ていると言った方が正しい。恐らく、彼女は陳雷の母親だ。

「困ったなぁ。いずれ彼女を恨国から脱出させることになりそう」

 人間一人を逃がすことなら今の胡威風でも可能かもしれないが、誰か高位の魔族の奴隷だとしたら後々大問題になる。衰弱してはいなかったので、今のところは様子見で許してもらおう。

 ともかく今は歪みだ。これに関しては報告の義務があるが、離れた際魔族が通ってくるかもしれない。
 胡威風は印を結び、それを空に向けて放った。空高く上がったところで法術が弾け、大きな爆発が起きた。

「ちょっと大きすぎたか」

 力加減を誤った気もするが、このくらいなら誰かしらすぐ気付いてくれるだろう。
 緊張しながら歪みの横で待つ。

──大将レベルの人間が来るまで誰も歪みを通ってきませんように!

「キュウウッ」

 すると、主人の不安が伝わったらしく、一龍が服から飛び出し、元の大きさに戻って歪みの前に立ちはだかった。健気な家族に胡威風の瞳から涙がぽろりと落ちる。

「一龍……なんてイイコ! 俺も頑張るね!」
「キュッ」

 四半刻程して大将軍が数人の部下を連れてやってきた。胡威風は胸を撫で下ろす。ここで例のブチギレ将軍が来たら他の争いが勃発してしまう。

「やあやあ、胡威風。いったいどうしたのだ?」

 今日も人間スピーカーは健在だ。胡威風が拱手して宋強追に報告する。彼は眉間に皺を寄せて、慎重に歪みを観察した。

「うむ、さっぱり分からん」

──だろうね。

 これは法術で、どこに繋がっているかは通ってみないと分からない。見ただけでは、誰が作ったかもどのようなものかも何も情報が無い。

「胡威風は入ったのだな」
「はい。状況把握のために。恨国と繋がっておりますので、即刻破壊した方がよいかと。ただ、これを作った者には迅国側から破壊されたことは伝わってしまいますが」
「なるほど。では破壊しよう」

 即決に驚くが、それしか方法が無いことも理解している。もしもこれを残しておくのなら、いつ魔族が来ても対応出来るよう、常に将軍レベルの見張り番を付けなければならなくなる。

「承知しました」

 大将軍の許可を得て、胡威風が歪みを破壊した。これで歪みを作った魔族以外の危険からは逃れられた。

「歪みが他に無いか確認した方がいいかもしれません」
「そうだな。明日各担当の地を回るとしよう」
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