LYCAN

ナカハラ

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Chapter1

15

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「後で思う存分抱きしめてやるから、ちょっと我慢してろ」
「うー」
 目に涙を溜めて必死に堪えているところを見ると、この風呂嫌いは筋金入りらしい。
「はぁ……」
 どうせ洗うならプロポーションがよい素敵な女性の方が嬉しいのに。そんなことを考えながら、筋肉の付いた身体を洗っていく。何だかこの行為は非常に虚しいと感じてしまうからこそ、いつかは一人で入れるようになって欲しい。切実にそう思ってしまうのは男として正常なことだろう。
 どんなに脳内でイメージの更新を試みても、目の前にあるのは悲しい現実。そのお陰で妙な空気にならない事は助かるが、それでも同じ性を持つ者同士、こんな狭い空間で裸の付き合いをしたいと思っている訳では無い。
「……?」
 グレイヴの指がルカの左脇腹に触れる。明らかにそこだけ感触が異なる部分は、出会ったときに診た銃創の痕だ。
「痕……やっぱり残っちまったか」
 それは、一日で塞がってしまった不可思議なもの。真っ白な肌には痛々しい痕跡だけが残されている。
「これがなければ綺麗なのになぁ」
 改めてルカという人間の造形を見てみると、吃驚するほど白い肌はまるで女性の物のようだ。細かい傷が身体の部位によりあるようだが、それでも肌はきめ細かく、繊細で弾力がある。程よく付いた筋肉はきちんと鍛えられており、動く事を意図した理想の形に近い。作られた造形物。そんな表現が良く似合うと感じる程、ある意味完璧なものに見えてしまう。
 だからこそ、こう思ってしまうのだ。その身体に残る傷跡が邪魔で仕方が無い、と。痛々しく見えて仕方無いその傷痕に、グレイヴは眉を寄せ苦い表情を浮かべる。
「勿体ないな」
 それが消える事は無いと分かっては居たが、それでも無意識に手を動かす。傷口を隠すように泡を被せていくと、ルカは擽ったそうに身を捩りゆるい抵抗を見せる。
「…………」
 ただ、無心に彼の身体を洗っていく行為。汚れだけではなく、その身体に残る傷までも消えてしまえばいいと願いながら、隅々まで綺麗にしていく。勿論、自らの身体を己の手で洗うと言うことを知らない相手のため、触れたくない箇所も触れる必要があるのだが、その事についてはなるべく考えないようにし作業を続ける。そうやって最後に残った左足を手に取ると、グレイヴ驚いて目を見開いた。
「ん? こんな所に傷なんてあったか?」
 この傷には始めて気が付いた。ルカの左足に残る古い傷。具合からみるにこれは随分と前に付けられた物のようだ。
  それが気になり、無意識にルカの左膨ら脛を持ちじっと傷を見てしまう。古傷の形はリング状のもので、彼の足首に沿って細いラインを描いている。その形に見覚えがあるような気がして、グレイヴは首を傾げ考える。
「……これって、もしかして、狩猟用トラップの痕か?」
 いいやまさか。頭に過ぎった考えを馬鹿なことだと振り払う。確かに事故でそのトラップが発動する事はあるだろうが、幾ら何でも人間がそれを解除出来ないということは無いだろう。以前使用されていた物とは異なり、構造はシンプルになっているし、解除の仕方もそこまで複雑なものではない。だからこそ、これほどはっきりと傷口が残るような掛り方には違和感を感じてしまう。
「…………もしかして」
 そこで思い出したのは、子供の頃の記憶。雪の日に出会った、あの真っ白な狼のことである。
 そう言えば、あの時に出会った狼も、左足に怪我を負っていた。丁度ルカの左足に残された傷口のような、狩猟用トラップに挟まれて。
「……お前……あの時の狼、なのか……?」
 馬鹿げたことを聞いていると自分でも分かってはいた。そんなことあるはずがないと、自分でも思う。当のルカはというと、グレイヴの言葉の意味が分からないとでも言うように、彼の事を見て居るだけ。
「……んな、訳ねぇか」
 これは只の偶然なのだろう。そもそも、この傷が狩猟用トラップによって出来たものだと決めつけるのは間違いだ。偶々似たような形で傷が残っただけで、全く別の何かに足を引っかけて付いたものだという可能性は十分に有る。浮かんできた突飛な考えを振り払うように頭を振ると、気が付いた古傷自体も視界から消してしまうように泡で包み込み洗ってしまう。
 そうやって、一通り全身が泡まみれになったところで、漸くルカを洗うというミッションは終了。シャワーを流したままバスタブに押し込み頭から湯を被っているように指示を出すと、今度は自分の身体を洗うことに専念する。ルカの時とは違い自分の時は鴉の行水。汗と汚れさえ落ちればそれで構わないのだから、丁寧にケアをする必要はない。その間、ルカはバスタブの中でじっとグレイヴの行動を見て居た。
「何?」
「…………」
 相変わらずルカは何も喋ってはくれない。今日こそは、何か言葉を聞けるのかもしれないと、そんな淡い期待を抱きつつ言葉をかけるのに、それに対して戻ってくるのは簡易的な音と曖昧なジェスチャのみ。
「まぁいいか」
 髪に付いた泡を洗い流すべく、シャワーを掴んで自分の方へと引き寄せる。目を閉じて頭から湯を被れば、伸びてしまった部分の髪の毛が、肌にぴったりと貼り付いてきた。
 洗髪が終われば、そのまま身体を洗う作業に移る。ボディタオルに馴染ませたソープをを泡立て、癖になった順番で汚れを軽く落としていく。
「………う」
「?」
 右腕を洗っている時だ。突然伸びてきたルカの手が、グレイヴの肌に軽く触れた。
「ルカ?」
「…………」
 腕に付いた泡を軽く拭い自らの手に付けると、それを指に絡めて遊びはじめてしまう。どうやら自分が洗われるのは嫌いなのだが、人が洗っているのを見るのは面白いと感じているらしい。
「!」
 ルカの手の中で大きくなった泡の中から、一つだけ出来たシャボン玉が逃げ出す。
「あう!」
 それを追う様に手を伸ばしかと思うと、次の瞬間、バスタブから身体を乗り出し口を開け、それを食べようと動いた。
「あー!! こら!!」
 ボディソープの泡を食べるなんてとんでもない事だと。慌ててルカの身体を掴むと透明な泡風船から引き離し、バスタブに座らせる。
「うー! うー!!」
 それが嫌だと抵抗を見せるが、ここは譲るべき所ではない。
「駄目だって! あれは食べ物じゃねぇっつーの!!」
 口調は優しく、意見は厳しく。それを食べてはいけませんと諭してみるが、彼はそれが面白くないのだろう。
「ガルルルルル」
 気に入らないと、グレイヴに対して歯を見せ唸り声を上げ威嚇してきた。
「そんな顔しても駄目だ! アレは食べちゃ駄目なものなんだよ! 分かったか! ルカ!!」
 今度は強い口調で窘めると、未だ泡風船の存在が諦められない素振りを見せつつ、強い抵抗を見せそれが欲しいと手を伸ばす。思ったよりも強い力に思わず腕の力を緩めそうになるが、それを食べようとする事が分かって居る以上、ここはどうしても譲れないのだ。暴れ続けていればその内グレイヴが折れてくれるだろうと思っていたのは誤算で、彼が全く引気配を見せず、逆に己の肩を掴む手に力を込められてしまったことで、ルカは漸く何かを悟り、諦めて大人しくなった。
「遊ぶだけなら良いけど、食うのは駄目だなんだよ」
「…………」
 それでも納得はいっていないと。思いっきりルカに睨まれたグレイヴは困った様に肩を竦める。
「ルーカ」
 本当にこの同居人は直ぐにいじけてしまうから困りものだ。仕方がないと考えた末、未だ手に付いたままの泡を擦り合わせ大きくしていく。十分な弾力を取り戻したところで、指でつくる輪っか。その間にそっと息を吹き込むと、先程よりも大きなシャボンが生まれ、ふわりふわりと優雅に宙を漂った。
「!」
 再び洗われたシャボンにルカの表情は一変、嬉しそうな物へと切り変わる。直ぐに口を開け食べようとするが、今度は優しく引き留めて食べては駄目だとなものなのだと試みる説得。
「いいか、ルカ。これを食べたらルカのお腹が痛くなるんだ」
 勿論そんなの嘘っぱち。たった一個の泡を食べたからと言って、急激な体調変化なんて起こるはずもない。それでも子供の様に純粋なルカには、これくらいの脅しの方が効果はある。
「これを食べてお腹が痛くなったら、ルカが嫌いな苦い薬を飲まないといけないんだぞ? ソレでも良いのか?」
「…………?」
 その危険性を説明するため、有ること無いこと尾鰭を付けて植え付けていく恐怖心。
「この前一度飲んだだろう? うえーってなる丸いやつ」
「!」
「アレを飲ませるぞ? ソレでも良いのか?」
 分かりやすくジェスチャを交えて説明を続けると、何となくグレイヴが言っていることは理解出来しているのだろう。ルカは一度、何かを考えた後、脅えるようにバスタブの奥に逃げ込んでしまった。
「ルカ?」
「!」
 どうやらシャボン玉はとても恐い物だと勘違いしてしまったらしい。有る意味では間違っては居ないのだが、そんな反応が実に面白くて笑ってしまいたくなる。
「ルーカ、ほら」
 再び手を擦り合わせ泡を大きくすると、今度は両手を使い更に大きなシャボンを作ってみせる。
「!?」
「あっはははは!」
「ガルルルルル…」
 ルカが目で何かを訴えて来たが、それは華麗にスルーして、残った身体の部分を洗うことを再開させる。バスルームに響く笑い声。
「ごめんごめん! 脅かして悪かったよ!」
 泡風船が出来る度、怯えながらそれを避ける彼に対して芽生えたのは罪悪感。これ以上はからかうことはせず、身体に付いた泡を洗い流しながら、グレイヴは静かに言葉を続ける。
「シャボン玉を作って遊ぶことは構わないが、それを食べようとする事は良くないぞ。それさえしなければ、幾らでも大きなシャボン玉をつくってやるから」
 ほら。そう言って再び大きなシャボン玉をつくると、軽く指で突き弄ぶ。怖いと怯えながらも興味を失った訳では無いいようで、ルカも恐る恐る手を伸ばすと、薄い皮膜に触れ目の前の不思議を楽しむように手を動かす。少しずつ変わっていく空気と関係性。それが実に心地良いと感じていることを、グレイヴ自信が気が付くのはもう少し先のことである。
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