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第1章 鎌倉
第9話 肌
しおりを挟む目が覚めたら、滑らかで温い物に包まれていた。
——あたたかい。心地よい。それにどこか懐かしい気がする。何だろう、これ?
肌色でふっくりとした触感のもの。
これは、人の肌?
「え?」
そろそろと目を上げたら、そこには中将の君の瞳があった。
「目が覚めましたか」
何が起きたのか分からず、とにかく起き上がろうとする。でも有無を言わさずに抱き締められた。
「動かないで」
耳元で響く少し掠れた声。声も出せずにコクコクと頷く。
「申し訳ない。互いに汗をかいていたので、冷えたら風邪を引き込んでしまうと思い、脱がせました。でも着替えがなく、夜が更けて冷えてきたので、やむなく同衾させていただきました」
「え」
声をあげてしまった千寿に中将の君は、千寿の肩を抱いたまま首を横に振った。
「でも脱がせた時もなるべく見ないようにしていましたのでご安心ください」
「見ないように」
繰り返す。
——それは、自分など、もう見たくもないということだろうか。
「大変なご迷惑をおかけしてしまったようで申し訳ありません。私、着替えを取って参ります」
腕の間をすり抜けようと彼の胸を押す。裸の胸に指が触れ、その逞しさを感じた途端、身体中の血がドッと沸き立つ気がする。
「動かないでと言った筈」
「でも」
「でも、ではありません。こうしているだけでも恥ずかしくて貴女の顔もおちおち見られないくらいなのに動かれてしまっては逃げ場がないではありませんか」
「え、恥ずかしい?」
そう繰り返した途端、唇を塞がれた。
「ん」
漏れる声。でも暫く経っても口は解放されない。封じられるように強い力で吸われている。目の前には中将の君の長い睫毛。
——何故?何?苦しい。息が出来ない。
「ん、んー」
精一杯の力で離れようとするが、千寿の力では敵うはずがない。
でも、ふと力が緩んだ。
解放された口で、ハァハァと息を繰り返す。
「口付けも許していただけませんか?」
問われて千寿は首を巡らせた。
「い、息が出来なくて苦しかったです。死ぬかと思いました」
中将の君は僅か黙った後に千寿の頬を両手で挟んだ。
「ああ、そういうことですか」
そう言ってホッとしたような顔をする。
「いい加減に呆れられ、嫌われたのかと思いました」
「そんな、とんでもない。私は中将様のことを」
お慕いしています。
そう紡ぎそうになって慌てて口を噤む。
——いけない。それは口にしてはならぬ言葉。だって妻子のある人。それに今のお立場で千寿が迂闊に想いをぶつけてしまったら中将の君はひどく困ってしまう筈。お世話をする役も全う出来なくなってしまうかも知れない。
中将の君は暫し黙って千寿の顔を見つめていたが、そっと目を下ろして千寿を優しく抱き寄せた。裸の肩にもたれさせられ、自分の飛び跳ねる鼓動が彼に聞こえてしまいやしないかと案じるが、されるままに大人しく従う。
「千手殿は温かいですね。それに柔らかい」
やんわりと背を撫でられ、鼓動が口から飛び出そうになる。
「ね、猫ですから」
ごまかすようにそう答えたら、中将の君は、いいえと首を横に振った。
「本当に猫なら良いのに。胸元に隠して誰にも見せず、触れさせずに朝な夕な愛でて、その声を私一人で慈しむことが出来る。でも貴女は女性だ。この鎌倉での僅かの間だけ側に居てくれる、私に許された祈りなのです」
——祈り?
思わぬ言葉に顔を上げようとするが、背に回された手がそれを許してくれない。中将の君にぴったりとくっつけられた耳を通して、彼の掠れた低い声が体の中に直に振動として伝わってくる。
「私は幼い頃から面倒な子でした。兄弟は多くいましたが、人と触れ合うことが苦手で、部屋に誰かの気配があると落ち着いて眠れない。でもそれでは軍の将軍としてやっていけぬと乳母に諭されて、なるべく明るく楽しげに振る舞い、誰といても平気な振りをしてきました。それでも許される限り一人でいたかった。女性の元に通うようになってもそれは変わらず、明るくて面白い愉しげな男として体面を保ってきただけ。誰かに溺れることも執着することもなかった」
「でも、奥方様やお子様がいらっしゃるのでしょう?」
つい口にから出してしまった言葉に慌てて両手で口を押さえる。中将の君はそんな千寿を見て、少し目を見張った。
「もしや、私に妻子がいるからと気にしてくれていたのですか」
千寿は俯いた。
「あ、いえ。私のような者がお側にいて、お世話をしていると奥方様が知れば、どんなにお気を悪くされるかと思って」
すると中将の君は、ああと一言答えてから曖昧な顔をした。
「確かに妻はいますが、京では元服と同時に、その一族の家格から定められた正妻を持つ風習があります。私の妻は遠縁の馴染みの間柄で、妻というより妹のようなものでした。だからか子には恵まれなかった。無論大切な家族ではありますが、恋い焦がれるという気持ちは分からなかった。結婚した後もやはり私は一人でいることを好んだ。でも、貴女と会って少しして気付いたのです。貴女ならば横にいても私は眠れる。いや、居ないと却って眠れない。貴女の気配があると心が落ち着く。貴女の奏でる音を聴くと心が踊る。音が絡み合い、舞い踊るのを感じると、もっともっと、と心が切望する」
「それは、私もです」
「昨晩の合奏でもそうでした。貴女は知らず知らずの内に私の求めるものを知って、それを返してくれる。貴女はきっと魂の半身なのでしょう」
「魂の半身?」
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