LYCAN

ナカハラ

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Chapter1

12

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 今までは山奥での一人暮らしの生活だった。
 それが今では、奇妙な同居人との二人暮らし。
 同じ空間を共有し、共に暮らす相手が出来た事で変わったライフスタイルは、グレイヴに良い変化をもたらしたのかも知れない。今までは気が付くと顔を伏せ、表情に陰りを見せていた彼の変化。それに気が付いたおやっさんが、顎を撫でながら静かに口を開く。
「なぁ、グレイヴ」
「ん?」
「お前さん、最近笑う事が増えたじゃねぇか」
 彼がグレイヴと仕事をするようになって付き合いは長いのだが、このような間の抜けた物言いで返事をした事は無かった。ましてや、心から楽しそうに笑う表情は見たこと無いと記憶している。
「え? そうかな?」
 今にも鼻歌を歌い出しそうな雰囲気。大分柔らかくなった表情を浮かべた後輩は、おやっさんと呼んで慕う年上の同僚に背を叩かれ、困った様に眉を下げる。
「ふむ」
 これは何かあったらしい。歳を取りその手の話題はご無沙汰といえど、女性ほどでは無いが色恋沙汰の話題はそれなりに興味をそそられてしまうというもの。
「何だ、何だ? もしかして、これか?」
 大分遅れてきた春の気配に、おやっさんは小指を立てグレイヴをからかう。
「何言ってんだよ!!」
 言われた言葉に驚いたグレイヴは、彼の言葉を即座に否定し首を振った。
「違うって! 今、親戚が遊びに来てんの!」
「ほほう」
 親戚が来てると言い訳をしても、この慌てっぷりは何かがある。そう推測したおやっさんは、意地の悪い笑みを浮かべグレイヴを見る。本当は良い相手が居るんだろう? 言葉にこそしないが、彼の目は明らかにそう物語っていた。
「だーからぁ……」
 こういう時、どう伝えれば誤解は解けるのだろう。
「あー、ハイハイ。まぁ、そう言う事にしておいてやりましょうかね」
 勝手にされた勘違いは解けないまま。おやっさんの豪快な笑い声が辺りに響くと、グレイヴは慌てて大声を上げ彼の腕をつかんでこう言った。
「ちょっ、俺は嘘は言ってねぇよ! おやっさん!!」
 それに気付いて集まる同僚達。各々が気になっていたグレイヴの変化をからおうと口を開く度、彼の慌てた声が響き、それに重なるように大きな笑い声が起こった。
 家族が居なくなってからいつだって、人とは有る一定の距離を置いて付き合っていた。
 必要以上に自分から、歩み寄ろうと努力をしない為、その溝が埋まることは決してない。それでいいと思い、それで良いと諦めて居たのに、今になって変化を望む自分は狡い人間なのだろう。
「お? もう帰るのか?」
 本日の業務が終わり帰り支度をしていると、別の同僚から掛けられる声。
「応!」
 以前なら覇気の無い声で軽く流していた返事も、いつもより張りのある声で返せることが心地良い。
「街まで買い出しに行きてぇから、先に上がるわ」
 腕時計を叩き時間を示すと、同僚は歯を見せて笑い、グレイヴの背中を軽く叩く。
「そっかそっか、お疲れさん!」
 先程の騒動から、彼もきっと勘違いをしているに違い無い。何かを期待したようなにやけ顔は、勝手に思い描く甘い時間を想像した結果論。それに呆れたように溜息を吐くと、グレイヴは軽く手を上げひらひらと動かした。
「お前もな」
 結局、彼らが勝手に決めつけた憶測は、一切解けぬまま職場を後にし付いた帰路。早く家に帰りたいと思えるようになったのも、同居人の存在によるものが大きいのだろう。
 初めの頃はその存在が煩わしいと思っていたはずなのに、今では家で一人、グレイヴの帰りを待つその存在のことが心配で仕方が無い。
 帰宅の時間が遅くなれば成る程、ルカは不貞腐れてむくれてしまうのだ。それはまるで、父親との約束を反故にされ腹を立てた子供のように、感情を全面に出し自分の思っている事を伝えようと必死になる姿が面白い。長いこと忘れていたのは、そういう事に笑い合える事の楽しさ。本当に小さなことだったが、そんな些細な事が心から嬉しくて、思わず零れ出たのは鼻歌だった。
 注射していた愛車に乗り込みエンジンを掛けると、クラッチをゆっくりと離しながらギアを動かす。緩やかに走り始める鉄の塊は、目的地へと向かって移動し始めた。
 ルカとの生活で大変だと感じていることは思っている以上に多いのだろう。
 彼と暮らし始めて改めて思うのは、行動が全く人間らしくないということである。
 どことなく獣に近い印象を受けるルカに対し、グレイヴは一から人間社会のルールというものを教えてやる必要があった。共に生活をすると決めてから最初の数週間は、本格的な物覚えの悪さに随分と手を焼かされたものだ。服を着るのは嫌がるし、風呂に入るのも抵抗される。場所を選ばず飛びついてくるのも当たり前で、食事は手掴みどころか皿に直接顔を突っ込んで食べる始末。そして一番最悪なのは、それをマナーが悪い事だとは認識していないことだろう。コップの中の水を飲むにしたって、いちいち机の上だの床の上だのに零してから、其処に舌を這わせて飲もうとするものだから、慌てて止めに入るこちらが常にハラハラさせられてしまう。
 それでも根気強い努力の結果は確かに現れているようで、最近になって漸く、服を着ることにも慣れ、コップから飲み物を飲むことが出来るようにはなった。しかし、まだ幾つかの不安要素は残されたまま。未だに食事の時は手掴みで物を食べようとし、気を抜くと皿に顔を突っ込んでしまう。風呂にしたって本気で嫌がるので、グレイヴが押さえつけるようにして強制的に彼の体を洗っていた。
 これが彼と暮らし始めてグレイヴが思い知らされた現実の一部。
 また、ルカは、思った以上に甘たがりだった。
 離れているのが嫌だとでも言うように、隙あらばグレイヴに抱きつこうとしてくるのだ。それはまるで構って欲しいと全力でアピールする飼い犬と同じ。仕事に出る前は本当に一苦労で、毎回小さな格闘をやり合った後、無理矢理彼の身体を引き剥がし家を出る。そんな日々が続いている。
「今日も飯食ってねぇんだろうなぁ……あいつ」
 切れ居ていた日用品のストックを片手に考えるのは、家で留守番をしているはずの同居人のこと。
「俺がいないからって、飯を食うのを我慢することはねぇのに」
 グレイヴの居ない間、ルカはじっと玄関先で待っていることが多いことはずっと気になっては居ることだ。どんなに言い聞かせても一切聞く事無く、帰宅すればいつも玄関の隅で小さくなっている。その間食事は一切していないようで、冷蔵庫に入れっぱなしの食事は朝用意したときのまま。温めて食べろという指示は出しているし、食事の有る場所も分かりやすいところにするなどの工夫はしているのだが、何故か一切、手を付けてくれないのだ。
 ただ、手つかずの食事は、グレイヴが帰宅すると飢えた獣のように食べ始める。
「全く……」
 見た目は確かにグレイヴと同じ人間なのに、何だか人間以外の動物を相手にしているような錯覚。手を焼かされるほどに、苛立ちと諦めが交互に顔を覗かせ息を吐く暇も無い。
「早く帰ってやらないとな」
 そんな生活が思った寄りも楽しいと感じているのは確かだろう。確かに、ルカを相手にしていると疲れる事は多いが、下に妹が居た経験から、無意識に誰かの世話を焼くという事に喜びを感じないわけではないのだ。スーパーマーケットの中で籠に必要な物を投げこみながらグレイヴは嬉しそうに笑う。
「さて………。今日は一体何を作ってやりますかね」
 買い物はもう暫く続く。グレイヴが家に辿り着くのは、もう少し先になりそうだった。

 主の居ないロッジの中は、しんとしていて酷く寂しい。
 戻らない家主の気配を探るように耳を欹てながら、ルカは抱えていた膝を引き寄せ蹲る。立てた膝の上に顎を乗せ吐いた溜息。無意識に視線を向けた先は玄関の扉だ。それが開く気配は、今のところはまだ訪れない。
「…………」
 ルカに取って、この時間はとても苦手なものだった。
 毎朝グレイヴが自分を残して家を出て行くことを、彼は未だに理解出来ないでいる。共に居て欲しいと縋り付いても、グレイヴはそれを上手く交わし、彼を残して扉を閉ざしてしまう。離れていく気配と遠ざかるエンジン音が、より寂しいという気持ちを強くさせる。
 早く帰ってきて欲しい。
 そんな思いから、彼はいつも、玄関の隅に座り込んでいる。少しでも早く、待ち人の気配に気がつけるように、と。
 再び溜息を吐いて目を伏せると、確かに聞こえくるのはタイヤが砂利を踏む音だ。この音の向きは朝とは異なり、建物へと近付いてくるものである。それに気がつくと、ばっと顔を上げ、とルカの表情が一瞬にして明るいものへと変わる。期待するように小さく高い声を零しながら、耳を澄ませて探る外の気配。一度玄関前を通過しガレージの方へ車が移動した後で、回転を止め気配の消えるエンジンの稼働音。暫くして運転席のドアが開き、靴の裏が砂利を踏む音が耳に届く。
 グレイヴが玄関のドアを開いて顔を見せるまではあと少し。ルカは抑えきれない喜びで目を輝かせながら、じっとその扉が開くのを待った。
「ただい……」
「!」
 施錠されていた鍵が外れ、ゆっくりと開く玄関のドア。外と繋がる隙間が見えれば、すっくと立ち上がり真っ直ぐに走り出す。ドアの向こう側にいるのはずっと待ち望んでいた人の姿。それが嬉しくて飛びかかろうと体制を低くすると、僅かに扉を開いたグレイヴがしまったと言う表情を見せ、慌てて扉を閉めた。
 音を立てて閉ざされたドアの向こうで響くのは、何かが派手にぶつかる音だ。多分これは、ルカがそこにぶち当たった時のものだろう。
「危ねぇ……」
 ほっとしたのも束の間、閉ざされた扉の向こう側から必死にドアを叩く音が聞こえてくる。早くここを開いて中に入りたいのはグレイヴも同じ。しかし、本日は、大きな荷物を抱えている状態。いつものように飛かかられるのは勘弁して欲しかった。
 音が少しずつ弱まったことが確認できると、少しずつ扉を開け建物内の様子を覗う。すぐ目の前には、膨れ面で立つルカの姿があり、恨めしげにグレイヴを睨んだ顔と目が合った。
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