【完結】中条君とちじゅの恋物語

やまの龍

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中条君の呟き

第1話 中条君のお悩み

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彼、中条まもる悶々もんもんとしていた。その原因は、彼女、ちじゅのせいだ。

——ちじゅ。

彼の前世からの恋人。過去生での呼び名は千手の前。源平の合戦で敗れ、捕虜として鎌倉に連れて行かれた自分、三位の中将、平重衡の側仕えの女房として一年足らずを共に過ごした。その後、自分は南都にて処刑され、死に別れたが、彼女は自分のせいでその命を削り、僅か二年で死に瀕してしまった為、迎えに行った。それから永い時をかけ、やっと生まれ変わり、また巡り合った。そして想いが通じ、共に生きようと新しい生を歩き始めた所。

なんの不安も不満もない明るい未来。

ただ一つ贅沢を言うならば、彼女はまだ高校生で、なかなか落ち着いて会えないということくらいだ。

え、そのくらいなんだって?

そう。そのくらいのこと。わかっている。だが、過去よりも更に天然になっていた彼女は、その能力も、より強くなっていた。

まず、声。

正直に言えば、過去世で最初に引き合わされた時、田舎くさい地味な娘だと思った。奏でる琵琶の音は美しくて良いが、他は取り立てて味のない、豆のような娘。それが、ふと上げた生の声を聞いた瞬間に一変した。もう一度その声が聴きたくて色々話しかけたが、何も応じてくれない。夜が更け、皆が去り、彼女も去ろうとしたが、諦めきれずに手を伸ばした。だが嬌声もあげてくれない。その理由に気付いたのは、彼女が生娘きむすめだとわかった時。
しまった、と思った。それまで生娘を相手にしたことはなかった。彼女は饗応きょうおうの為に呼ばれた手馴れた白拍子なのだろうと思い込んでいた。

 平安時代の京では、元服と共に年上の女性が夜の営みの手解きをする習わしがあったし、妻となる姫も、ある程度の手解きを受けていたりする。

だが、そこは鎌倉。そして彼女は琵琶が上手いというだけで御所にあがったばかりの初心うぶな田舎娘だったのだ。こちらの身分が高いからと、彼女は声をあげることを我慢していたのだろう。強く唇を噛み締め、必死に耐えていた。

事が済んで気付いた時、彼女は血だらけになって意識を失っていて、その唇も真っ赤に腫れていた。

どうしていいかわからず動揺した。だが、やがて目覚めた彼女が言ったのだ。中将様にお怪我がないようで安堵いたしました、と。自分が血だらけなのに。あの瞬間に自分の心は囚われた。千手の前を側につけようかという頼朝殿の申し出に、一も二もなく乗った。彼女が断われないだろうことを承知していながら、それで宜しいですか?と狡い聞き方をした。彼女は静かに答えた。

かしこまりました」

彼女の痛みも何もかんがみる心の余裕はなかった。ただ、彼女を得たいばかりに無理を押し通した。

「中将様」

 その声に呼ばれると胸が震えた。陽が射すように感じた。小屋から一歩も外に出られない自分を気遣ってあれこれと世話を焼いてくれる彼女。彼女も自分に好意を寄せてくれている。そう気付いたのはすぐだった。だが自分はやがて処刑される身。のめり込んではいけない。そう分かりつつ、触れたくてつい伸びてしまう手。彼女からは陽の光の気配がする。あたたかで柔らかなその身体を抱きしめ、むさぼるようにして彼女の気を吸い込む。骨、肉、肌を通して伝わってくる彼女の鼓動。生きている者の熱。揺らぎ。懐かしい海の波のようなさざなみに呑まれ、気付いたら彼女の上で眠り込んでいた。


 幼い頃から眠りが浅く、なかなか寝付けない自分が、彼女がそこにいるだけで安心して眠ってしまう。猫のように人を和ませる娘。
 からかって千手猫と呼び、その首筋に指を添わせた。彼女はそこが弱い。知っていて知らぬふりをした。身をよじって逃げようとするのを捉えて、更に攻め込む。こぼれる息を、声を全身で味わう。

——手放したくない。

だが、自分は処刑される身。自分が居なくなった後、彼女はどうなるのか?実家に戻り、他の男に嫁ぐのか。

そう思い至った時、初めてその男を妬ましいと思った。見も知らぬ男を。


——誰にも渡したくない。頼朝にも、他のどんな男にも。どうすれば渡さずに済む?

—いや、どうしようもない。自分は死ぬのだ。彼女を解き放つべきだ。頭ではそうわかっているのに、心がそれを許さない。破裂しかけた心で無茶苦茶に奏でた笛に懸命に付いてくる彼女。いや、引っ張られていたのは実は自分の方かもしれない。やがて楽が終わり倒れ込んだ彼女の身体は熱く火照っていて、たくさんの汗をかいていた。迷わず脱がせた。だが、ふっくらと滑らかな肌に、瞬時に血が滾るたぎる。

——喰いたい。
むしゃぶりつきそうになった猛った心を止め留めてくれたのは、彼女が相棒のように手にしていた琵琶だった。静かな目で此方を窺う琵琶の弦。その静謐せいひつな気配が、自分の頭を、血を冷やしてくれた。あの時、欲望のままに彼女を犯していたら、自分は二度と彼女の目を真っ直ぐ見られなかっただろう。

 やがて目覚めた彼女に想いを打ち明けた。死にゆく自分が口にすべきでないことは承知していながら、それでも彼女の中に少しだけでもいいから自分をのこしたかった。

 彼女は「ちじゅ」という真の名を明かしてくれ、彼女の身も心も全てを手に入れる。ゆっくりと時をかけて彼女の中の女を導き出していく。とろけるような声に危うく押し流されそうになりながら、ようよう自らを保って彼女を労わる。その滑らかな肌を薄桃色に染め、潤んだ瞳で自分を受け入れてくれた彼女。彼女の中に自分を全て注ぎ込んだ。彼女は全てを呑み込み、微笑んで幸せだと言ってくれた。美しい笑顔で。その時、彼女は女になった。自分が彼女を女にしたのだと知った。


——昔、男ありけり。

初めてあれを読んだ時は、一時の感情に溺れ、馬鹿げたことを仕出かした男の失敗談だと思った。でも、彼が何故そんな無茶をしてまで姫君をさらったのかが、その時やっとわかったような気がした。

——誰にも渡したくない。自分の手で育てたい。自分の好みの、自分だけの女に。

それからは夜も昼もなく、彼女を愛し尽くした。肌に吸い付き、無数に痕を残し、犬のように匂いを擦り付け、他の何ものも寄せ付けないようにした。彼女は自分だけのものだ。そして、彼女にも罠をかける。
 

「自分がここを去ったら、後を追わないでください。ここ鎌倉で琵琶を奏で続けてください」

それは呪縛。彼女を鎌倉に閉じ込めた。この鎌倉に居る限り、鎌倉殿、つまり頼朝以外の誰も彼女に手を出せない筈。そして頼朝はちじゅに手を出さない。何故なら、ちじゅは彼の正室、嫉妬深いと聞く御台所付きの女官で、この三位の中将、平重衡の手の付いた女なのだから。

 そこまで思い出して、彼は深いため息を吐いた。

 ちじゅの幸せを奪ったのは自分。樹里という名で転生して記憶を取り戻した彼女。でも、彼女と添う資格が果たして自分にあるのだろうか。


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