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第四章 火伏せり、風封じ
第25話 死者との縁
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義時は、そんな重隆を見やりながら呟いた。
「昨夜は流鏑馬神事やら様々な催しがあって、あちこちで酒宴が開かれていたからな。皆、浮かれていて幻を見ても不思議はない」
「俺は酔ってなんかいない!彼女は確かに!」
でも。そう、確かに俺は酒を飲んでしまっていた。彼女は確かに束の間だけ手の届く所にいて、そして遠く拐われた——。
今頃、彼女はどうしているのだろうか?神に祈りを捧げているのだろうか。その姿を想像した時、フッと風が吹いた気がした。
「みなかたの神の御力さずかれば 祈らん事の叶わぬはなし」
口ずさむ。彼女の声を思い出す。
——どうか、彼女を護ってくれ。
それから顔を上げた。
「バカ言え。神頼みは、やるべきことやってからだろ」
パンと両手で頬を叩いて大きく息を吐く。
では、俺には何が出来る——?
唯一得意なのは弓と馬。でも、今この時になんの役に立つ?
「とにかく私はこれから御所様の元に行く。そなたらは、ここら近辺の治安維持を頼む。けして土牢には近付くなよ」
返事をして後ずさった幸氏に対し、重隆は前に手をついた。
「では、俺を供にしてください」
義時は何も答えず歩き出した。重隆は立ち上がり弓袋を手にすると、それを追った。
——ピトン。ピトン。ピトン。
柵の外で雫が跳ねる音。鳥の鳴き声。雨が上がったのか。
開耶は土牢の奥の壁にもたれ、明るい陽光の射す緑の世界をぼんやりと眺めていた。
あれから何日経ったのか、火は既に収まったのか。
ザリ、と足音がして開耶は身構える。壁に身を押し付けて奥へと隠れる。
「佐久姫、佐久姫はどこ? いるんでしょう?」
聞き覚えのある声に開耶は顔を上げた。大姫がたった一人、水干姿で柵の前に立っていた。
「大姫さま? 何故このような所に。危のうございます」
「あなたに聞きたいことがあって来たの。あなたが火を付けたわけではないんでしょう? 誰がつけたの?」
「存じません」
詰問はもう何度も受けた。でも、知らないとしか答えられなかった。
「最初に火の手が上がったのは江間の館。あなたはその時、部屋にいなかったと侍女や下女達が話してしまっているの。一体どこにいたの?」
開耶は口を閉ざす。それは大姫にだけは言ってはならないこと。でも、その大姫が口を開いた。
「重隆は自分と一緒にいたと言ってたそうだけど。そうなの?」
開耶は肩を落とした。重隆に対して申し訳がなかった。彼は大姫にだけは知られたくなかっただろう。
「確かに一緒におりました」
開耶の言葉に、大姫はぱっと頬を紅潮させた。
「まぁ。あなた達、そういう間柄だったの?」
開耶は強く首を横に振る。
「いいえ、違います! 何もございません。望月様は私のことなど何とも思っていません。私が勝手に懸想しているだけです。だから姫様……どうか、望月様のこと」
言いかけたけれど、その先が続かない。
「重隆のことが、何?」
開耶は力なく首を横に振った。
「望月様には他にお好きな姫君がいらっしゃいます。だから、どうかこの事はもう何もおっしゃらないでください」
「そうなの?」
大姫は大きな目を見開き、しばらく開耶を見たが、ややしてわかったわと答えた。
「それとね。もう一つ、気になる話を聞いたので急いで来たのよ。江間の館の裏で怪しい女を見たという話が出ているの。その女は佐々木殿の館近くにも現れていて、絵姿が描かれたの。そうしたら、その女の顔があなたに似ているということで騒動になっているわ。ただ年令が違うこと。また、目立つほくろがあったとかで、そして比企の館で下女をしていた女がまさにそれに似ているということになって、今、行方を探されている」
そこで大姫はじっと開耶を見た。
「あなたは言っていたわね。母を探していると。お母君なんでしょう?」
開耶は答えられなかった。
「あなたは火を付けたの?」
大姫の問いに、開耶は力無く首を横に振った。
「そんなこと、いたしません」
「あなたのお母君が火付けをする理由、あなたには心当たりがあって?」
大姫を見る。大姫は真っすぐ開耶を見ていた。
「いいのよ、わかるから。父はたくさんの人から恨みを買っているもの。あなた、義仲公のお身内の方なのでしょう?」
ピクリと身体が震え、それが答えになってしまう。
途端、大姫は泣き笑いのような顔をした。
「やっぱり。前にあなたは私に言ってくれたわよね。『だいじょぉ』って。笑って言ってくれた」
——え?
大姫はふわりと柔らげに微笑んで続ける。
「あのね。私、義高様のその言葉が大好きだったの。義高様はいつも私の頭を撫でて笑ってそう言ってくださってた。それに、あなたの笑顔は義高様の笑顔にあまりに似過ぎていたから」
啜り泣く微かな声。開耶は土牢の真っ黒な天井を見上げた。
——なんてこと。
大姫と兄との、死者との縁を強めてしまうなんて。
「佐久姫。私、あなたに約束するわ。絶対にあなたを守ってみせるから」
言うなり大姫は立ち去った。開耶は地に顔を伏せた。
「昨夜は流鏑馬神事やら様々な催しがあって、あちこちで酒宴が開かれていたからな。皆、浮かれていて幻を見ても不思議はない」
「俺は酔ってなんかいない!彼女は確かに!」
でも。そう、確かに俺は酒を飲んでしまっていた。彼女は確かに束の間だけ手の届く所にいて、そして遠く拐われた——。
今頃、彼女はどうしているのだろうか?神に祈りを捧げているのだろうか。その姿を想像した時、フッと風が吹いた気がした。
「みなかたの神の御力さずかれば 祈らん事の叶わぬはなし」
口ずさむ。彼女の声を思い出す。
——どうか、彼女を護ってくれ。
それから顔を上げた。
「バカ言え。神頼みは、やるべきことやってからだろ」
パンと両手で頬を叩いて大きく息を吐く。
では、俺には何が出来る——?
唯一得意なのは弓と馬。でも、今この時になんの役に立つ?
「とにかく私はこれから御所様の元に行く。そなたらは、ここら近辺の治安維持を頼む。けして土牢には近付くなよ」
返事をして後ずさった幸氏に対し、重隆は前に手をついた。
「では、俺を供にしてください」
義時は何も答えず歩き出した。重隆は立ち上がり弓袋を手にすると、それを追った。
——ピトン。ピトン。ピトン。
柵の外で雫が跳ねる音。鳥の鳴き声。雨が上がったのか。
開耶は土牢の奥の壁にもたれ、明るい陽光の射す緑の世界をぼんやりと眺めていた。
あれから何日経ったのか、火は既に収まったのか。
ザリ、と足音がして開耶は身構える。壁に身を押し付けて奥へと隠れる。
「佐久姫、佐久姫はどこ? いるんでしょう?」
聞き覚えのある声に開耶は顔を上げた。大姫がたった一人、水干姿で柵の前に立っていた。
「大姫さま? 何故このような所に。危のうございます」
「あなたに聞きたいことがあって来たの。あなたが火を付けたわけではないんでしょう? 誰がつけたの?」
「存じません」
詰問はもう何度も受けた。でも、知らないとしか答えられなかった。
「最初に火の手が上がったのは江間の館。あなたはその時、部屋にいなかったと侍女や下女達が話してしまっているの。一体どこにいたの?」
開耶は口を閉ざす。それは大姫にだけは言ってはならないこと。でも、その大姫が口を開いた。
「重隆は自分と一緒にいたと言ってたそうだけど。そうなの?」
開耶は肩を落とした。重隆に対して申し訳がなかった。彼は大姫にだけは知られたくなかっただろう。
「確かに一緒におりました」
開耶の言葉に、大姫はぱっと頬を紅潮させた。
「まぁ。あなた達、そういう間柄だったの?」
開耶は強く首を横に振る。
「いいえ、違います! 何もございません。望月様は私のことなど何とも思っていません。私が勝手に懸想しているだけです。だから姫様……どうか、望月様のこと」
言いかけたけれど、その先が続かない。
「重隆のことが、何?」
開耶は力なく首を横に振った。
「望月様には他にお好きな姫君がいらっしゃいます。だから、どうかこの事はもう何もおっしゃらないでください」
「そうなの?」
大姫は大きな目を見開き、しばらく開耶を見たが、ややしてわかったわと答えた。
「それとね。もう一つ、気になる話を聞いたので急いで来たのよ。江間の館の裏で怪しい女を見たという話が出ているの。その女は佐々木殿の館近くにも現れていて、絵姿が描かれたの。そうしたら、その女の顔があなたに似ているということで騒動になっているわ。ただ年令が違うこと。また、目立つほくろがあったとかで、そして比企の館で下女をしていた女がまさにそれに似ているということになって、今、行方を探されている」
そこで大姫はじっと開耶を見た。
「あなたは言っていたわね。母を探していると。お母君なんでしょう?」
開耶は答えられなかった。
「あなたは火を付けたの?」
大姫の問いに、開耶は力無く首を横に振った。
「そんなこと、いたしません」
「あなたのお母君が火付けをする理由、あなたには心当たりがあって?」
大姫を見る。大姫は真っすぐ開耶を見ていた。
「いいのよ、わかるから。父はたくさんの人から恨みを買っているもの。あなた、義仲公のお身内の方なのでしょう?」
ピクリと身体が震え、それが答えになってしまう。
途端、大姫は泣き笑いのような顔をした。
「やっぱり。前にあなたは私に言ってくれたわよね。『だいじょぉ』って。笑って言ってくれた」
——え?
大姫はふわりと柔らげに微笑んで続ける。
「あのね。私、義高様のその言葉が大好きだったの。義高様はいつも私の頭を撫でて笑ってそう言ってくださってた。それに、あなたの笑顔は義高様の笑顔にあまりに似過ぎていたから」
啜り泣く微かな声。開耶は土牢の真っ黒な天井を見上げた。
——なんてこと。
大姫と兄との、死者との縁を強めてしまうなんて。
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