死に戻り令嬢は逃げ出したい ~前世で私を殺した暗殺者が、「一生離しません」と忠犬になって追いかけてきます~

ラム猫

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第6話 泥を投げる者

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 王城の温室で、ささやかな園遊会が開かれた。

 そんなものは、名ばかり。実態は婚約者であるヴィンセント第二王子が、取り巻きを連れてエルセリアを公然と辱めるための部隊だった。

「……おやおや。エルセリア、またその古臭いドレスを着ているのか? ロシュフェルト公爵家は、ついに布代すら事欠くようになったのか?」

 耳を劈くような、品のない笑い声。ヴィンセントは、手にしたグラス(ワインに見立てた葡萄ジュース)を揺らしながら、彼女の装いを嘲笑う。

 彼女は、目立たないようにと淡いベージュのドレスを選んだ。家を出るための準備で資産を貯めている最中だ。豪華な宝飾品など、今の彼女には必要ない。

「……お言葉ですが、殿下。こちらのドレスは、亡き母から譲り受けた大切なものでございます。流行とは無縁ですけれど、私は気に入っております」

 エルセリアが丁寧な礼とともに答えると、ヴィンセントの隣にぴったりと寄り添っていた異母妹——ミレーヌが、わざとらしく扇で口元を隠した。

「あらあら、お姉さま。大切になさっているのはわかりますけれど……ヴィンセント様の隣に立つには、少々お粗末ではありませんこと? 殿下のお顔に泥を塗っていることに、お気づきにならないなんて」

 ミレーヌが着ているのは、派手な深紅のシルクのドレスだ。父をそそのかして買わせたのだろう。彼女は、ヴィンセントの腕に自分の胸を押しあてるようにして甘い声を出す。

「ヴィンセント様。かわいそうなエルセリアお姉さまをあまり責めないであげてください。お姉さまは……その、魔力もほとんどございませんし、せめて慎ましく暮らしたいでしょう?」

 魔力が低い、というのはミレーヌが流した嘘だ。実際にはエルセリアの魔力こそがロシュフェルト家の結界を支えているのだが、彼女はそれを自分の手柄にすり替え、彼女の「無能」だと周囲に印象付けていた。

「魔力もなく、可愛げもなく、センスもない。エルセリア、お前には一体何の価値があるというのだ?」

 ヴィンセントが冷たい視線を投げかける。前世のエルセリアなら、ここで涙を流し、必死に弁解しただろう。

 しかし、今の彼女は違う。彼らを見つめる彼女の瞳には、哀れみすら宿っていた。

「殿下のおっしゃる通りです。私には、殿下に相応しい価値など……」
「わかっているなら、少しはその薄汚い姿を何とかしろ。……おい、誰か! この退屈な女に、色を添えてやれ」

 ヴィンセントが指を鳴らす。すると、彼の取り巻きの一人が、近くの花壇から泥混じりの水を汲み上げ、エルセリアの足元にぶちまけた。

「……っ!」

 跳ねた泥が、淡いベージュのドレスを汚す。周囲からは、クスクスという忍び笑いが漏れた。

「あぁ、失礼。手が滑ってしまいました、エルセリア様」
「あら、お姉様! せっかくのお母様の形見が……。でも、お姉様にはその泥が、一番お似合いかもしれませんわね?」

 ミレーヌの勝ち誇ったような笑顔。前世、まんまとはめられた彼女を嘲笑ったあの時の表情と同じだ。ヴィンセントは汚れた彼女を見て、満足そうに鼻で笑った。

「いい見世物だ。エルセリア、お前にはその恰好がお似合いだ。紺薬覇気を言い渡さないだけでも、私の慈悲だと思え」

 ——慈悲。

 その言葉が、エルセリアの心の中でカチリと音を立てた。

 彼女は泥に汚れた裾を掴み、完璧な令嬢の所作で深く、美しく跪く。

「寛大なお言葉、痛み入ります。……殿下、そしてミレーヌ。あなたたちが、これからの人生で自分たちの選択に後悔なさらないことを、心より願っておりますわ」
「はっ、負け惜しみか? 行くぞ、ミレーヌ。こんな薄汚い女と一緒に手は、空気が濁る」

 彼らは高笑いと共に去っていった。一人残されたエルセリアは、汚れたドレスをじっと見つめる。

(……もう、いいわ。あの方たちに、二度も殺されるのは御免です)

 彼女は立って顔を上げ、西の空に沈む夕陽を見た。

 その顔は、決意で満ちていた。
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