貴方に抱かれると、死んでしまうので。

ラム猫

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豊作祈願

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 春が訪れ、温かな風が吹く月。領地を持つ貴族達は、一年の豊作を望み、教会で祈りを捧げる。
 この『豊作祈願』は、ユリース侯爵家も当然行う。今までフィーリアは両親と兄が教会に行っている間は留守番をしていたが、今年から連れて行ってもらえることになった。


 フィーリアはヴィセリオの腕に手を絡ませ、彼にエスコートされながら聖教会を訪れていた。フィーリアは過去の人生で、彼と結婚式を挙げた際に教会を訪れたことがある。しかし、聖教会を訪れたことは数えるほどしかない。
 汚れのない白い壁に、高級な大理石で作られた建物は、荘厳で人々を圧巻する。
 フィーリアも例外ではなく、聖教会を見上げて感嘆の息を吐いた。

「美しい建物ですね」
「そうだね。いつ来ても慣れないし、落ち着かない気分になるよ」

 フィーリアの言葉にヴィセリオは微笑みながら頷き、前を歩く両親に続いて聖教会の中に入った。外観も壮観だが、内装も一層美しい。ステンドグラスで装飾されたガラスから陽の光が降り注ぎ、神聖さを際立たせている。
 少し緊張し、兄の腕を握る手に力を込めながら、フィーリアは歩みを進めた。真っ直ぐな道の先には、王国最大規模の女神像が祀られている。聖教会の中にいた神官は、入って来たフィーリア達に気づき、慣れた様子で案内をする。彼らに従いながら、フィーリアは女神像の前まで辿り着いた。
 女神像の前には、まるで女神の化身と見紛うような美しさの聖女が立っていた。彼女はフィーリア達を目にして、微笑みを浮かべて聖書に手を触れた。
 両親が像の前で跪き、女神に対して祝詞を唱え、聖女に対しても感謝の意を伝える。フィーリアはヴィセリオの動きをまね、跪いて頭を下げた。
 聖女が両親の言葉を受け、聖書に載っている祝詞を歌うような旋律で唱え始める。フィーリアはその心地よい声に耳を預け、農民達の豊作を願った。



 祈りを捧げ終えたら、フィーリア達は聖教会の別室に案内された。侯爵家以上の者は、このように別室で話を受けることが多い。その話の内容は、領地の教会に関することなど、つまり上級貴族からの寄付を目的としたものであるらしい。
 フィーリアは変わらず兄にエスコートされ、両親の後に続いていたが、尿意を感じてこっそりとヴィセリオに話しかけた。

「お兄様。わたし、お手洗いに行きたいです」

 ヴィセリオは微笑んで了承し、フィーリアを手洗いの場所まで案内した。

「フィアが出てくるまで待っているよ」
「いえ、わたしは一人で大丈夫です。お兄様は、お話に参加した方がよろしいのではないでしょうか」

 何度かの攻防を重ね、ヴィセリオが折れて彼は先に戻ることになった。彼の姿が見えなくなり、フィーリアは小さく息を吐く。

 次期侯爵であるヴィセリオは、着々とその職務を引き継いでいる。そのため、こういう話し合いに彼は参加すべきなのである。お手洗いくらい一人で大丈夫なのに、とフィーリアは再び息を吐いた。
 
 手洗いを終えてフィーリアは廊下を歩く。どの部屋で話をしているのかを聞くのを忘れていたので、どこに家族がいるのか分からない。
 フィーリアは誰かに会って部屋を尋ねようと思い、道に沿って廊下を歩いていた。
 突き当りを右に曲がると、先程女神像の前に立っていた、レティシアの姿が見えた。彼女に教えてもらおうと一歩進んだ時、彼女の隣に佇む彼の姿に気が付いた。
 笑顔を浮かべるレティシアの光を反射する髪を、深い蒼い瞳を優しく細めてそっと撫でている彼の姿が、見えた。

「……っ」

 フィーリアは出しかけていた足を引っ込め、後ろを向く。どくどくと嫌な音を立てる心臓に手を当てながら、フィーリアは自分に言い聞かせた。

 ……これは分かっていたことだ。聖騎士である彼は、聖女と結ばれるべき。そして、それが彼の幸せでもある。そうすれば、彼と自分は死ななくて済む。
 レティシアとルーンオードの姿が目に入らないよう、来た道を変えるために体を翻した。

 しかし、ふらりと体が揺れ、彼女は壁に体を預けながら床に膝をついた。息が乱れ、体が熱を発している。
 フィーリアは目を閉じ、呼吸を整えて立ち上がろうとする。しかし、変に息を吸い込んだせいで、咽てしまった。乾いた咳が、石造りの廊下に響き渡る。
 視界がぼんやりと歪む中、背後から足音が近づいてきた。

「……フィーリア嬢?」

 今一番、聞きたくなくて、聞きたかった声が廊下に響いた。
 フィーリアは振り向くことができなかった。彼の顔を見たくないからではない。振り向けない程体がだるく、動かすことができなかったからである。何か声を出そうとしても、掠れたうめき声しか出せない。

「フィーリア嬢! 大丈夫ですか⁉」

 ルーンオードの焦ったような声が近くで聞こえ、フィーリアは力を振り絞って彼を見て、強張りが残る微笑みを浮かべた。

「……だ、いじょうぶです。ちょっと、気分が悪く、なってしまって」

 彼の前で情けない格好は見せられないと、フィーリアは足に力を入れて立ち上がろうと試みる。しかしすぐに力が抜け、倒れこみそうになった。床にぶつかる衝撃を覚悟して目を瞑ったが、襲ったのは優しい感触だった。
 目を開けると、眼前に深い蒼い瞳があり、フィーリアは喉の奥で声にならない悲鳴を上げた。彼は今回の人生で見たことのないような焦燥に溢れた顔をしていた。

「大丈夫ではないでしょう! レティシア様、早く来てくださいレティシア様!」
「どうしたの、ルーン……えっ、フィーリア様!」

 角からレティシアが姿を見せ、彼女は慌ててフィーリアに駆け寄った。フィーリアは、自分を抱く彼の力強い腕に、頬に熱が集まるのを感じた。彼と体が密着している今の状態に、恥ずかしさを感じる。しかし、再び体に暗く思い力が襲い掛かり、彼女の視界が一瞬真っ黒になった。

「この力……ルーンと同じ」
「レティシア様、浄化をお願いします。彼女を早く助けてください」
「分かったわ」

 ルーンオードとレティシアが何か話をしているが、フィーリアはぼんやりとしていたせいで聞き取ることができなかった。
 目を開けていることができず、目を閉じる。温かい力が自分を包み込み、彼女の意識を暗闇へと誘う。

「……忌々しい」

 彼が小さく呟いた言葉だけは、最後まではっきりと聞き取ることができた。
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