LYCAN

ナカハラ

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Chapter1

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「会話が出来るならもっと楽なのになぁ……」
 トラックに乗り込むと、キーを差し込みハンドルに凭れ掛かる。
「今度の休みにでも……読み書きの勉強、させてみるかな」
 いい加減、円滑なコミュニケーションを取るために、何かしらの行動を起こすべきなのだろう。未だ玄関からは、ルカが扉を叩く音が聞こえてくる。残される寂しさを理解している分、その様に訴えられると、どうしても心が揺らいでしまうのが苦しくて仕方ない。
「……頼むから、やめてくれよ……そんな事をするのは……」
 ルカがドアを叩く度に、家に戻って扉を開けたいという衝動に駆られる。腕を広げてその中に飛び込んでくる存在を抱き込み、優しく頭を撫でてやりたいと。無意識にそう思ってしまう。
「俺だってそんなに強くねぇんだよ……」
 多分これは、一時の気の迷いなのだろう。長年抱いてきた寂しさを埋めてくれる存在が目の前に現れた。それが嬉しいから、その相手が大切なんだと感じてしまう錯覚。その結果、引き起こされる依存関係は、いつまでも続くようなものでは無い。だからこそ、これ以上は踏み込んではいけないと、常に己に言い聞かせてはいる。甘やかしてはいけない、甘えるべきでは無い。いつか、その存在が手放せなくなる前に理性を取り戻さねば、と、切り替える意識。それでも、無条件に頼ってくる相手から得られる優越感は、グレイヴを自惚れさせるには十分だった。これはきっと、懐かしい感覚が呼び覚まされてしまうからなのだろう。己が誰かに必要とされるという喜びを、こんなにも近くで感じられる事が、嬉しいと感じているのは事実。だからこそ慎重になるべきである。相手は同じ人間なのだ。己の所有物のように扱うべきでは無いんだ、と。
「うし! さっさと仕事片付けて帰って来よう!」
 何かを吹っ切るように態とらしく大きな声でそう言うと、グレイヴはキーを回してエンジンを掛ける。向かうのは本日の現場。仕事に集中すれば、直ぐに時間が過ぎるんだと言う事を期待して、目的地へと向うのだった。
 外から聞こえてくるエンジン音に、ルカは大きく目を見開いた。一段と激しくドアを叩いてアピールするのに、その内、車のタイヤは砂利を踏む音に変化し、それがどんどん遠ざかってしまう。
「うー……」
 こうなったら完全に建物の中で独りぼっち。
「あー……うぅ……っ……」
 ルカの目から大粒の涙が溢れ頬を濡らす。そのままずるずると玄関先に座り込み、悔しそうに床板を叩いた。
「あうっ、あー……」
 ルカにとって、この時間はとても辛いと感じるものだった。
 何となく、この家の主が己に求めていることは理解してはいるのだが、それを素直に受け止められるほど、ルカは器用ではない。グレイヴの傍は温かく、彼の手が頭を撫でてくれることが好きなルカにとって、グレイヴの姿が見えなくなることは不安で仕方ながない。少しでも長くグレイヴの傍に居たいんだ、と。必死にそうアピールするのに、いつもグレイヴはこの時間になると居なくなってしまう。その理由が分からずいつも取り残された様に感じ募る寂しさ。それがとても嫌で堪らないから、毎日こうやって開かないドアを憎らしげに睨み付けるのだ。
 今日もまた、しんと静まりかえった家で一人、お留守番。長い孤独な時間が始まったことを理解すると、ルカはのろのろと定位置に移動する。その場所は玄関のドアがよく見える場所。立てた膝を抱えると蹲り溜息を吐く。早くこの家の主が帰ってくることを願いながら。

 そんな生活ではあったが、数ヶ月過ぎればそれなりに変化は訪れるようだ。
「それじゃあ、行ってくるから」
 ルカの頭を撫でながらそういうグレイヴに対し、ルカは素直に頷いてみせると、掴んでいた上着の裾から手を離した。
「良い子だ」
 ここまで来るのには当然、相当時間が掛かっている。ただ、朝に無理矢理ドアを閉ざされても、決まった時刻にはグレイヴが帰宅しているんだということに気が付いてからは、ルカは素直に留守番を買って出るようになった。少しでもグレイヴの負担を減らしたいと。そう思ってくれているのかどうかは分からない。それでも、こんな風に身を引いてくれるのは精神的には非常に有り難いのも確かである。
「飯はいつもの場所だ。それも分かるよな?」
 確認するようにそう伝えると、これにもルカは頷いてみせる。
「よし」
 毎日繰り返すことで、何となく言葉というものも理解してきているようだ。相変わらず会話はままならないが、こちらの伝えたいことは何となくだが分かるようになってきているのかもしれない。
「今日は買い物してくるから少し遅くなるかも知れねぇけど、絶対に帰ってくるから」
「?」
 とは言え、細かい時間の感覚はまだ理解しているわけではない。伝えた言葉に対して、ルカは不思議そうに首を傾げる。
「まぁいいか」
 腕時計で時刻を確認するとそろそろ家を出る時間が近付いてきている。
「じゃあ、またあとでな」
「!」
 ルカに見送られロッジを出る。鍵を掛けドアが開かないことを確認し、向かう先はガレージ。トラックに乗り込めばそのまま今日の作業場へと移動開始。
「…………」
 扉越しに聞こえてくるのは、建物から遠ざかるエンジン音。幾ら平気なふりをしても、実際は未だ慣れない感覚が確かにある。それでも、この家の主は、必ず帰ってくると約束してくれた。だから今は、以前のように玄関先に座り込むことはせず、リビングに移動する。定位置は廊下の冷たい床の上から、のんびりとくつろげるソファの上へ。勢いよく柔らかなクッションの上にダイブしすると、そのまま目を伏せ欠伸を零す。
「……あう……」
 この家の中には、グレイヴという人間の匂いが至るところにある。
 こうやって寛いでいるソファの上にも、柔らかなシーツに包まれたベッドの中にも。ルカの着ている服にしたって、元はグレイヴの物だ。当然、それからもグレイヴの匂いはする。
「う」
 グレイヴという人間は、今、この場所に居ない。それでも、その匂いが直ぐ近い場所に有ることに安心すると、段々と睡魔がルカに向かって手を伸ばす。緩やかに訪れる眠気は意識を手放せと耳元で囁く。気が付けば蹲るソファの上。ルカは、小さく寝息を立て始める。
 グレイヴと一緒に居ることが、ルカにとっては一番の楽しみ。グレイヴという存在が、ルカの全てであることをグレイヴ自身は未だ知ることはない。その理由は至って単純で、伝えたくともルカには、伝えるための言葉がないからだ。
「う……ぅ……」
 決して広くはない黒いソファの上で、ルカはただ眠り続ける。静かな空間には、彼の寝息だけが小さく響いた。
 ルカが緩やかな眠りに就いてから、あっという間に時間は過ぎた。
 本日の業務も順調に進む。天候に恵まれ、機械トラブルも起こらず、思った以上にスムーズに進んで作業は、予定為ていたタスクをあっという間に完了させ、余裕があるほどだ。明日の作業を一部前倒し、就業時間になったところでグレイヴは、同僚から声をかけられた。
「よーし! 今日は飲みに行くからな!」
「え?」
 突然言い渡されたその言葉に、思わず固まってしまう。
「今日? これからか?」
 反射的に返したのはそんな間の抜けた言葉。
「ああそうだが……何か都合が悪いのか?」
 今日の業務はもう終わりで、後は家に帰るだけ。何も不都合はないだろう? そう同僚が目で訴えるのは分かっている。
「あー……都合っつーか……」
 本当は直ぐにでも家に帰りたかった。それでも即答せず歯切れの悪い言葉で返事を濁したのは、ここ数ヶ月の間、こういう誘いを悉く断り続けているという後ろめたさがあるからである。いままで様々な理由を付け直帰をくりかえしていたのだから、流石に断るのも限界が近い。断ろりたくとも、断りにくいという雰囲気は確かに有った。
「……少しくらい……なら?」
 一時間ほど付き合ったらタイミングを見て抜けてしまおう。取りあえず参加する旨を伝えると、同僚は満足したように笑い、思い切りグレイヴの背を叩いた。
「よし! よく言ったぞ! グレイヴ」
 そうやって強制連行されたのは街の酒場。以前は良く通っていた建物は、相変わらず常連客で賑わっているようだ。
「おぉ! 久しぶりじゃん、グレイヴ」
「ああ、久しぶり」
 店内に入ると、顔なじみが何人。目敏くこちらに気が付き声を掛けられてしまう。
「偶にはこっちにも顔出せよ-。ビリヤードの相手が居なくてつまんねぇぜ」
 ビリヤード台に持たれながら半分ほど中身の無くなった瓶を揺らし、こっちに来てゲームを楽しまないかと誘われる。
「悪い悪い」
 それに手を顔の前に移動し断ると、今度は別のグループから声を掛けられた。
「偶には俺達と一緒にダーツでもやろうや」
「そのうちな」
 何度もかけられる誘いを片っ端から断りながら、同僚が腰を下ろしたテーブルに移動し一息吐く。それに気付いたスタッフが、直ぐにメニューを持って二人の目の前に現れた。
「注文はお決まりでしょうかー?」
 店内に流れる音楽がスタッフの声を遮る。
「取り敢えず、ビール。ジョッキで二つな」
「かしこまりましたー」
 注文を受けたスタッフは、そのままカウンターへと去って行ってしまう。こちらの制止を聞く事無く、同僚が勝手に注文したのはアルコール。しかもちゃっかり二人分のだ。今更それを無かったことにするにはタイミングが悪い。それに口を付けてしまうと自力での帰宅は難しくなると分かっているのに、どうも逃げるための上手い口実が思いつかない。何とか誤魔化してアルコールを摂取することを回避しようと試みるが、結局それは叶わないまま。こうなったらと一口だけ口を付けたが最後、次から次へと増えていくグラスが机の上に並んでいく。
 始めは適当に飲んで時間を見計らって店を出るつもりだった。だが、酒が入ると話は盛り上がってしまう訳で、気が付けば一時間……そして一時間と、時間だけが経過していく。
 そして今。
 どこでどう間違ったらそうなるのだろうか。その理由が分からないまま、気が付けばグレイヴは、見知らぬ部屋のベッドの上に居た。
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