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第4章 ルシアの攻勢
1 ウラジオストック
しおりを挟むウスリー周辺の町や村に人が戻り始めた頃。皇紀3631年春。半年の休戦期間が過ぎた時、ルシアがやって来た。21万の大軍で。大津を守るはかろうじて6万。6万いれば大丈夫と誰もが思っていた。ルシア軍を見るまでは。鷲巣砦には2万が詰めていた。食料も武器も充分ある。真田繁信に倣って、守り切ってみせよう。と本多忠矩少将も思っていた。だが、ルシア軍は登ってさえ来なかった。小和田の街に3万を駐屯させ、残りは無人の野を行くが如く進んでいく。アーネン・ニコライも学習していた。鷲巣への出入りは一つしかない。そこをふさがれると鷲巣砦の2万は身動き出来なくなった。アーネン、今回は鷲巣などには見向きもしない。
本多忠矩、切歯扼腕(せっしやくわん)。
「こ、これでは何も出来ぬ。雪隠詰めになった。」
ルシア軍残り18万。大津の前面に展開する。大津の街には城壁がない。裸の街に4万の兵。4倍以上、あまりに少なかった。
「この松平康本、おめおめルシアごときに降伏などせぬ。決戦じゃ。」
皇国の意気を示したというべきか。無謀な戦で4万の将兵を死なせたというべきか。
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ルシア軍司令部
クツーゾフ正軍師、アーネン・ニコライ皇太弟に方針を問う。それに答えて皇太弟曰く。
「大軍に戦術なし(不要)、ただ兵站に気をつけていればいい。」
「ははあ!」
「とはいえ、ライナ・リトアニア・ラトビア・エストニア・ベラルーシの諸君は初陣みたいなもんだろう?中央にて先陣を命じる。心して戦え。ルシアは奮戦を期待する。」
ウスリーの戦いでのライナの醜態を忘れていないアーネンは中央の後背及び両翼にルシア軍を配置した。公式に問われても、逃亡を阻止するためだとは、絶対に認めなかっただろう。ルシアの衛星国軍、合わせて6万。皇国側は4万、実はそれほど練度が高いわけでもない。こちらも農民兵が主体なのだ。又皇国には大砲がなかった。護国省自体に砲の在庫がなく、平出屋の新型砲に切り替え中でもあった。佐賀藩や長州藩などは自前の大砲を持っていたが出したがらなかった。島津も持っていたが、こちらも絶対出さなかった。真田繁信が大陸は維持出来ないと言ったことも影響していた。豊臣秀安が虎の子の大砲を出し渋ったのだ。
ルシア側も皇国側に大砲がないことを知っていた。衛星国に実戦経験を積ませるために、あえてそのままぶつけた。だが、緻密に計算はしている。戦力比6万対4万、経験的に4倍ぐらいの戦力差になることを知っていた。最初は素人同士のワアワアに近い形で戦闘が進む。だが、時間が経つにつれて形勢はルシア側が押して行く。1時間もすると一方的になる。18万でおし包んでいればもっと早かっただろうが、アーネンはルシア軍は温存した。
本多忠重は康本を船で逃す。鷲巣砦に嫡男を残して逃げる時に涙したという。
大津陥落は皇国に深刻な衝撃を与えた。朝鮮を領有する大名からは、援軍要請が相次ぐ。21万が朝鮮に攻めて来たら防ぎきれない。事実、大津陥落の翌日にはルシア大陸軍は朝鮮に向かって進軍していた。沿海州(新関東)と朝鮮の間を流れる豆満江。川幅400メートルほどの大河だ。皇国側はそこにかかる羅津橋を破壊するも、ルシアはカムチャッカ方面の港で建造した運搬船を大量に回して渡河してしまう。アーネン・ニコライ、用意周到である。素早い進軍に皇国軍は各地で各個撃破されて行く。ほぼ1ヶ月で釜山まで占領されてしまった。残ったのは済州島のみ。
話は大津陥落の翌日に戻る。この日、アーネン・ニコライは大津を【ウラジオストック】と命名する。【ウラジオストック】(東方を支配せよ)、ルシア帝国の強烈な意思表明であった。同時に極秘にバルチック艦隊の分派を命じる。バルチック艦隊東方派遣戦隊の戦隊司令ドボルザーク中将。この日をもってウラジオストック艦隊司令長官となる。ウラジオストック艦隊がウラジオストックに着き次第に皇国侵攻作戦が開始される予定である。だが艦隊が実際にウラジオストックに回航されるまでに長い時が必要であった。この時間が真田繁信に武器の大量製造と鉄軌敷設の余裕を与えてしまう。互いの全力をかたむけたバトルが開始されようとしていた。
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