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Chapter2
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今回は本格的に嫌われてしまったらしい。
あの日以来、ルカは意識的にグレイヴの視界に入ることを避けるようになってしまった。そのせいでグレイヴは、彼の姿をまともに見ることも無くなってしまっている。
「まぁ、当然……と言えば、当然のことか」
予想が出来ていた分、取り乱しはしない。それどころか、自分でも驚くほど、落ち着いてさえも居たりする。それでも、前に進むことも後ろに戻ることもしようとしない狡い部分は相変わらずで、過ちに対して弁解することはせず、かといって相手の存在を手放すことも出来ないまま、ただ時間だけが過ぎていく。実に味気ない毎日が繰り返されていくことに感じる苦痛。いい加減、その惰性に居心地の悪さを感じ、胃がむかつきを覚え始めた頃だ。
「……」
一人寝で得られる安息など、グレイヴには殆ど無かった。お陰様で毎日、寝不足の日々が続いている状態だ。
「…………はぁ」
真夜中に目が覚め、酒の瓶を手にすることも大分増え、部屋を満たすアルコールの香りと、空っぽになった空き瓶の本数だけが増え続けている。今日もまた、いつもと同じように手を伸ばす安い酒。それを一人傾けていると、やけに外が明るくなっていることに気が付いた。
「?」
誘われるように立ち上がり、歩み寄った窓の前。ふらつく足を踏ん張るようにしてそこに立ち、勢い良くカーテンを開く。硝子越しに広がる向こう側には、雲の影がとんどない夜空に輝く金色の月が一つ。
「ああ……そうか……」
穏やかな光に照らされた外を眺め、グレイヴは柔らかく表情を崩す。
「満月、だったんだな」
今日が満月である事に漸く気が付いた。
今までは常にカレンダーを確認し気に留めていた月例周期だったのだが、いつの間にかそれを気にすることも無くなってしまっている。意識しなくなった理由なんて単純で、気にしようと思うための理由が曖昧になってしまったからだ。
正直に言えば、今が何日で何曜日であるのかということも、偶に分からなくなってしまう事がある。それくらい、今のグレイヴは、色んなことに興味が持てなくなってしまっていたのだろう。だからこそ、そのことを簡単に忘れてしまえたのだ。夜はこんなにも明るい事が有るのだと言うことに。
「綺麗だな」
余りにも美しく輝く柔らかな光に、少しだけ気持ちの靄が晴れたように感じ心地よさを覚える。
「そうだ」
思い立ったら即行動だと一度部屋の中に戻ると、飲みかけの瓶と椅子に手を伸ばし、それらを窓際へと移動させた。マタアルコールを摂取するのかと思いながらも、暫しの間だけ楽しむ月光浴。音の少ない世界は、どこまでもグレイヴに優しく寄り添ってくれる。
そうやってどれくらい月の光を楽しんだ頃だろう。
ふと、何者かの気配を感じ、グレイヴはゆっくりとドアの方へと視線を向けた。
「……誰だ?」
この家にいる人の形をした生物は、自分以外には一人だけしか居ない。だから今ここで、『誰だ』と問いかけるのは、本来ならばおかしいことだろう。
「…………」
質問を投げてから暫くしても、そこに在るのは耳が痛い程の沈黙だけ。感じられるその気配が、グレイヴの投げた問いに対し答えをくれる気配は、残念ながら感じられない。それでも諦めずそこを睨み付けてしまうのは、分からないことが気持ちが悪いと感じてしまうからである。得体の知れない存在がそこに在る以上、無意識に警戒をしてしまうのもまた仕方の無い話で。そんな思いから、グレイヴは次の言葉を選択し、態とらしく相手に向かって言葉を投げた。
「……もしかして、ルカ……か?」
するとどうだろしたことだろうか。今までは暗がりにいて不鮮明だった気配。それが漸く、前に出てその姿を曝したのだった。
「残念ですが、ルカさん、ではありません」
現れたのは、小柄な一人の女性である。
「アンタは、誰だ?」
この女性は、始めてみる人物だろう。その証拠に、グレイヴには彼女についての記憶が全く存在していない。名前も出生も知らないその女性は、一体何処から現れたというのだろうか。
「……………………」
誰だと問いかけたのはこちらだというのに、その答えを所持している彼女から答えを提示される気配は、相変わらず無かった。彼女はただ違うと言ったきり、口を噤んだままそこにただ立ち、じっとグレイヴを見つめているだけ。
「……まさかとは思うが、君もライカンスロープ……なのか?」
その可能性は勿論、真っ先に考えた。そうじゃ無ければこの状況に説明が付かないためだ。
ルカと同じ存在なのかと改めて問いかければ、彼女はにっこりと微笑んで小さく頷いて見せる。
「……そうか」
今更何を言われても驚きはしない。そもそも彼女がその、白い肌を衣服で隠していないことから、何となく予想は付いていたのだから。
あの時に助けた狼の性別は雌で、確かめるように向けた視線の先には肩に付いた刺し傷の痕が狼と同じ場所に存在しているのだから、それが同一の存在であることは否定することの出来ない事実。なまじ造形が整っているだけに、その傷が残ってしまっているのが実に勿体ないとさえ感じる。
「悪い」
余りじろじろと見るのも失礼だろう。グレイヴは彼女から視線を逸らすと、外で光り輝いている金色の月へと視線を移した。
「何故、その姿を俺に見せようと思った?」
「こちらの方が、貴方と話す都合が良かったからです」
普段は獣として暮らして居るであろう彼女がグレイヴに正体を見せた理由。実にあっさりと返された答えに、思わず拍子抜けしてしまう。
「怪我の手当と、その後の世話に対しての礼でも言ってくれるのか?」
意地の悪い問いを口に出したのは、ルカを取られてしまった皮肉のためだ。だが、そんなことで正体を明かすリスクなんて何もない。多分、理由はもっと別の場所にあるに違いない。そんなことは考え無くとも直ぐに分かった。
「貴方にお願いがあります」
その言葉に思わず、グレイヴの肩が大きく揺れる。
「まずは、私の事を手当てしてくれてありがとうございました。今は傷も痛むことなく、無事森に帰ることが出来そうです」
「そうか」
一応は礼儀というものを理解はしているらしい。率直に要件を言われるわけではなく、まずは無難にワンクッション。丁寧に礼の言葉を紡ぐ彼女が小さく頭を下げる。
「で、話とは?」
「貴方が『ルカ』と呼ぶ人のことです」
さっさと用件を言ってくれと催促すると、彼女もそれを察したのか、回りくどい話は抜きに直接要件を述べてきた。案の定、話の内容は想像した通りの内容で。彼女が次に何を言ってくるのか出方を窺っていると、彼女は柔らかな笑みを浮かべてゆっくりと唇を開く。
「彼を、返してください」
「…………」
「返して欲しい」ではなく「返してください」と表現したことは、ルカとグレイヴという人間を切り離したいという彼女の願いがこもったものだからなのだろうか。それに対し、分かったとも嫌だとも言えず、グレイヴはただ黙ったまま外を眺める。
「貴方にも分かっていると思いますが、彼は人間ではありません。私と同じライカンスロープです」
彼女はそんなグレイヴを気にもせず話を続ける。
「ここに私が運び込まれてから、ずっと貴方たちを見ていました。貴方もルカさんも、日が経つにつれ一緒にいるのが辛そうに見える。貴方だって気付いているでしょう? あの人が、貴方のことを意識的に避けていることを」
言葉はとても柔らかいのに、一つ一つが鈍い刃で、グレイヴの心臓を小さく抉り痛みを植え付けていく。しかし、それに対して反論を主張するだけの言葉を、グレイヴは何一つ持ってなどいない。それを口惜しいとも、歯痒いとも感じながら、必死に平静を装い眺め続ける景色。彼女の言葉はまだまだ続きがあるようだ。
「何故あの人が貴方の元に留まって居るのか私には解りません。ですが、このままだとあの人にとって良くない事は分かります。ここまで言えば、貴方自身がどうするべきなのか……ご理解いただけますよね?」
あの日以来、ルカは意識的にグレイヴの視界に入ることを避けるようになってしまった。そのせいでグレイヴは、彼の姿をまともに見ることも無くなってしまっている。
「まぁ、当然……と言えば、当然のことか」
予想が出来ていた分、取り乱しはしない。それどころか、自分でも驚くほど、落ち着いてさえも居たりする。それでも、前に進むことも後ろに戻ることもしようとしない狡い部分は相変わらずで、過ちに対して弁解することはせず、かといって相手の存在を手放すことも出来ないまま、ただ時間だけが過ぎていく。実に味気ない毎日が繰り返されていくことに感じる苦痛。いい加減、その惰性に居心地の悪さを感じ、胃がむかつきを覚え始めた頃だ。
「……」
一人寝で得られる安息など、グレイヴには殆ど無かった。お陰様で毎日、寝不足の日々が続いている状態だ。
「…………はぁ」
真夜中に目が覚め、酒の瓶を手にすることも大分増え、部屋を満たすアルコールの香りと、空っぽになった空き瓶の本数だけが増え続けている。今日もまた、いつもと同じように手を伸ばす安い酒。それを一人傾けていると、やけに外が明るくなっていることに気が付いた。
「?」
誘われるように立ち上がり、歩み寄った窓の前。ふらつく足を踏ん張るようにしてそこに立ち、勢い良くカーテンを開く。硝子越しに広がる向こう側には、雲の影がとんどない夜空に輝く金色の月が一つ。
「ああ……そうか……」
穏やかな光に照らされた外を眺め、グレイヴは柔らかく表情を崩す。
「満月、だったんだな」
今日が満月である事に漸く気が付いた。
今までは常にカレンダーを確認し気に留めていた月例周期だったのだが、いつの間にかそれを気にすることも無くなってしまっている。意識しなくなった理由なんて単純で、気にしようと思うための理由が曖昧になってしまったからだ。
正直に言えば、今が何日で何曜日であるのかということも、偶に分からなくなってしまう事がある。それくらい、今のグレイヴは、色んなことに興味が持てなくなってしまっていたのだろう。だからこそ、そのことを簡単に忘れてしまえたのだ。夜はこんなにも明るい事が有るのだと言うことに。
「綺麗だな」
余りにも美しく輝く柔らかな光に、少しだけ気持ちの靄が晴れたように感じ心地よさを覚える。
「そうだ」
思い立ったら即行動だと一度部屋の中に戻ると、飲みかけの瓶と椅子に手を伸ばし、それらを窓際へと移動させた。マタアルコールを摂取するのかと思いながらも、暫しの間だけ楽しむ月光浴。音の少ない世界は、どこまでもグレイヴに優しく寄り添ってくれる。
そうやってどれくらい月の光を楽しんだ頃だろう。
ふと、何者かの気配を感じ、グレイヴはゆっくりとドアの方へと視線を向けた。
「……誰だ?」
この家にいる人の形をした生物は、自分以外には一人だけしか居ない。だから今ここで、『誰だ』と問いかけるのは、本来ならばおかしいことだろう。
「…………」
質問を投げてから暫くしても、そこに在るのは耳が痛い程の沈黙だけ。感じられるその気配が、グレイヴの投げた問いに対し答えをくれる気配は、残念ながら感じられない。それでも諦めずそこを睨み付けてしまうのは、分からないことが気持ちが悪いと感じてしまうからである。得体の知れない存在がそこに在る以上、無意識に警戒をしてしまうのもまた仕方の無い話で。そんな思いから、グレイヴは次の言葉を選択し、態とらしく相手に向かって言葉を投げた。
「……もしかして、ルカ……か?」
するとどうだろしたことだろうか。今までは暗がりにいて不鮮明だった気配。それが漸く、前に出てその姿を曝したのだった。
「残念ですが、ルカさん、ではありません」
現れたのは、小柄な一人の女性である。
「アンタは、誰だ?」
この女性は、始めてみる人物だろう。その証拠に、グレイヴには彼女についての記憶が全く存在していない。名前も出生も知らないその女性は、一体何処から現れたというのだろうか。
「……………………」
誰だと問いかけたのはこちらだというのに、その答えを所持している彼女から答えを提示される気配は、相変わらず無かった。彼女はただ違うと言ったきり、口を噤んだままそこにただ立ち、じっとグレイヴを見つめているだけ。
「……まさかとは思うが、君もライカンスロープ……なのか?」
その可能性は勿論、真っ先に考えた。そうじゃ無ければこの状況に説明が付かないためだ。
ルカと同じ存在なのかと改めて問いかければ、彼女はにっこりと微笑んで小さく頷いて見せる。
「……そうか」
今更何を言われても驚きはしない。そもそも彼女がその、白い肌を衣服で隠していないことから、何となく予想は付いていたのだから。
あの時に助けた狼の性別は雌で、確かめるように向けた視線の先には肩に付いた刺し傷の痕が狼と同じ場所に存在しているのだから、それが同一の存在であることは否定することの出来ない事実。なまじ造形が整っているだけに、その傷が残ってしまっているのが実に勿体ないとさえ感じる。
「悪い」
余りじろじろと見るのも失礼だろう。グレイヴは彼女から視線を逸らすと、外で光り輝いている金色の月へと視線を移した。
「何故、その姿を俺に見せようと思った?」
「こちらの方が、貴方と話す都合が良かったからです」
普段は獣として暮らして居るであろう彼女がグレイヴに正体を見せた理由。実にあっさりと返された答えに、思わず拍子抜けしてしまう。
「怪我の手当と、その後の世話に対しての礼でも言ってくれるのか?」
意地の悪い問いを口に出したのは、ルカを取られてしまった皮肉のためだ。だが、そんなことで正体を明かすリスクなんて何もない。多分、理由はもっと別の場所にあるに違いない。そんなことは考え無くとも直ぐに分かった。
「貴方にお願いがあります」
その言葉に思わず、グレイヴの肩が大きく揺れる。
「まずは、私の事を手当てしてくれてありがとうございました。今は傷も痛むことなく、無事森に帰ることが出来そうです」
「そうか」
一応は礼儀というものを理解はしているらしい。率直に要件を言われるわけではなく、まずは無難にワンクッション。丁寧に礼の言葉を紡ぐ彼女が小さく頭を下げる。
「で、話とは?」
「貴方が『ルカ』と呼ぶ人のことです」
さっさと用件を言ってくれと催促すると、彼女もそれを察したのか、回りくどい話は抜きに直接要件を述べてきた。案の定、話の内容は想像した通りの内容で。彼女が次に何を言ってくるのか出方を窺っていると、彼女は柔らかな笑みを浮かべてゆっくりと唇を開く。
「彼を、返してください」
「…………」
「返して欲しい」ではなく「返してください」と表現したことは、ルカとグレイヴという人間を切り離したいという彼女の願いがこもったものだからなのだろうか。それに対し、分かったとも嫌だとも言えず、グレイヴはただ黙ったまま外を眺める。
「貴方にも分かっていると思いますが、彼は人間ではありません。私と同じライカンスロープです」
彼女はそんなグレイヴを気にもせず話を続ける。
「ここに私が運び込まれてから、ずっと貴方たちを見ていました。貴方もルカさんも、日が経つにつれ一緒にいるのが辛そうに見える。貴方だって気付いているでしょう? あの人が、貴方のことを意識的に避けていることを」
言葉はとても柔らかいのに、一つ一つが鈍い刃で、グレイヴの心臓を小さく抉り痛みを植え付けていく。しかし、それに対して反論を主張するだけの言葉を、グレイヴは何一つ持ってなどいない。それを口惜しいとも、歯痒いとも感じながら、必死に平静を装い眺め続ける景色。彼女の言葉はまだまだ続きがあるようだ。
「何故あの人が貴方の元に留まって居るのか私には解りません。ですが、このままだとあの人にとって良くない事は分かります。ここまで言えば、貴方自身がどうするべきなのか……ご理解いただけますよね?」
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