ダイヴのある風景

mic

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第四章

第四章 ⑰

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 目を覚ました。とは言っても、頬に床の跡がほとんど残っていないので、気絶していたのは、ほんの数分だったのだと思う。
 後ろにいる冴子も、ちょっと名前を呼んだだけで目を開けた。彼女も瞬きを数回繰り返しただけで、すぐに僕と同じレベルの思考状態を取り戻したみたいだ。
「ほほう。やっぱり実際の記憶喪失者とはダメージ度合が全然違うんじゃなあ」管理人が頬をなでながら言う。
「やっぱり、そうでしょうねえ。そうでないと、ある意味、研究結果が信憑性に欠けるものになってしまう」局長が、冴子に手を貸しながら言う。
 僕と冴子は起き上がった。倒れる前と、ほとんどなにも変わっていない。記憶もそのままのようだ。変わっているのは、床に、生ハム組のメンバーが倒れているという状況だけだ。
「彼らはだいじょうぶなんですか?」僕はメンバーを一通り見回しながら言った。ジャックとリリィは、間にケンイチを挟み、手をつないだまま倒れている。
「だいじょうぶなはずだ」管理人が微笑む。「ここへ来る前の状態に戻っただけだ。記憶の閲覧は短時間だったから、肉体的、精神的な被害はないだろう」
 そのとき、みんなが目を覚ました。リリィが一番先に起き上がり、お絹さんが最後だ。ゾンビが放屁したので、お絹さんがもう一度倒れそうになるのを、ジャックが急いで助けた。
「生ハム組のメンバーは、休憩室で飲み物でも飲んでいてくれ。回復の助けになるはずじゃ」管理人がみんなを休憩室に誘導した。
「なんだ、やけに喉が渇いたぞ」ジャックがそう言うと、他のメンバーも同意して、休憩室に向かった。
 メンバーが去った後、部屋に残ったのは管理人と局長、僕と冴子、それに戻ってきたジュサブローさん、ミキさんの六人だった。
「さて。聞きたいことが他にもあるんじゃろ、君は」管理人が僕を見る。「それを知るまでは絶対に帰らないぞ、みたいな気迫を感じるわい。静かな気迫じゃがな。そこのお嬢さんも同じじゃ」
「この町って」僕は冴子をちらと見てから管理人に視線を戻した。「なんなんですか?」
 管理人は僕の顔を観察するように見ていたけれど、やがて椅子に腰を下ろした。
「金を生む町だ」と管理人が言った。「この浮葉町は、君たちの住んでいる落葉町とは、兄弟のようなものだ。聞いたことがあるかもしれないが、昔、この浮葉町と隣町の落葉町は、一つの町だったのじゃ。双葉町という名だった。それを行政の関係でふたつの町に分離した際、それぞれの特徴が、さらに鮮明になってきたのだ。この浮葉町は近代化して、科学、経済が発達した。逆に、隣の落葉町は、あくまでも恵まれた自然を大切にしながら、それに即した生活を守ってきたのだ」
 管理人はそこで言葉を切った。僕と冴子を交互に見る。
「ただ、お互いに問題点があった。この浮葉町の問題は、間引き政策を拒否する老人にとって、自ら命を絶つための場所が少ないことじゃ。すなわち、老人の死に場所が積極的に提供されていないのじゃ。行政が悪い、と言えばそれまでだけどな、物理的に落葉町のようなダイヴできる場所がないのじゃよ。ビルの屋上からダイヴしたいと思う老人なんているわけがないからな。鉄やコンクリートと心中したくないのは、誰しも同じじゃ」
 管理人が椅子にすわったままパネル操作をした。壁の一部が反転し、ドリンクのディスペンサーが現れる。みんなに飲み物を勧め、自分も喉を潤しながら続ける。
「一方、落葉町の問題は、死に場所を自由に選べるほどの豊かな自然はあるが、町全体の財政が苦しいということじゃ。自然を大事にし、第一次産業に固執しすぎたため、時代の流れに取り残されてしまった。ゆえに、へたをすれば、自然を切り売りしなければ、経済状態を維持できない恐れがでてきたんじゃよ」
 管理人が口を湿らせた。
「だから、ふたつの町は、お互いの短所を補い合うことにしたのだ。持ちつ持たれつの関係じゃ。すなわち、浮葉町は落葉町に飛び込みの場所を使用させてもらい、さらにその死体を回収してもらう代わりに、相応の対価を支払う。落葉町は、報酬をいただく代わりに、浮葉町にダイブの場所を提供し死体を回収する。まあ、この浮葉町にしてみれば、金で自殺の場所を買ったようなものだ。時代が生んだ行政のあり方じゃよ。それがいいか悪いかは、わしの判断することではないがね」
 僕は冴子とうなずきあった。これで、最近、浮葉町のダイヴ者が増えてきた理由がわかった。信良と花江もこの解答で満足してくれると思う。
「さっきジャックさんが言っていたことが気になっているんですけど」冴子が紙コップを両手でもてあそびながら尋ねる。「記憶をムーヴして墓場に納めたもの、ええとマスターでしたっけ。それ、本当にそのまま墓場の中で眠っているんですか? 記憶の持ち主が亡くなるまで?」
 管理人は局長と顔を見合わせた。うなずき合う。
「それは組織の機密事項だ。ここで言うわけにはいかん」そう言った管理人が笑顔を作った。「まあ、わしは独り言が好きでのう、よくつぶやくらしいのじゃ。なあ局長」
 ええまあ、と苦笑する局長。
「だから、今から独り言を言うかもしれん。その場合は、しわがれた老人がまた独り言をつぶやいているな、と聞き流してくれると助かる」
 僕は冴子とうなずき合った。
「この世の中は多種多様でな。こう平和すぎるとどこかで歪みが生じるような気がするんじゃよ。ムーヴした記憶はその持ち主の人生の中で最も悲惨な記憶ということになるが、そういうとてつもなく悲惨な記憶を好んで求める輩も世の中には存在するということじゃ。組織にべらぼうな金を支払い、墓場に保管されている記憶チップの中から好みのものを購入し、それを閲覧して楽しむ。平和が生み出したモンスターじゃよ。まったく、金持ち連中の考えることはわしには理解できん。悪趣味の極致、えげつない道楽だよ。わしはそう思うが、組織にしてみれば、需要があれば供給もある。ただそれだけのことじゃ。研究には金がかかる。その費用を調達すべきところから調達する。そして、その金でまた研究を続ける。組織にとっては、モンスターたちは必要悪なんじゃ」
 管理人がため息をつく。ゆっくりと喉を潤してから、自嘲めいた笑いを顔に浮かべた。
「だがな、最近、わしも年を取ったせいか、保守的な考えに傾きつつあるような気がするんじゃ。これを言うと、おそらく君たちのような者からすれば嫌悪の対象と見られるかもしれんが、どうかな。わしが最近感じていることだがな、結局のところは、みんな表面的な付き合いのほうが、うまくいくし、幸せなんじゃないかな。人間ってやつは、そういうふうにできているんだと、だんだん思えてきたのじゃ。完全に本音で付き合うことなんて、今の世の中、できるものではない。ぶつかり合い、罵り合い、騙し合い、精神崩壊でアウトだ。だから、表面的な付き合いを本人が意識しなくてもできるように、組織が各人の記憶をまろやかに均してやる必要がある。まるで、荒くれた木材に鉋をかけて均すようにな。鉋がけで削った記憶は、組織がいただく。まあ、組織にとっても金持ち連中にとっても記憶喪失者にとっても、利があったということになる。めでたしめでたしさ」
 一気にそう言ってから、管理人は僕たちを見た。その目には、さあ、嫌悪してくれてもかまわないぞ、覚悟はできているんだ、という気持ちが表れているように思えた。
「管理人さん、ご苦労様」僕は微笑んだ。「長ーい独り言でしたねえ。じゃあ、そろそろ行きますか」
「君というやつは、本当に」管理人が笑いながら自分の頭を叩いた。「本気で君の記憶がほしくなったぞ。組織とは関係なく、わしが個人的に」
「もしかして、管理人さんも金持ちだったりして」冴子がこっそりとつぶやく。ただし、管理人には微妙に聞こえるように。
 案の定、管理人が大笑いする。「才色兼備とはよく言ったものじゃ。佐和子さんも、あの世で楽しみにしているんじゃないかな、君の成長を」
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