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第7章 また混乱

26 博多攻囲戦 24 ひよどりごえ

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    馬という動物が人間の近くにいたのはお互いにとって幸福であった。人間にとっては絶対に出せない速度が出せた。移動距離が飛躍的に伸びた。馬にとっては走るという労役を提供することによって捕食動物からの安全が得られた。モンゴルが世界の半分を征服出来たのは馬がいたからだ。

    確かに馬は燃費が悪い。牛などと比べると比較にならないくらい食い、(酒ではなく水を)飲む。だが、それがなんだと言うのだ。人間を背に乗せて長距離を移動出来るのは馬だけだ。馬の口の奥には歯がなく、ちょうどハミをかませる空間があいていることに気づいた人間は誰だったろう。馬も痛みを感じないし、物を食うにも困らない。ハミに手綱をつけることによって人間の意思を馬に伝えることが簡単になった。手綱を左右に引っ張ればどちらに行きたいか、馬に伝わる。人間を乗せて走れる大きさを持ち、しかも人間よりもはるかに早い。そういう動物は他にはいない。ああ、象がいたな。ハンニバルが使役したので有名だ。だが、象は馬ほど使いやすくはない。

    人馬一体という言葉がある。そう、人馬は一体となれるのだ。鞍が作られ、蹄鉄が発明され、使い勝手は増す。ローマの時代にはあぶみはなかった。人間が足をかけることのできるあぶみの登場で馬の装具は一応の完成を見る。あぶみのある軍団とあぶみのない軍団が同数で戦えば、あぶみのある軍団が圧勝しただろう。

    なにしろ、あぶみがあれば踏ん張れるのだ。出せる力は倍は違っただろう。倍違う力で刀を打ち合わせたら、勝負にはならないのではないだろうか。



ルシア軍ダミアン師団【マジックシゲノブ】捜索大隊スミノフ少佐

    「急げ、煙が消えたら丸見えになるぞ。ここは皇国側の勢力圏だ。」

    大隊は普通、300名弱だがスミノフ大隊は200ほど多い重大隊となっている。総勢500名。敵地に踏み込む危険な任務だが、見返りも大きい。大きいなんてものじゃなく、あの【マジックシゲノブ】を討ち取れば全員2階級特進だ。いや、それよりもスミノフの名は歴史に刻まれることになる。馬の目の前にぶら下げられたニンジンどころの話ではなかった。敵地だからといって簡単に引くつもりはなかった。




皇国軍可也山攻撃軍島津勢園田惣兵衛(そのだそうべえ)麾下伊藤成信(いとうなりのぶ)

    伊藤成信、島津大隈の国人領主だ。麾下三百を率いて参陣している。これでも3万石の領主だ。島津家の縁戚でもある。島津久豊は今回、1万石につき、3百名の動員をかけた。つまり9百名を出さねばならなかった。だが、成信には自分の領地には馬持ちが多いという利点があった。そこで全員を騎馬武者にする代わりに人数を3百にしてもらったのだ。

    だが、園田惣兵衛の麾下に配属されたのが不運の始まりだった。園田の軍勢1万は可也山の攻め手に回されたのだ。当然山に登ることになる。成信の騎馬隊はふもとで待機かと思っていたら山に登れと言う。

    「騎馬が山に登って、なんとする。」

    馬はその機動性が売りだ。苦手なものもある。山や森だ。だが園田准将は全軍山に登れと命令する。園田勢1万、数から言えば少将でもおかしくないが、島津家当主の久豊が少将なので准将になってしまった。島津は3万6千も連れて来たので、慣例から言えば中将に任命されてもおかしくなかった。だが、繁信が失念してしまったのだ。その様子からあ、こいつ忘れてるなというのは久豊にもわかったが愛馬疾風(はやて)を殺してしまい、赤鹿毛を譲ってもらった手前、久豊にも繁信に対する負い目があった。ま、誰かが気がついて進言してくれるまで待ってもよいさと気にしていない。部下はそうではなかったが。

    園田准将は譲らない。

    「馬を置いてでも山に登れ。山の上の松平は五千おる。1万でも攻めるには不足じゃ。」

    「なにを言われる。我らは馬で奉公するために参陣いたした。足軽と一緒にしないでもらいたい。」

    島津公に全員騎馬にして数をまけてもらった手前もある。が押し切られた。結局、意地になって馬に乗って山に登るはめになった。禍福はあざなえる縄のごとし。馬で山に登ったことが成信に大金星をもたらす。結局、馬では高いところにはいけず、ふもと付近でうろうろしていたところに報告が来た。

    「伊藤少佐、ふもとの志摩方面から騎馬軍です。おそらくルシアです。およそ・・・五百ほど。ルシアの塹壕より、よほど深くこっちに入り込んでいます。」

    「なに?ルシアが?」

    「はい、松平勢ではありません。軍服はあきらかにルシアです。」

    山の上からだと煙の切れ目ではあるが良く見える。

    「なにかを追いかけています。馬です。あ、人が乗ってる。」

    「ルシアが五百人で追いかけてる?誰だ?あああ、真田公かあ?」

    伊藤成信は飛び上がった。繁信行方不明の報告は可也山攻略軍にも届いていた。

    「味方に連絡。園田准将に伝令!ルシアが真田公らしき騎馬を追跡中!ワレ、これを救出せんとす!いけえ!」

    だが、徒歩の味方は間に合わないだろう。馬は早い。5分も経たないうちにこの下を通り過ぎるだろう。今いる3百名だけで対処するしかない。

    「・・・この崖では馬は降りられん。くう、全員下馬、馬を置いてこの崖を下るぞ!」

    「お待ちくだされ!」

    伊藤麾下の平石善次郎義勇(よしたけ)は伊豆は下田の生まれであった。山の中の武士だか猟師だかわからないぐらいのあやしい家で育った。一応、武士としての誇りだけは持っていた家だったので、家には馬がいた。伊豆は山からすぐ海の土地柄。山岳で馬を扱うすべは自然に習得していた。20歳の頃、山で難儀している家族を救った。その4人家族の娘が今の妻だ。家族は九州は大隈の豪族だという。助けた家族の父親が善次郎にほれたというわけだ。名前の通り、次男坊の身。継ぐ家もない。善次郎は婿となって。平石の家に入ったというわけだ。

    だが、伊豆の田舎から九州の南端へ。何から何まで違っていた。この頃の善次郎はまわりに溶け込めず、浮いた存在だった。

    「殿に物申す。この程度の坂、馬で下りられますぞ。人だけで下りては3百と5百、あっと言う間に蹂躙されますぞ。」

    「バカを申すな!崖だぞ、馬で下りられるわけがない。」

    「下田流馬術なら簡単なことでござる。伊豆ではこの程度の坂、茶飯(さはん)で駆け下り申した。下田流馬術、お教えもうそう。」

    伊藤少佐はさっきから崖、がけと言っているが、伊豆ではこの程度の坂は平気で馬で往来していた。確かに坂の角度は30度ほどはあるだろうか。平原しか走ったことのない馬なら、20度ぐらいの角度が限度かも知れない。だが、30度程度なら工夫すれば下りられる。

    「よろしいか、おのおのがた。乗り手が恐怖や疑問を持ってはならぬ。馬はかしこい。主人が怖がっては馬は絶対に動かん。乗り手にも工夫が必要じゃ。じゃが、これをやれば必ず馬でこの坂を下りられる。」

    続けてよいかと伊藤少佐に眼をやる。伊藤少佐もうなずく。

    「よいか、義経公はひよどりごえをなさった。ひよどりもこれぐらいの坂じゃった。」

    善次郎、自信たっぷりに言ったがひよどりを見たことはない。

    「時間がない。まず馬だけを2・3頭坂の下に下ろす。馬は群れて生活する生き物じゃ。下の馬に上の馬を呼ばせるのじゃ。そうすれば馬は怖がらん。下りた先に既に仲間がおるのじゃからな。」

    伊藤に指示されて2・3人が馬から降りて、馬だけを駆け下りさせる。

    「よ~し、次に乗り手の心得じゃ。どちらの手でもよい。下り始めたら、手を後ろに回して鞍の尻をしっかりつかむ。そして体を出来る限り後ろに倒すのだ。体を垂直にしておるから不安定になるのじゃ。あぶみで足をつっぱり、そっくり返って馬が下りやすいようにしてやるべし。」

    もう口調は完全に上から命令口調である。そうしないといけないのだ。自信を持って命令する。馬も人も同じだ。

    「もう一度言う!乗り手が怖がるな!馬は感じるぞ!一気に下りる!我に続け!」

    ドドドドドド!

    30度の坂を3百の騎馬が駆け下りて行く。



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    博多攻囲戦、終わりませんw

    
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