LYCAN

ナカハラ

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Chapter1

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「起こしちゃった?」
「……此処は?」
 記憶に無い天井と部屋に漂う仄かな甘い香り。酒場で同僚と酒の席を楽しんで居たところまでは、確かに記憶があるのだが、その後に一体何があったのだろうか。草臥れたシーツの上でぼんやりと過去の時間を辿り探す答え。
「酒場の上の宿よ。貴方は私のお客さんね」
「客……」
 そう言われて朧気ながらに思い出したのは、数時間前の記憶だった。
 随分と酔った頃だ。確か、女性の方から声を掛けてきたように記憶している。「どう?」と誘われ、何となくそんな流れになり出した了承。彼女にどんな目的があったのかは分からないが、酔った勢いで久方ぶりに及んだ男女の行為は、一人で処理する時以上に感じていたような気もして居たたまれなくなる。
「やった?」
 敢えて何があったのかを尋ねるのは、この状況を否定して欲しいと願うから。
「何のことかしら?」
「……セックス」
 頭の中にある記憶が本当の事なのかどうか。それを確認しようと問いかけると、女は髪の毛を結っていた手を止めベッドの脇に備え付けてあるゴミ箱を指差しながら笑う。
「……成る程」
 そこに在るものは使用済みのコンドーム。物的証拠がしっかりと残されている以上、何が有ったのかは一目瞭然である。
「随分と溜まっていたのね。女性と寝るのは久しぶりなのかしら?」
 彼女の白い肌に残される紅い痕は、勢いに任せて己が残したものなのだろう。性欲はそれほど強い訳ではないはずなのに、羽目を外すほど行為に溺れてしまったらしい自分に感じる羞恥心。
「……かれこれ一年近くになる……かな」
 身体に残る倦怠感が、行為の激しさを如実に物語っている。それは決して恥ずべき事では無いが、何となく気まずく感じ、ベッドの上に腰掛け吐いた溜息。
「今までこういった出会いが全くなかったんでね」
 彼女に対しての悪い印象は全く抱いていない。多分、身体の相性も悪くは無かったと。そういうことなのだろう。
「こんなに格好いいのに彼女が居ないなんて勿体ない」
「そりゃあ、どうも」
 幾ら双方同意した上での行為だからとは言え、こんな風に行為を行ったことを覚えて居ないのは卑怯だと分かっては居る。彼女は商売と割り切ってはいるが、だったら自分は一体何だ。恥ずかしくて火照る顔を手で覆い隠しながら、考えるのは全く関係の無いこと。今は何時だろう。ふと、そのことが気になり、サイドボードに放り出されていた時計を掴む。時刻を確認すると、既に深夜二時を回っていた。
「アンタはこれからまた仕事……なのか?」
 そう言えば。ベッドの上で未だ衣服を身につけていない自分とは異なり、彼女は既に身支度を都斗萌えてしまっている。そのことに気が付き投げた質問は、肯定という形で返された。
「そうね。ご指名が入っちゃったから」
 言いながら取り出した携帯を軽く振り、彼女は困った様に眉を下げてみせる。
「貴方は朝まで、此処を好きに使ってくれればいいわ」
「幾らだ?」
「そうね……貴方、好みだからサービスしてあげる。これだけで構わないわよ」
 指を立てて値段を示すのは一夜の関係に対する対価。指定された分の金額を支払うと、グレイヴはベッドから降り急いで衣服を身に纏っていく。
「あら?」
 その反応が予想外だったのだろう。女性は化粧の手を止め、グレイヴを見た。
「悪いが帰るわ」
 その視線に気付いたグレイヴは軽く手を上げ部屋の扉に手を掛けた。
「待ってる奴が居るんでな」
 小さな音を立てて開く僅かな隙間。
「それは好きな人……ってことなのかしら?」
 未だ化粧が終わらない彼女は、少しだけ寂しそうに呟く。まるで、何かを期待するかのように。
「そんなんじゃねぇよ」
 その言葉を即座に否定すると、グレイヴは困った様に眉を下げ「違う」とだけ答えてやる。
「それじゃあ、またな」
 追いかけてきた彼女の手がグレイヴの腕に伸びる。軽く引っ張られ重なる柔らかな唇の感触。これで、お終い。ここから先は、もう関係などない他人。彼女はまだ何か言いたげに口を開き掛けたが、その言葉を聞くこと無く、グレイヴは部屋を後にした。
 建物の外に出ると、思っていたより夜気が肌寒いと感じる。
「……拙いな」
 当初はこんなに遅くなる予定じゃなかった。今頃同居人はどうしているのだろう。自然と歩く速度が速くなる。
 同居人がこちらの常識が伝わる相手ならば、同僚と酒を飲む事が決まった時に電話するなりしたのかもしれない。だが、幾ら家に掛けコール音をならしたところで、受話器が持ち上がることは無い事も知っている。
 ほんの数時間だけだから大丈夫。
 そんな甘い考えを持った自分に抱く苛立ち。トラックを駐めていた駐車場に着くと、急いで助手席に乗り込みエンジンを掛ける。
 飲酒した量がどれくらいだったのか。ハッキリと覚えて居ないため不安は残る。飲酒運転は立派な犯罪だ。そのことは頭では理解しているが、今はとにかく早く帰宅したかった。
 意を決して下ろすサイドブレーキ。ギアを動かしタイヤを流すと、ゆっくりと鉄の塊が動き出す。安全に気をつけ法定速度を厳守しながら就く帰路。漸く見えてきた我が家の姿はやけに静かで、建物の中は真っ暗だった。
「……もしかして……寝てるのか?」
 確かにこんな時刻なのだ。ルカが自分の事を待たず眠ってしまっている可能性も十分にあるだろう。
 出来るだけ音を立てないように玄関の扉を開き覗う中の様子。
「ただい……」
「…………」
 扉を開けて、グレイヴは思わず絶句してしまった。
「…………」
 寝ていると思っていた同居人はいつか見た時と同じ様に、玄関先にいる。冷たい床の上に座り、小さく縮こまり頭を伏せている状態で。
「ル…………カ?」
「…………?」
 思わず呟いた名前に反応するかのように、ゆっくりと持ち上がる頭。ぼんやりした顔のルカが、ぼんやりとグレイヴのことを見る。
「お前……まさか……」
 最近ではグレイヴの事を待たず、気楽に家の中で寛ぐ事を覚えたのだと勝手に思い込んでいた。だから大丈夫だと、何を思ってそう決めつけていたのだろう。
「…………? …………」
 そこに誰かがいる気配に気が付いたのだろうか。小さく鼻を動かし臭いを嗅ぐ仕草をルカはしてみせる。とは言え、しっかりと意識を覚醒させているわけではないようで、首を緩く左右に振ると、ふらふらと四つん這いの儘グレイヴの方へと近寄ってきた。
「おっ、おい!」
「!」
 動揺し上げた声に反応したらしい。この家の主が帰宅したことに気が付いたルカが、壁に手を付け立ち上がると、グレイヴに触れようと弱々しく手を伸ばす。その手を取るべきなのか迷い立ち尽くしていると、ルカの足がもつれ、バランスを失った身体がグレイヴの方へと倒れてきた。その身体を受け止めようと慌てて手を伸ばすと、凭れるようにしてルカが抱きついてくる。
「……ルカ?」
 抱き留めたルカの背に腕を回し、そのまま抱きしめようと動いたときだった。
「……………!!」
 何かに気が付いたルカが勢いよく顔を上げると、グレイヴの身体を突き飛ばし後ずさった。
「ルカ!」
 咄嗟に後方に倒れないよう壁に手をつき足を踏ん張ると、自分の事を突き飛ばした相手の名を呼び顔を上げる。
「ガルルルルル……」
 目の前には歯を見せて威嚇をする同居人の姿。その表情は何故か、大粒の涙を溜め苦しそうに眉を寄せながらグレイヴを睨み付けるものだった。
「お前……どうしたんだよ……」
「うー!! うーっっ!!」
 ルカが感じ取ったのは、グレイヴの身体に染みついる自分の知らない香り。
 嗅ぎ慣れない芳香に違和感を感じたルカは、グレイヴの事を責めるように呻ったあと、くるりと踵を返し奥の部屋へと走り出す。
「おいっ! 待てよ! ルカっっ!!」
 慌ててルカの後を追い、グレイヴも建物の中へと入り廊下を走る。
 ルカが逃げ込んだのは寝室で、彼の後を追い駆け込たグレイヴの息が上がる。姿を見られるのが嫌なのだろうか。グレイヴの視線を避けるようにベッドの中に潜り込んだルカは、頭からシーツを被り小さくなっていた。
「…………ルカ?」
 何故こんな風に逃げられるのかが分からない。そっとルカに触れようと手を伸ばすと、露骨な態度で避けられてしまう。
「おい! ルカっ!!」
「っっ!!」
 大人しく此方を向けと、乱暴に掴み引き剥がすシーツ。取り払われたその中から彼の身体を引きずり出そうと手を伸ばせば、ルカの手が素早く動きグレイヴの腕を引っ掻いた。
「痛っ……」
「フーッ、フーッ…」
 手の甲から手首に掛けて付いた赤い筋から、うっすらと血が滲み出る。
「……ルカ……?」
「ガルルルル……」
 触れることは許さない、と。そんな風に威嚇を続けるルカはゆっくりとベッドから降り、少しずつ距離を取るつつ窓際へと移動し始める。
「おい……ルカ……?」
「うー……」
 低く呻りつつ部屋の様子を覗っているその姿に過ぎる不安。この状況はまるで、追い詰められた獣が逃げ道を探し視線を彷徨わせている様によく似ていた。
「ルカ?」
「!!」
 その言葉を合図に、突然、ルカがグレイヴの居る方へと向かって走り出した。
 彼の視線の先にあるものは開かれた寝室の扉。ルカはきっと、そこから飛び出し真っ直ぐに玄関に向かうつもりなのだろう。
 そのことに気が付いたグレイヴは、脇をすり抜けていこうとするルカの身体を掴むべく、慌てて手を伸ばす。
「ルカ!」
「がっ!! うぅっ!!」
 伸ばした手が捉えた腕。離せと必死に抵抗される度、離すものかと指先に力が籠もってしまう。自分から離れていこうとルカが藻掻けば藻掻くほど、グレイヴの心臓は抉られるように痛みを訴えた。
 ルカが見せる抵抗は、時間が経つにつれどんどん激しくなっていく。いつ腕を振り払われてしまってもおかしくない状況に、グレイヴの身体は無意識に動いた。暴れるルカを手放さないように、と、必死に指に力を込め自分の方へと引き寄せる。腕の中に閉じ込められることを嫌がったルカが、腕を振り上げグレイヴの頬を叩いくと、渇いた音が室内に響いた。
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