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第53話 神獣の休息
しおりを挟むクレイウス王国を救ったあの日から数日。王都サフィールは、数年ぶりに戻った潤いと活気に満ち溢れていた。
しかし、その中心地である王宮の客間では、王国の常識を覆すような、なんとも形容しがたい光景が日常と化している。
「あの、精霊王様? 王宮にはもっと、あなたに相応しい場所があるはずなのですが……」
エルセリアが困ったように微笑みながら、自らの膝の上にどっしりと鎮座する白銀の塊を見下ろす。数日前、王都の空を舞い、神々しい咆哮で民を平伏させたあの巨大な神獣は、今や大型犬ほどのサイズに凝縮され、エルセリアの膝上で我が物顔に寛いでいた。
『案ずるな、聖なる乙女よ。我はただ、そなたの魔力の揺らぎを整えておるだけだ。……ふむ、実によい。日だまりのような香りがする』
精霊王は、ふさふさとした白銀の尾をパタパタと振り、エルセリアの膝に顎を乗せて目を細める。その姿は、どこからどう見ても白い犬そのものだった。
その光景を、部屋の隅から今にも血管が切れそうな形相で見つめている男がいた。
「……おい、毛むくじゃらの古臭い犬。そこをどけ」
ギルベルトである。彼は抜き身の殺気を放ちながら、愛用の短剣を指先で弄んでいた。
「そこは俺がエルセを抱きしめ、日々の疲れを癒やすための指定席だ。建国の祖だろうが、エルセの膝を占領する権利などない。……今すぐその首を刈って、エルセの新しい襟巻きにして差し上げようか?」
『ほう。相変わらず血の気の多い人間だ。そなたの殺気は少々味が濃すぎる。エルセリアの清らかな魔力を見習うがいい』
「……貴様ッ!!」
一触即発の空気が流れる中、ドアをノックして入ってきたのは、エドワードとカイン、そしてお茶の用意をしたマルタだった。
「……またやっているのか」
エドワードがこめかみを押さえ、深いため息をついた。彼の目には、自国の建国神話に語られる最高位の守護神が、一人の少女にべったりと甘え、それを彼女の従者が本気で暗殺しようとしているという、あまりに罰当たりな構図が映っていた。
「暴君、見てください。世界の至宝が、ただの大型犬に占拠されています。不敬にも程がある」
「……ギルベルト、君の主語がおかしいのは今に始まったことではないが……相手は我が国の守り神だぞ。もう少し敬意を払えないか?」
「敬意? そんなものは、エルセを優先した後の余り物で十分です」
カインは、壁に寄りかかりながら肩をすくめた。
「まあまあ。精霊王様も、何年もあの毒沼に閉じ込められてたんだ。美少女の膝の上で癒やされたいっていう、スケベな爺さんみたいな欲望があっても不思議じゃないだろ?」
『カインと言ったか。その無礼な舌、氷漬けにしてやろうか?』
「おっと、失礼。……でも、実際問題、精霊王様がずっとエルセのそばにいるおかげで、王宮内の魔力密度が異常に高いんだ。おかげで花の成長が早すぎて、庭師が泣いてるらしい」
マルタが静かにお茶を淹れ、エルセリアの前のテーブルに置く。その際、精霊王の鼻先を「邪魔です」と言わんばかりにトレイで軽く退けたのは、流石彼女というべきか。
「お嬢様、お疲れではありませんか? ……ギルベルト、あなたが無駄な殺気を散らすせいで、お茶の香りが台無しです。少しは理性を保ちなさい」
「マルタ、お前はこれが許せるのか? エルセの膝の上だぞ? 俺でさえ、まだ週に三回しか許されていない特等席なんだぞ!?」
「私は仕事中ですので。……それに、精霊王様がそばにいることで、反王派の魔術師が近づけないという利点もあります。実利を取りなさい」
エルセリアは、賑やかな(?)仲間たちのやり取りを聞きながら、精霊王の柔らかい耳を優しく撫でた。
「ふふっ。皆さん、ありがとうございます。……でも、私は嬉しいんです。精霊王様がこうして元気になって、この国を温かく見守ってくださっていることが」
彼女が微笑むと、部屋の中にふわっと春のような魔力が広がった。精霊王は満足げに鼻を鳴らし、ギルベルトに向かって「見たか」と言わんばかりに尾を振る。
彼女が膝の上の神獣を撫でながら窓の外へ視線を向けると、そこには復興へと向かう美しい王都が広がっていた。平和は戻った。しかし、彼女の胸には漠然とした不安が残っている。
「エルセ、何か考え事ですか? まさか、その老犬の晩餐メニューのことではありませんよね?」
「……ギル、精霊王様を老犬呼ばわりするのはやめてね」
クレイウスの午後は、今日も騒がしく、そして愛おしいほどに平和であった。
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