死に戻り令嬢は逃げ出したい ~前世で私を殺した暗殺者が、「一生離しません」と忠犬になって追いかけてきます~

ラム猫

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第57話 双貌の調律師

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 クレイウスに降り注いだ恵みの雨は、王都に歓喜をもたらしたが、その潤いが届かぬ場所がある。  王都サフィールの地下深く、かつて罪人を収容するために使われ、現在は歴史の闇に埋もれた監獄。

 その最深部、石壁が呪毒で黒ずんだ円卓を囲み、数人の影が蠢いていた。

「……精霊王が目覚め、呪いの鎖が解かれたか。予定よりも早すぎるな」

 苦々しく声を漏らしたのは、クレイウス王国の反王派貴族筆頭、アルド・グレイラート侯爵である。彼は数年前からクレイウス王国の闇組織と手を組み、この国を死の砂漠へと変えることで王権を失墜させようと画策していた。

「エルセリア……。かつてアムーストでは無能と言われていたあの女が、これほどの力を持っていたとは。計算違いだったな、侯爵」

 侯爵の向かいに座る男が、冷たく言い放つ。その男は、クレイウスの貴族ではない。アスムートの軍服に似た漆黒の法衣を纏い、胸元には不気味な眼の紋章が刻まれている。

「計算違いも甚だしい! 我が一族に伝わる禁忌の術式すら、あの女の浄化とあの男の力の前に霧散したのだぞ! このままでは、雨の恩恵を受けた民衆の心は完全に現国王とエドワード王子に流れる。我々の計画は……」

 激昂する侯爵を、その場にいたもう一人が鼻で笑った。

「——うるさいよ。そんなに喚かなくても、精霊たちの悲鳴はちゃんと僕のところに届いているから」

 部屋の隅、崩れかけた石柱の陰に腰掛けていた青年が、ゆっくりと立ち上がった。一同の視線が彼に集まる。

 その容姿は、この陰惨な地下室にはあまりに不似合いなほど、整っていた。右側が雪のような白、左側が夜のような黒という、左右に分かれた特異な髪色。そして、闇の中でも妖しく発光するような、深い紅色の瞳。

「……お前か、ゼノン」

 侯爵が、恐れと期待の混じった表情で彼の名を呼ぶ。ゼノンと呼ばれた青年は、肩に止まっていた透き通るような灰色の小鳥の頭を優しく撫でた。その小鳥は、死んだ精霊の残滓を食らうとされる禁忌の霊鳥である。

「精霊王が起きたくらいで、絶望しすぎだよ。王が起きたなら、また眠らせればいい。あるいは……もっと残酷な悪夢を見せてあげればいいだけのことさ」
「簡単に言うな! あの女のそばには、あの漆黒の男がいるのだぞ! 我が軍の刺客も、精霊の兵も、すべて返り討ちにされたのだ!」

 ゼノンは紅い瞳を細め、愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

「壊すことしか知らない人間、恐れるまでもないよ。僕は壊すのも好きだけど、支配することもできる」

 ゼノンが指をパチンと鳴らす。すると彼の背後の影から、数十体の変異した精霊たちが這い出してきた。精霊王が浄化したはずのこの国の魔力が、彼の周囲では瞬時に腐り、どす黒い糸となって彼の指先に絡みついている。

「エルセリア……。失われた魂を呼び戻す器。彼女の力の真の価値を、誰も分かっていない」

 ゼノンは円卓に置かれたサフィールの地図を、指先でなぞる。

「精霊王が目覚めたことで、この国には膨大な根源の魔力が満ちた。……それは、僕にとっては最高の餌なんだ。エルセリアを捕らえ、彼女の浄化を反転させて、精霊王をもう一度、今度は僕の操り人形として再構築する」
「……そんなことが可能なのか?」
「僕を誰だと思っているの? 僕は『精霊の調律師』。精霊の歌を、地獄の讃美歌に書き換えるのが僕の仕事だよ」

 ゼノンは立ち上がり、監獄の出口へと向かう。その足取りは軽く、これから行われる大虐殺をまるで楽しみにしているかのようだった。

「もし機会があれば、エルセリアに伝えておくよ。もうすぐ、君の本物の絶望を届けに行くってね。あ、それからあの男にも言いたいことがあるな。君の守っているおもちゃ、僕がバラバラに壊してあげるからね、って」

 青年の場違いに明るい笑い声が、地下室に反響した。
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