死に戻り令嬢は逃げ出したい ~前世で私を殺した暗殺者が、「一生離しません」と忠犬になって追いかけてきます~

ラム猫

文字の大きさ
23 / 63

第23話 番犬の焦燥

しおりを挟む
 ギルベルトの平穏は、ここ数日間崩れ去っていた。
 否、物理的な平穏ではない。彼は今も、港町セレンの平和を守る番犬として、エルセリアの不利益になる害虫を影から間引く作業を完璧にこなしている。今朝も、エルセリアの店に変な手紙を投げ込もうとした色ボケの若造を、人知れず路地裏で説得してきたばかりだ。

 問題は、彼にとっての太陽であり、空気であり、神と仰ぐ対象——エルセリアの態度であった。

(……目が、合わない)

 薬屋の裏庭。干し草を整理するエルセリアの背中を、ギルベルトは三メートル後方から凝視していた。普段なら、彼が視線を送れば、彼女はすぐに気づいて「ギル、何か手伝ってくれる?」と花が綻ぶような微笑みを向けてくれる。

 だが、今日はどうだ。彼女は一度も振り返らず、何やらマルタと熱心に耳打ちをしている。それも、彼が近づこうとすると、二人は示し合わせたように口を閉じ、不自然に距離を取るのだ。

「……嫌われた」

 ギルベルトの口から、呪いのような呟きが漏れる。その瞬間、彼の周囲の気温が急激に下がった。植物が微かに凍りつき、近くを飛んでいた蝶が生命の危機を感じたのか軌道を逸らす。

(なぜだ? 昨日のスープの塩加減が気に添わなかったのだろうか。それとも、掃除したゴミの血の香りが残っていたのか。……あるいは、俺の愛が重すぎて、ついにエルセリアが耐えきれなくなったのか!?)

 思考が急速に闇へと加速する。ギルベルトにとって、エルセリアに避けられることは、肺から酸素を抜かれることと同義だ。

「……もしや」

 ふと、最悪の可能性が脳裏をよぎった。

「エルセは……俺に飽きて、新しい犬を探しているのでは……?」

 かつて、王都の騎士団にはエルセリアの美しさに鼻の下を伸ばす無能な男たちが大勢いた。最近、この街でも彼女を慕う若い漁師が増えている。力強く、自分のような陰気な掃除人とは違う、太陽の下で働く男たち。

「許さない。……絶対に、許さない」

 ギルベルトの金色の瞳が、どろりとした執着の色に染まる。彼の脳裏に、かつて何度も描き、そのたびに「エルセリアに嫌われたくない」という理性で踏み止まってきた光景が浮かぶ。

 ——深い地下室。銀の鎖。外の光を一切遮断した、自分と彼女だけの世界。そこに彼女を閉じ込めれば、誰の目も気にせず、彼女は俺だけを見て、俺の手からしか食事を摂らず、俺の言葉だけに耳を傾けるようになる。もう、よそよそしく目を逸らされることもない。新しい犬に怯える必要もない。

(……いっそ、鳥籠の中へ)

 無意識のうちに、ギルベルトの手が懐のナイフに触れる。エルセリアを傷つけないための、最高級の麻酔薬が塗られた刃。

「——何を、恐ろしい顔で自分の世界に浸っているのですか。この狂犬が」

 氷水を浴びせかけるような声が、彼の妄想を叩き割った。いつの間にか背後に立っていたマルタが、冷ややかな視線を向けている。

「仮面女。……エルセリアの様子がおかしい。俺を避けている。お前も共犯だろう」

 ギルベルトの殺気がマルタに向かうが、彼女は眉一つ動かさない。

「お嬢様はお忙しいだけです。……まあ、あなたのその、顔に出すぎる不気味な情念がお嬢様の作業の邪魔になっているのは事実でしょうね」
「嘘だ。……エルセリアは今、俺以外の誰かのために何かを準備している気配がする。……その相手を、今すぐこの世から抹消してくる」

 ギルベルトが影へと溶け込もうとした瞬間、マルタの鋭い一言が彼の足を止めた。

「ならば、自分を殺すことですね。……お嬢様を泣かせたいのなら、どうぞお好きに。せっかくお嬢様が、慣れない手つきで指を傷だらけにしながら、準備をしているというのに」
「……傷……だらけ……?」

 ギルベルトの時が止まった。エルセリアの、あの白く美しい指先が? 俺がこの世で最も尊び、毎日でも口づけを落としたいあの至宝が、傷ついている?

「どこのどいつだ! エルセリアに怪我をさせた不届き者は!! 刃か? 裁縫道具か!? 全てを粉砕して塵にしてやる!!」
「……鏡を見てきなさい、鈍感男が」

 マルタは大きく溜息をつき、エルセリアのいる調合室の方を指差した。

「いいですか。お嬢様は……あなたにサプライズをしたいと、私にまで協力を求めて。あなたが嗅ぎ回るから、作業を隠すのに必死なだけです」
「……は?」

 ギルベルトの脳が、情報を処理できずに完全にフリーズした。

「エルセリアが……俺のために……?」
「ええ。流石に何を作っているかは教えませんが、それはもう、必死に。……それなのに、当の本人は鳥籠がどうの、新しい犬がどうのと。……救いようのない馬鹿ですね」

 ギルベルトは、その場に崩れ落ちた。先ほどまでの禍々しい殺気は霧散し、代わりに全身から「エルセリア大好き」という愛情がが湯気のように立ち上る。

(あぁ……エルセリア。俺、死にたいです。あまりの幸福と、自分の浅ましさへの自責で……)

 彼は調合室の扉を見つめた。
 扉の向こうで、エルセリアが自分のために、一生懸命に手を動かしている。その事実だけで、彼の心臓は爆発せんばかりに脈打つ。

「……鳥籠なんて、いりませんでした」

 ギルベルトは自分の右手をじっと見つめ、小さく笑った。

「お嬢様が俺を想ってくださるこの瞬間。……それこそが、俺を一生縛り付ける、最高に甘美な檻だったんですから」
「相変わらず変態な獣ですね」

 マルタは鼻で笑いながらも、少し優しい目をしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが

カレイ
恋愛
 天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。  両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。  でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。 「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」  そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

3回目巻き戻り令嬢ですが、今回はなんだか様子がおかしい

エヌ
恋愛
婚約破棄されて、断罪されて、処刑される。を繰り返して人生3回目。 だけどこの3回目、なんだか様子がおかしい 一部残酷な表現がございますので苦手な方はご注意下さい。

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月 瑠々奈
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです

春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。 ここは通過点のはずだった。 誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。 触れない客。 身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。 「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」 突然の身請け話。 値札のついた自分と向き合う三日間。 選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、 通過点は終わりになる。 これは救いではなく対等な恋の話。

一途に愛した1周目は殺されて終わったので、2周目は王子様を嫌いたいのに、なぜか婚約者がヤンデレ化して離してくれません!

夢咲 アメ
恋愛
「君の愛が煩わしいんだ」 婚約者である王太子の冷たい言葉に、私の心は砕け散った。 それから間もなく、私は謎の襲撃者に命を奪われ死んだ――はずだった。 死の間際に見えたのは、絶望に顔を歪ませ、私の名を叫びながら駆け寄る彼の姿。 ​……けれど、次に目を覚ました時、私は18歳の自分に戻っていた。 ​「今世こそ、彼を愛するのを辞めよう」 そう決意して距離を置く私。しかし、1周目であれほど冷酷だった彼は、なぜか焦ったように私を追いかけ、甘い言葉で縛り付けようとしてきて……? ​「どこへ行くつもり? 君が愛してくれるまで、僕は君を離さないよ」 ​不器用すぎて愛を間違えたヤンデレ王子×今世こそ静かに暮らしたい令嬢。 死から始まる、執着愛の二周目が幕を開ける!

どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~

涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!

わんこ系婚約者の大誤算

甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。 そんなある日… 「婚約破棄して他の男と婚約!?」 そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。 その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。 小型犬から猛犬へ矯正完了!?

処理中です...