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第一章 『古都編』

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 養い所での日々は慌ただしく流れ、ニハマチは乗馬の腕をめきめきと上達させていった。仕事と乗馬訓練を繰り返す日常が当たり前のものになり、そんなある日、彼は使用人づてに屋敷へ呼び出された。
 マレーの部屋の扉をがちゃりと開けると、いつもの椅子にマレーの大きな体がどっかりと座り込んでいるのは勿論のことだったが、部屋に自分以外の子供が二人いたのでニハマチはやや驚いた。その子供は、二人とも女だった。
 マレーはいつもの如く紙に忙しなく書き付けているペン先を止めて、視線だけをニハマチに向けた。
「ニハマチ。顔付きが多少は変わったかね。五週間は経つかい」
 彼女はにやりと笑ってペンを机に置き、既に耐えられなさそうにも思える椅子の背に更に重心を預けた。
「うん! そのぐらいかな? 久しぶりだね!」
「元気なようで何よりさ。――要件をさっさと言うよ。そこに女の子が二人いるだろう。背の高いのがロサ、となりの、大人しそうでほっそりしたのがグラスだ。あんたたち、この子はニハマチってんだが、分かるかい?」
 控え目に頷いたのはグラスという少女で、白に近い絹のような髪をしている。年はニハマチに近そうだが、垢抜けた感じがあって、養い所の敷地で出会う他の少女たちと比べ、どこか気品のようなものが漂っている。
「食堂で見かけます。多分、ここ一・二ヶ月のうちに入った子供でしょう」
「関わりはないけど、何かと目立つ子だわ。コリンが贔屓にしているんじゃなかったかしら」と答えたのはロサ。
 ロサは長く艶やかな朱色の髪で、しっかりした大きな骨格と煌びやかな瞳の美しい顔をしている。ニハマチは彼女を屋敷内で何度か見かけたことがあった。容姿からして随分大人びていて、養い所の中では最年長に見えるほどだ。
 マレーはニハマチを見ると言った。「この二人と住み込みで働いて貰うから、せいぜい仲良くなれるようにするんだね」
「住み込みですか?」ロサが目を丸くしながら聞く。
「大きな屋敷だよ。――クーパー家さ」
「ああ! 東一帯の土地を所有しているあの?」
 マレーが頷くとロサは青い瞳を一層輝かせ、飛び跳ねんばかりにグラスの手を取って喜びを露にした。
「凄いじゃない! 豪邸よ! グラス知ってる? 高い紅茶もふかふかのソファも、きっと何だってあるわ!」
「ふふ。ロサったら、すっごいはしゃぎよう」
 楚々として笑うグラスの手を振り回していたロサは不意に動きを止めると、翻ってニハマチの方を見た。
「この子も?」
「そうさ。まあ心配だろうがね、この子がもし粗相しても、あんたたちならフォロー出来るだろう」
 ロサは表情に怪訝な色を帯びてニハマチを観察した。グラスも同様にニハマチをじっと見たが、彼女の場合はむしろ、眼差しに期待が籠っていた。
 グラスは言った。「可愛らしい顔をしています。貴族のような方々は顔立ちを重視すると言いますよ、ロサ」
 ロサは腰に左手を置くと言った。「確かに、そうかもね――ニハマチ君、安心なさい。向こうへ行ったら行儀作法を色々と教えてあげるから。とにかく愛想よくするのよ」
「ああ! 愛想は任せてくれ!」
 そう言ってニハマチがにこりと笑ったので、ロサは面食らい、グラスはくすりと笑った。マレーも肩を弾ませてにやりとした。
「やっぱり面白い子だね。ところで、あと一人男を連れて行こうと思うんだが、お前さんが選ぶといいよ、ニハマチ」
 ニハマチは目をぱちくりとさせた。
「俺が?」
「ああ――だけど、コリンは駄目だよ。あの子はやることがたくさんある。クーパー家までの道のりは案内させるつもりだけどね。寝室のメンバーでもいいし、もし仲良くなった子供が他にいるなら、それでもいい」
 ニハマチは視線を宙に向けて考え込んだ。
(誰にしよう……? 俺が言えたことじゃないかもだけど、はしゃぎ過ぎる人は駄目だよね。……エレック、ロイ、ヘルセー、ベルナルド……連れていけるとしたら、こんなところかな?)
 彼には珍しく時間をかけて悩んでいると、マレーが言った。
「あまりちゃんと考えなくてもいい。何のためにロサとグラスがいるかはお分かりかい? お前さんが連れていきたい子でいいのさ」
(俺が連れていきたいのは……)
 ニハマチは不意に目を輝かせると、発見と希望に満ちたような顔をマレーに向けた。
「――キツツキ! 俺はキツツキを連れていきたい!」
 マレーの眉がぴくりと動くと、彼女は細めた目で面白い物を見るようにニハマチを射抜いた。
「ほう……ニハマチ、お前は見る目があるね」
 出発は二日後で、ニハマチは久々に屋敷の手伝いをさせられた。その間にマレーが彼のための荷物をまとめた。
 靄が晴れたばかりの早朝、屋敷の正面玄関の前に四輪馬車が用意された。二頭の馬を操る御者台にはコリンが座っており、腰に剣を下げている。
 ニハマチ、キツツキ、ロサ、グラスの四人は軽い荷物を持って、見送るマレーの前にずらりと立っていた。
「うん、いい面構えだね。クーパーの屋敷には一か月と二週間ほど居て貰う。あっちでは人手が少し足りないらしいから、精一杯働くといい。『桶屋クーパー』という名前の通り、桶を始めとする木造品やビールまで作っている手の広い製造所でもある。――ああそれと」
 マレーは四人を見下ろすように屈むと眼光を鋭くして、
「最近、古都一帯で子供の失踪が増えているらしい。一人で外に出たりするんじゃないよ。絶対にだ。いいね?」
 四人は揃って頷いた。
 上部に白い幌がかけられた馬車には向かい合わせの長椅子があり、ニハマチとロサがそれぞれの真ん中、お互いの右手側にキツツキとグラスが座った。
 馬車が走り出してからずっと後方の景色に目をやっているキツツキは、ふと小さな声でこう言った。
「お前が俺を呼んだらしいな」
「うん? そうだよ」
「なんで……」
「なんでって、キツツキはいい奴じゃないか。これから行く屋敷は由緒ある家で、行儀には気を付けなきゃいけない。ジェイミーやリックなんかは連れていけないだろう」
「……お前、それ自分に言って……まあいい、何でもいいよ」
「?」
 軽快に揺れる馬車は郊外を目指す。景色に見える建造物は次第に少なくなり、代わりに耕作地が増えていった。
 前方の景色に体を向けていたロサだったが、ニハマチに向き直ると、手振りを交えながら言った。「しつこいようだけど、屋敷では失礼のないように真面目に働くこと。クーパー家っていうのはね、古都が栄華を極めていた時代に木工で物を言わせていた一家よ。そのうち樽づくりから自分たちでビール畑まで耕すようになった凄い一家なの」
「へえー!」
「うんうん。元気はいいわね。いいかしら、ニハマチ君? 食事は落ち着いて、所作はなるべく小さく慎ましく、好奇心で何でも覗いて回らない――あと、高いところに勝手に登らないこと」
「へえ……! 凄いや。ロサは俺のことを何でも知ってるみたいだね」
「コリンから聞いたのよ、ね、コリン?」ロサは彼に聞こえるように大きな声で言った。
「ニハマチ! 君なら大丈夫だよ。楽しんで自由にやったらいいさ」
 やがて川を越える橋を渡り、石造りだった道はただの土となり、地を踏む馬蹄の音が落ち着いた頃、馬車の後方で物音がした。馬車の揺れる音だろうと誰もそれを気にしなかったが、またニ・三度同じ音がしたため、違和感を覚えた四人は一斉に後ろを振り向いた。
「あら? 車輪がおかしいのかしらね」
 ロサはそう言ったが、ニハマチは首を左右に振った。
「ううん。音は俺たちと同じ高さから聞こえたよ」そう言って、彼は長椅子の後ろのスペースをぴったりと埋めている木箱に目をやった。
「これ、何だい?」
「これ?」
「この木箱さ」
「そんなの決まってるじゃない。大きな荷物があった時に、それを収納するための――」
 そうロサが言い切るうちに、大きな音が確かに木箱から鳴った。蓋は勢い良く開いて黄金の髪の毛が箱からぬっと見えかと思うと、続いて女の上半身が立ち上がる。
「テ、テリオン!?」ロサが瞠目して声を張り上げた。
 女は気だるそうな顔で、「おはよ、ロサ」と言って片肘をもう一方の手で掴むと大きく伸びをした。
「何してんのあんたぁ!?」
「何って……? お前らが遠出するって聞いて、ついてきたんだよ。こんなでかい箱見つけんの、一苦労したんだぜ?」
 独特なリズムで喋る彼女の姿にニハマチの好奇心は大いに刺激された。テリオンは獅子のように自由奔放な黄金の長髪の女で、柔軟そうですらりとした体はやせ細ってはおらず、健康的に感じる。見た目的にはロサより若そうではあったが、体格は彼女を優に上回り、もしかすればマレーと同じぐらいの背丈があるように見えた。
 直感の鋭いニハマチはすぐに、彼女のような目立ちすぎるぐらいの人物を養い所で一回も見かけていないことを不思議に思った。
「テリオン、俺はニハマチ! マレーにつけて貰った名前だよ!」
「ああ? ニハマチぃ……初めて聞くな」
「ふひひ」
 ニハマチが照れるように柔らかく笑うと、テリオンは眠たげだった目を開いて片眉を吊り上げ、彼を睨んだ。開眼した彼女の瞳は光を乱反射する鉱石のようで、並の精神力の者では腰が抜けるのではないかと思えるほど苛烈で威圧的、かつ情熱的だった。
「あ?」
「年下の男の子睨んじゃだめ!」ロサが立ち上がって叱咤する。
「キツツキ、こいつ知ってんの?」
 ずっと泰然自若としていたキツツキは目を合わせずに、
「二ヶ月ぐらい前に入った。そのぐらい知っておかないのか?」
「うるせえ。興味ないんだよ」
「自分に都合のいい話題にはめざといくせにな」
 キツツキが伏し目がちに吐き捨てるように言うと、テリオンは豪快に笑んだ。呆気に取られるロサの腰元で、グラスが小声で囁く。
「あのひと、誰かしらを連れてはよく屋敷を抜け出していますから、キツツキ君もそのうちの一人なんでしょう」
 すっくとその場に立ったテリオンの髪は、さらさらと滑らかに見えて様々な方向に流れがあり、腰のあたりまで届くほどの長さがあった。彼女の服は明らかに余所行きの派手なもので、今日のために準備をしてきたということが伺えた。
「テリオン、何のつもりだい?」そう言ったのはコリンで、いつの間にか御者台の上にしゃがんでこちらを覗き込んでいる。
 テリオンは前髪の上に手を突っ込むと、彼を不遜に見下ろしながら言った。
「ちょっと気分転換だよ。ここで降りるぜ」
 彼女は脇目も振らずにコリンを横切って馬車の正面から飛び降りると、向こうに見える村の方角へと歩き出していった。
「おい、テリオン!」
 コリンが大声で呼びかけると、彼女は振り向かずに高く上げた左手を緩慢に揺れ動かして、
「どっか知らない酒場でも探しに行ってくるわ」
 四人はしばらく彼女の後ろ姿を呆然と見送った。コリンが肩をすくめて首を振ってみせてから御者台に乗り直し、馬車は再び出発した。
 やがて東に見える山の輪郭がはっきりしてくると、人の往来によって踏み固められた砂利道の両側に麦畑が現れた。黄金の麦が一様に頭を垂れている様は、まるで巨人の手で穂先を撫で付けられているようでニハマチは愉快に思った。
「わあ、綺麗……」そう言ったグラスは、綺麗に揃えた足の上に両手を重ねて上品に座っている。
 対してニハマチは、荷台から身を乗り出して何が何でも観察してやろうという風に目を釘付けにした。
 麦畑を抜けて山の麓に入った道は折れ曲がり、何回か木立の間をうねっていくうちに、森を切り開いた空間に到着した。
 現れた屋敷は見たところ三階建てで、壁はレンガ、屋根は灰がかった青、翼棟の両端には大きくて尖った三角屋根があった。屋敷から伸びる石塀に囲まれた敷地には門扉があって、コリンは馬車を停めるとそれを開け、緑と花と木組みの造形が彩る庭の馬車道を玄関まで向かった。玄関扉の横に付けられた呼び鈴を鳴らすと、向こうから扉が押し開けられた。
 出てきたのは一人の長身の女で、ベージュの部屋着っぽいドレスを着て、笑みで目尻の下がった穏やかそうな顔付きをしている。女は片手を口にやって、見るからに驚いてみせると、
「まあ! とっても可愛らしいお客様! マレーから聞いているわ。よくここまでいらっしゃいました」
「歓迎して頂いて光栄です。私はここまでの御者を努めたコリンです。自分はお屋敷の手伝いを出来ませんが、この四人をお願い致します」
「あらそれは残念。私、皆さんを待っておりましたのよ。さあ中へお入りなさい」
 女は南の翼棟の二階へ彼らを連れて行き、四人は廊下沿いに並ぶ部屋のどれか一つを個人部屋として使うことになった。荷物をまとめ終えた四人を、女は館の中核にある居間へ案内する。
 居間に着くと、そこには一人の少女がいた。メイド服を着た、ニハマチやキツツキと年の近そうな少女で、姿勢よく彼らを出迎えた。
「今日はようこそおいでくださいました。私、メイドのパントマと申します。奥様から皆様への仕事の指示役を頂きましたので、僭越ながら努めさせて頂きます」
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