贖罪の篝火

ねりうむ

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第三話

◆2/赤い血・青い血

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 斧を構え、夕霧と静かに相対する。
 呼吸は荒く、視線は定まらない。叩きつけられるような狂気を目の前に、篝の膝はガクガクと笑っている。
 背骨の奥を凍てついた羽箒で撫でられているようだった。
「なにそれ。もしかしてぇ……、わたしを切ろうとしてる? そんな状態でぇ?」
 夕霧は堪えきれないというように、クスクスと笑う。
 さらに茶化すような声で、言葉は続いた。
「篝ちゃんは、わたしを見捨てたうえに、さらに傷つけようっていうんだ。最悪なんですけどぉ~」
 その言葉に、篝の指がピクリと反応した。
 胸の奥が軋んだ音を立てる。無理やり支えている体から、一瞬力が抜けそうになる。
 その迷いをねじ伏せるように、夕霧との間合いを詰めていく。
 呼吸を整え、篝は飛び出す。

 だが、振り下ろした斧は夕霧の影を切るにとどまり、返す刃はそれすらも叶わなかった。
「あっははははは! なにそれ! 全然ダメじゃん!」
 夕霧が本当に楽しそうに、ケタケタと大声で笑う。

 斧の柄を握る手が、じっとりと汗で濡れる。
 (なんで? いつもより重い……。)
 重い――というより、斧自身が反発しているような、そんな違和感。
 焦燥感に胸が焼かれ、頬に冷たい汗が流れた。

 夕霧が目を細め、篝を見つめる。
 篝の戸惑いを見透かすような、鋭い視線が刺さる。
「次はわたしの番だよね?」

 次の瞬間――。

 空気が破裂したような音。
 夕霧が一瞬で間合いを詰めてくる。
 拳と蹴りの波状攻撃が篝を襲う。
 高らかな笑い声をあげながら、戯れるように篝を攻めたてる。
 力任せに叩きつけられる拳。
 鞭のようにしなる蹴り。
 そのどれもが、致命的な威力を孕んでいた。
 
 薄皮一枚で避ける篝。電流のような痛みが全身を走る。
 苦痛に呻く間もなく、次の攻撃への対応を迫られた。
 
 荒い呼吸に肩を震わせながら、それでも篝は斧を構える。
 異常に噴き出る汗と、ヒュウヒュウと鳴る喉が、限界の近さを篝に知らせていた。
 その篝の姿に、夕霧の残酷な笑みが浴びせられる。
 ニタニタと笑う口の中に、鋭い牙が並んでいるのが見えた。
「頑張っちゃうねぇ。えらいねぇ」
 まるで子供をあやすような、優しげな――しかし嘲笑を含んだ声。

「それじゃあ、これもできちゃうかなぁ?」
 夕霧が体を折り、両手を地面につける。腰に向かってしなやかに反る背中が、まるで獲物を狙う猛獣を思わせた。
 九本の尾が地面を撫でまわすように動き回っている。その全てが、篝を狙う蛇のようだった。

「じゃあ……いくよ」
 言葉と同時に、全ての尾が一斉に地面を砕く。
 爆発的な推進力を威力に変えて、一直線に突っ込んでくる。

 その速度は篝が目で追える限界を超えていた。
 思考よりも速く、経験からくる予感が篝の体を動かした。
 咄嗟に右へ体をひねる。
 巨大な隕石が衝突したような轟音。
 そして、巻き上がった瓦礫が、地面にぱらぱらと落ちる音がした。

 すぐさま態勢を立て直そうとする篝を、左足の激痛が邪魔をした。
 ジンジンと痺れ、次第に感覚がなくなっていく。
 それでもなお、踏み込もうと体重をかける。

 ゴギンッ――。

 何かがズレたような音が内側から響き、激痛が全身を貫いた。
 支えを失った足が、折り畳まれるように崩れる。視界が傾き、床に近づく。
 倒れきる直前に、斧を支えにして何とか踏みとどまった。

「あ、避け切れてないじゃん。ダメだったね……」
 クレーターの中から顔を出した夕霧が、独り言のようにつぶやく。
 その顔は、興味がなくなった玩具を見る子供のようだった。

「お別れだね」

 夕霧の口から出た、簡潔な別れの言葉。
 その何気ない一言が、篝の胸を締め付ける。
 一瞬の間に、過去の光景が去来する。
 あの時、この言葉を否定できていたら。
 手を伸ばせていたら――。
 あの日の後悔が、冷たい炎となって篝の中で噴き上がる。
 
 まず、音が消えた。
 頭上に振り下ろされる拳がひどく遅い。
 右膝を中心に、崩れ落ちるように回転する。
 支えにしていた斧を、回転の勢いを利用して振る。
 今までになく軽い。
 伸び切った夕霧の右腕――二の腕に刃が食い込む。
 抵抗はない。
 刃が通り過ぎた部分から、青く濁った血液があふれ出す。
 そのまま――振り抜いた。

 回転の勢いを殺す余力もなく、大の字に床に倒れ込む。
 全身から力が抜け、激痛に意識を持っていかれそうになる。
 篝は抜け殻のように、虚ろな目で天井を見つめていた。
 
 その瞳には空中で放物線を描く、夕霧の腕が見えていた――。
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