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第1話 その刃は、絶望を刻む
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視界の端で、夜風に揺れる白いカーテンが踊っている。簡素な寝室。その中心で、私の胸には冷たいものと生温かな感触があった。
「——これは仕事ですので。どうか、恨まないでください」
鼓膜を震わせたのは、感情の一切をそぎ落とした、低く滑らかな声。私の胸を貫いたのは、月光を浴びて凍てつくように輝く一振りの白刃だった。
「ぁ、……っ」
声にならない悲鳴が、熱い鮮血とともに口から溢れる。目の前に立つ男は、まるで芸術品を鑑賞しているかのように無機質な金色の瞳で私を見下ろしていた。その顔は驚くほど端正で、死神のように冷酷だ。
冤罪だった。異母妹が流した卑劣な嘘と、それを信じた婚約者にはめられた。私は国家を売った罪人として、公の処刑すら許されず、この薄暗い寝室で始末される運命を選ばされたのだ。
(痛い……、寒い…………)
視界が急速に狭まっていく。
最後に見たのは、返り血を浴びても眉ひとつ動かさず、ただ淡々と刃を抜き去る彼の、あまりにも美しい横顔だった。
——もし。もしも、次があるのなら。
こんな理不尽な運命を、すべて捨てて。
私は自由になりたい。
◇ ◇ ◇
「お嬢様。朝からお寝坊ですか。こうならないように昨夜早く寝るようにお伝えしたつもりでしたが、どうせ夜更かししていたのでしょう?」
耳に突き刺さるような、聞き覚えのある毒舌。エルセリア・ロシュフェルトは、跳ねるように飛び起きた。
「…………マルタ?」
目の前には、完璧に整ったメイド服に身を包んだ侍女マルタが立っていた。彼女の鋭い瞳が、不機嫌そうに私を射抜いている。
「マルタ……マルタ! あなた、生きて……!」
「お嬢様。寝ぼけて頭が少々残念になってしまったようですね。私は不老不死ではありませんが、今のところ死ぬ予定もありません。お嬢様を置いて死んだら私は成仏もできませんよ」
彼女は、エルセリアが負うはずだった毒を代わりに受けて死んでしまったはず。それなのに、彼女が生きて、いつものような毒舌を披露している。見た目が若く、まるで過去に遡ったようだ。
ぼろぼろとエルセリアが涙をこぼし始め、マルタはほんの少しだけ表情を変えた。
「いかがなさいましたか? もしや、嫌な夢でも見てしまったのですか? 現実にいる輩であれば始末できますが、夢のことは私でもどうしようもありません」
「嫌な、夢……」
「ええ。現実は今日も変わらず、憎いほど普通に進んでいます。さあ、お嬢様。早く起きましょう。今日はヴィンセント殿下との婚約記念パーティーがあるのですから」
婚約記念パーティー。その言葉を聞いて、エルセリアは自分の全身を見回した。真っ白で柔らかな肌。胸元に傷跡はない。窓の外では、穏やかな春の陽光が降り注いでいた。
(もしかして……私、戻ったの?)
壁にかけられているカレンダーを確認する。彼女が死んだ年の、十年前。まだすべてを取り戻せる、最悪の結末を回避できる時間だ。
「お嬢様、顔色が真っ青ですよ。また殿下のことで悩み事ですか? あのような、頭の中が薔薇で詰まったような王子、放っておけばよろしいのに」
「……ええ、そうね。マルタ、あなたの言う通りよ」
エルセリアはベッドから降りると、鏡に映る自分を見つめた。ピンクゴールドの髪を揺らし、アメジストの瞳に強い決意を宿す。
「私、あの方との婚約をなんとかして解消させてみせますわ。そして、この国からも離れます」
「……ほう?」
マルタが少しだけ興味深そうに目を細める。
「そのためには、まず準備を整えないと。……マルタ、私を助けてくれる?」
「お嬢様がようやく正気に戻られたというなら、従わない理由はありませんね。私の腕が必要な時は、いつでもおっしゃってください。……掃除は、得意ですので」
エルセリアは深く息を吐き、窓の外の街並みを眺めた。
あの冷徹な暗殺者に殺されるのは、もっと先の話。彼に殺される運命を書き換えるために、まずは下積みがたくさん必要だ。
——しかし。運命の歯車は、すでにエルセリアの予想を超えて回り始めている。
(彼の、あの金色の瞳……)
ふと、胸の奥が痛んだような気がした。殺されたことによる恐怖よりも、なぜか最後に彼が見せた悲しいまでの虚無が、エルセリアの心に深く、楔のように刺さっていたのだ。
(自由になるの。今度こそ、私自身の人生を生きるために)
過酷な運命から逃れるため。死に戻り令嬢の、執念のやり直しが今、始まる。
「——これは仕事ですので。どうか、恨まないでください」
鼓膜を震わせたのは、感情の一切をそぎ落とした、低く滑らかな声。私の胸を貫いたのは、月光を浴びて凍てつくように輝く一振りの白刃だった。
「ぁ、……っ」
声にならない悲鳴が、熱い鮮血とともに口から溢れる。目の前に立つ男は、まるで芸術品を鑑賞しているかのように無機質な金色の瞳で私を見下ろしていた。その顔は驚くほど端正で、死神のように冷酷だ。
冤罪だった。異母妹が流した卑劣な嘘と、それを信じた婚約者にはめられた。私は国家を売った罪人として、公の処刑すら許されず、この薄暗い寝室で始末される運命を選ばされたのだ。
(痛い……、寒い…………)
視界が急速に狭まっていく。
最後に見たのは、返り血を浴びても眉ひとつ動かさず、ただ淡々と刃を抜き去る彼の、あまりにも美しい横顔だった。
——もし。もしも、次があるのなら。
こんな理不尽な運命を、すべて捨てて。
私は自由になりたい。
◇ ◇ ◇
「お嬢様。朝からお寝坊ですか。こうならないように昨夜早く寝るようにお伝えしたつもりでしたが、どうせ夜更かししていたのでしょう?」
耳に突き刺さるような、聞き覚えのある毒舌。エルセリア・ロシュフェルトは、跳ねるように飛び起きた。
「…………マルタ?」
目の前には、完璧に整ったメイド服に身を包んだ侍女マルタが立っていた。彼女の鋭い瞳が、不機嫌そうに私を射抜いている。
「マルタ……マルタ! あなた、生きて……!」
「お嬢様。寝ぼけて頭が少々残念になってしまったようですね。私は不老不死ではありませんが、今のところ死ぬ予定もありません。お嬢様を置いて死んだら私は成仏もできませんよ」
彼女は、エルセリアが負うはずだった毒を代わりに受けて死んでしまったはず。それなのに、彼女が生きて、いつものような毒舌を披露している。見た目が若く、まるで過去に遡ったようだ。
ぼろぼろとエルセリアが涙をこぼし始め、マルタはほんの少しだけ表情を変えた。
「いかがなさいましたか? もしや、嫌な夢でも見てしまったのですか? 現実にいる輩であれば始末できますが、夢のことは私でもどうしようもありません」
「嫌な、夢……」
「ええ。現実は今日も変わらず、憎いほど普通に進んでいます。さあ、お嬢様。早く起きましょう。今日はヴィンセント殿下との婚約記念パーティーがあるのですから」
婚約記念パーティー。その言葉を聞いて、エルセリアは自分の全身を見回した。真っ白で柔らかな肌。胸元に傷跡はない。窓の外では、穏やかな春の陽光が降り注いでいた。
(もしかして……私、戻ったの?)
壁にかけられているカレンダーを確認する。彼女が死んだ年の、十年前。まだすべてを取り戻せる、最悪の結末を回避できる時間だ。
「お嬢様、顔色が真っ青ですよ。また殿下のことで悩み事ですか? あのような、頭の中が薔薇で詰まったような王子、放っておけばよろしいのに」
「……ええ、そうね。マルタ、あなたの言う通りよ」
エルセリアはベッドから降りると、鏡に映る自分を見つめた。ピンクゴールドの髪を揺らし、アメジストの瞳に強い決意を宿す。
「私、あの方との婚約をなんとかして解消させてみせますわ。そして、この国からも離れます」
「……ほう?」
マルタが少しだけ興味深そうに目を細める。
「そのためには、まず準備を整えないと。……マルタ、私を助けてくれる?」
「お嬢様がようやく正気に戻られたというなら、従わない理由はありませんね。私の腕が必要な時は、いつでもおっしゃってください。……掃除は、得意ですので」
エルセリアは深く息を吐き、窓の外の街並みを眺めた。
あの冷徹な暗殺者に殺されるのは、もっと先の話。彼に殺される運命を書き換えるために、まずは下積みがたくさん必要だ。
——しかし。運命の歯車は、すでにエルセリアの予想を超えて回り始めている。
(彼の、あの金色の瞳……)
ふと、胸の奥が痛んだような気がした。殺されたことによる恐怖よりも、なぜか最後に彼が見せた悲しいまでの虚無が、エルセリアの心に深く、楔のように刺さっていたのだ。
(自由になるの。今度こそ、私自身の人生を生きるために)
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