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望まぬ帰郷

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母危篤の知らせに クロエが、 実家まで魔法で送ってくれと頼んできた。
ネイサンは縋りつくように私を見つめるクロエの姿に心が痛む。
(可哀想に……)
まだ11歳なのに母の死に目に立ち会おうとしている。そんなクロエに同情する。
( 大人である私が力にならなければ)

出来ることは何でもしてあげよう。
引き出しから転移魔法陣が書かれているの布を引っ張り出して、魔力を注入すると光り出した。 準備は完了。
さあ、行こうとクロエに手を差し出す。少しでも早く母親に会わせてあげたい。魔法陣の中央に並んで立つと、クロエを抱き寄せる。

それと同時に、二人の姿が蜃気楼のように、ゆらゆらしたかと思うと、シュッと音を立てて消えた。


**1** 

ぐらりと、体が酔っ払ったみたいにふらつく。 この感じ何度経験しても慣れない 。ネイサンに支えてもらいながら、目の焦点が合うのを待つ。 無理に動くと、二日酔いみたいに 頭痛が続く。 ぼんやりしていた視界のピントが合う。実家の自分の部屋だ。帰って来たんだ。

その足で部屋を飛び出すと、 一直線に母様の元へ向かって駆け出した。
( 早く、早く。 母様。今、会いに行くから)
その間中、頭ではいろんなことを 考えていた。危篤 ってどんな状態なの? 怪我? それとも病気 ?


カチャ。
「母様!」
ドアを開けると転がり込むように中に入った。目に飛び込んできたのは、ベッドに横たわる母様の手を握っている父様の姿だった。

私に気づいて、こちらを見た父様は病人かと思うほど憔悴しきっていている。父様がこんな姿になるなんて……。
「クロエ……」
辛そうな声で 私の名前を呼ぶ父様の瞳は潤んでいた。
(泣いてるの?)
 その瞳に心臓が ギュッと掴まれたみたいに苦しくなる。それでも、震える足取りで母様の元へ向かう。
(間に合ったよね……)
「よく来てくれてた。お帰り」
「父様……」
こんな形で帰って来たくなかった。

父様が 譲ってくれた椅子に座ると、祈りと恐れを抱えて手を伸ばす。
「かっ、母様……」
母様の頬に触れた指先が温かさに染まる。
(生きている……)
良かった。 最悪な事態は起きていなかった。

どんな状態か素早く全身をチェックする。包帯も巻かれてないし、血もでて無いから 怪我ではなさそうだ。熱もないし、顔色もそんなに悪くないから 病気もなさそうだ。
だけど、普通のではないと肌で感じる。それでも構わない。
どんな状態でも生きてさえ居ればそれだけで十分だ。母様の手を掴んで自分の頬に当てる。
安堵して 気が緩んだのか気付くと、涙が流れていた。その涙が、冷え切っていた体に血が通わせる。
「伯爵、お久しぶりです」
「ああ、殿下。娘を連れて来てありがとうございます」
背後で二人が挨拶を交わしているが、今は母様の手を離したくない。


鼻をすすりながらクロエは眠っている母様の乱れた髪を耳にかける。
拭っても、拭いっても涙が止まらない。涙で母の顔が歪む。
こんな姿を目にして、やっと自分が母様を愛している事に気付いた。
失うことを恐れるこの胸の痛みは、クロエだけのものでは無い。私の心も痛んでる。何時の間にか私の心も母として認めていのだ。

二十歳の私が、こちらの世界に転生したのは三歳のクロエの体だった。
『里華』にとって、この女の人は赤の他人だった。私の実母ではない。
クロエの母親だ。
私に向けられるその優しさも、この体の持ち主であるクロエの為で、私の為じゃない。この体が大事だから、そうしているだけだ。
(そう思っていたのに……)
きゅっと唇を引き結ぶ。

最初は体を勝手に借りていることへの
後ろめたさから、女の人の望む娘で居ようと、生きるためにクロエを演じていた。だけど違った。
いつのまにか、クロエが自分になっていた。そして、クロエの母は、私の母になっていた。この涙が証拠だ。
出なかったら、こんなに辛くない。
涙が滲むその先に 母様との思い出でか
浮かぶ。
にこやかな笑顔で私を出迎えてくれたのに……。背が伸びたと喜んでくれたのに……。私の為にドレスを用意したとプレゼントしてくれたのに……。
涙が溢れる。何時もの様に優しく私の頭を撫でて欲しい。
(だから、早く目を覚まして)
母様の手を額に当てると、切に願う。


「それが、医者も原因が分からないと言っているんだ」
「神官には見せましたか?」
「ああ」
後ろから聞こえてきた言葉に、パッと
振り返る。 原因不明?
(やっぱり、 私の勘が正しかった)
ただ具合が悪くて寝てるだけじゃなったんだ?
「父様、母様の 病気は何ですか?」
「それが、私にも分からないんだ……」
そう尋ねたが 父様の様子が変だ。
私と視線を合わせないようにしている。そんな父様を見て 眉をひそめる。
何かを隠している。娘の直感だ。 
それほど深刻な状況なの?

いてもたってもいられず
「父様、 どういうことなの?」
「伯爵、詳しく話をしてください」
父様を 問い詰めようとすると、ネイサンが 手を上げて制した。 その事にムッとしたが 、私も詳しく知りたいと思っていたから、そのまま 従うことにした。

*****

場所を父様の執務室に移動して、これまでの経緯を聞いた。


父の話では、朝、メイドが母の部屋に行くと、まだ寝ていたので、起こそうと声を掛けたが何の反応も無い。病気かと医者を呼ぶと病気ではなく、ただ寝ているだけだと診断された。
「つまり、 眠ってるだけ?」
危篤という知らせをもらったから死んでしまうのかと思ったのに……。安心するやら、呆れるやら、心配して損した。 いくら愛妻家とは言え心配性すぎた。 父様に胡乱な目を向けると、クッキーに手を伸ばす。 急にお腹がすいた。しかし、私の視線に父様が首と手を違う 違うと同時に横に振る。
「そうじゃないんだ。もう丸2日も 目を覚ましてないんだ 」
「えっ?」
持っていたクッキーが落ちる。
(2日も……)
それは明らかに変だ。
眠っているだけだから安心しろと言われても、いつまでたって 目を覚まさなかったら、心配でたまらないくなるのは当たり前だ。

父様が伝言鳥を送ってきた理由が分かった。
「医者は何と言ってんですか?」
「眠ってるだけだとの一点張りだ。他に症状もないから…… それ以上何も言えなかった」
父様が万策尽きたと項垂れている。どうやったら目を覚ますんだろう。 顎を指で支えながら方法を考える。 
よく気を失った人に使う" 気付け薬 "とかではダメなんだろうか?
(…… 私が思いつくぐらいだから既に
やっているだろう。後は……}
「不眠症の人に処方する魔法石があるんですから、その逆で作ればいいのでは?」
しかし、ネイサンが首を左右に振る。
「新しく作るには逆算しないといけなくなるから、時間がかかりすぎる」
「 ……… 」
そうだった。こっちの魔法は呪文を唱える魔法じゃなくて、 錬金術に近い 。一つ何かを造るために、計算式のようなものを作らないといけない。
どうしたらいいのかと、考え込んで
いると、父様が声をかけてきた。その顔は、さっきより、さらに辛そうに歪んでいる。
「それだけなら良かったんだが、どうやら衰弱してるらしいんだ」
「衰弱?」
「魔力の消費が激しくて医療用魔法石じゃ追いつかないんだ。このままでは衰弱死をするだけだと 言われた」
「そんな……」

父様の手を取るとぎゅっと握る。すると父様が淡く微笑む。
治療方が見つからなければ、いずれ死んでしまう。そんな状態を一人で抱え込んでいたなんて、さぞ心細かっただろうに。 握っていた手を引き寄せて抱きつくと、背中に回した手に力を込める。すると、父様も私を抱きしめる腕に力を入れる。 しかし、こうして慰めあっている間も、母様は死へと近づいて行っている。

父様の腕を解くとクルリと振り返る。
「ネイサン様。 何とかならないでしょうか?」
このまま手を拱いてはいられない。父様は医者が匙を投げた事で悲観的になっている。
でも私は、まだ諦めない。
医療用魔法石を作り続けたネイサン
なら何か知っているはずだ。
ネイサンに向かって訴える。母を助けるためならどんな事でもやる覚悟がある。崖の上に生えている花だって摘んで来る。
「普通の医療用魔法石は効き目が弱いので、効果の高い医療用魔法石を私が作りましょう。そうすれば危篤状態からは脱出出来る はずです」
それだけで十分だ。
ホッとして胸を押さえる。
相談してよかった。神様、仏様、ネイサン様だ。
「そう言っていただけるだけで、ありがたいです」

そう言って父様がネイサンの右手を掴む。私は逆の左手を握ってネイサン
の手を両方から掴んで、感謝の意を伝える。
「ありがとうございます!」
すると、ネイサンが私たちの手からすっと手を引き抜いて、待て 待てと言いように両手を突き出す。
「だが、根本的な解決にはならない」
「分かっています。でも今はそれだけで、有り難いです」
「じゃあ、さっそくこの後作ろう」
快諾してくれるネイサンに向かって深々と頭を下げる。
この恩はいずれ返さなくては。
「本当にありがとうございます」
ネイサンが私の肩に、分かったから頭を上げてと手を置く。

よかったと 手放しで父様は喜ぶけど、 元の原因を調べないと本当の意味で安心はできない。ただ母の命の期限を先送りにしてたけだ。

次回予告
*幼馴染

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