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中条君の呟き
第2話中条君の決断
しおりを挟む「あれ、ちゅーじょーってばどしたん?盛大な溜息吐いて。レポート煮詰まってんのか?」
親友にすれ違いざまに肩を叩かれて顔を上げる。
「いや、煮詰まってはいないけど進んでない」
「それ、おんなしやないか。珍しなぁ。あ、彼女出来たから、そっちで頭いっぱいなんやろ?あかんなぁ、文武両道、遊びも学びも精一杯せな」
「それ言うなら、自分、彼女作ってからにせぇ」
言い返したら彼はアハハと笑った。
「ところで、みやこちゃんは元気?」
「ああ、イケメンハントに忙しそうや」
妹に気があるのを知りつつ、からかう。
ガックリ肩を落とす彼の背を叩いてフォローする。
「お前も充分、イケてるメンズの中におるよ」
「そうだよな。イケメンって、イケてる面子ってだけじゃなくていいよな」
立ち直りの早い親友に笑顔で頷き、手を振って別れる。
確かにレポートが進んでいないのは彼女のせいだ。図書館で一緒に時を過ごしながら、彼女は学校の課題を。自分もレポートを進めていた。だが、彼女が側に居るとどうしても眠くなるのだ。そして撫でたくなる。猫のように掻い繰りしたくなるのだ。でも、公共の場でそんなこと出来やしない。悶々としてるのは、そのせいか。触れたいのに触れられない。そんな当たり前のことで他に手がつかなくなってるとは、自分こそが中高生かよ、と呆れる。
ちらっと隣を見たら、彼女が顔を上げた。軽く目が交わる。その目は眠たげにトロンとしていた。こっそりと笑う。そうか、彼女が眠いからその眠気が移っただけか。
「課題、進んでる?」
尋ねたら、こくりと頷いたけれど、その手はふにゃりと力が抜けていて、教科書がハラリと閉じる。慌ててページを探しているが、すぐには見つからないようだ。大らかに欠伸をする姿を見て、やっぱり猫みたいだと思う。
「外の空気吸いに行こ。ジュース奢るよ」
販売機で缶コーヒーとジュースを買って、近くの植え込みのコンクリに並んで腰を下ろす。
「学校の課題大変?」
尋ねたら、彼女は素直にコクリと首を縦に振った。それから慌てて首を横に振る、
「あ、いえ、本当はそんなに大変じゃないと思うんです。みやこちゃんにとってはきっと余裕だし。私は今まであんまり真面目にやってこなかったので、それがいけないんです。でも、ちゃんと卒業したいから頑張らないと」
にっこり微笑む、まだ少しあどけない丸みを帯びた顎。その顎に指をかけて持ち上げ、喉を鳴らさせたい。
何気無い振りをして、彼女の頭の上に手を置き、髪を撫でながら、猫にするように耳の下に指を差し入れる。
彼女は一瞬、ピクリと身体を震わせたけれど、逃げることなく、じっとしている。
「そっか、卒業か」
卒業したら、もっと気兼ねなく会えるだろうか、と考えながら。でも彼女は続けた。
「私、保育園か幼稚園の先生になりたいと思っていて」
「幼稚園の先生?」
「はい。小さな子と触れ合うお仕事がしたいんです」
そう言って彼女は図書館前の道路脇で何かを棒でつついている小さな子を眺めた。でも、その横顔が僅かに曇っている。
「過去、自分のことばかりで、娘を顧みなかったので」
ああと思う。彼女は過去、自分の子を産んでくれていた。でも、自分が鎌倉に残るよう約束させた為に、その娘を実家に預けてしまったのだ。それは彼女に呪縛をかけた自分の責任。
「済まない」
そんな言葉だけで済まぬことは承知していたが、言わずにもおられなかった。彼女は不思議そうな顔をした。
「済まない。俺は君を苦しめてばかりだ」
彼女は大きく首を横に振った。
「いいえ。中将様が、いえ、衡さんがそんな風に思われることは一切ありません。貴方の子が欲しいと願ったのは私なのですから」
——子が欲しい?
過去、ちじゅはそんなこと、一言も口にしなかった。自分も何も残せないと思っていた。笛の他には。でも、その奥の真の気持ちが通じていたのかもしれない。彼女は自分の子を宿して産んでくれた。
——では、今は?
彼女をじっと見つめる。視線に気付いたらしい彼女がこちらを振り仰いだ。彼女の指が自分の腕に触れる。それが引き金になった。
「だったら、幼稚園の先生になるのではなくて、また俺の子を産んで育ててくれないか?」
そう口にしてから、ハッとする。
——しまった。せめて彼女が高校を卒業するまで。いや、自分がある程度稼いでから、と決めていたのに。でも飛び出してしまった言葉は戻せない。彼女の腕を掴んで引き寄せる。
「一緒に居たい。君と居ると安らぐ。眠くなるし触りたくなるけど、今度こそ、君と娘を幸せにしたい。今すぐじゃなくて、君が高校を卒業してある程度落ち着いた頃になるけど、でも」
そう紡いでから、深い後悔の波に呑み込まれる。
——うわ、カッコ悪い。落ち着いた頃って何だよ。曖昧な言い方なんかして、しまらないこと、この上ない。
——くそっ。
自己嫌悪に陥る。もっとビシッとカッコよく決める筈だったのに。
でも控え目な声が空気を震わせて届いた。
「私も」
ふわりと自分の身を包む、彼女の柔らかな気配。
「私も貴方の笑顔を側でずっと見ていたいです。それに、触れたいし触れられたい」
そう言って、こちらを見上げる彼女の真っ直ぐな瞳。
——あ、ヤバイ。
今すぐ触れたい。抱きたい。本当に攫ってしまおうか。どこか人のいない所に。
その時、ねぇ、と幼い声が空気を破った。
通りの向こうにいた少年が、いつの間にかすぐ脇にいて、此方を見上げていた。
「ちゅーはしないの?」
「あ、こら。チー君。お邪魔しないの」
少年の母親だろうか。赤ちゃんを抱いた女性が頭を下げるのに礼を返し、ちじゅの手を引いて図書館の中に急いで戻る。白いワンピースから覗く真っ赤に染まった顔と首筋が愛おしい。
その夜、一気にレポートを終え、机に向かって人生設計を組み立てる。
前世とは違い、自分の身は自由なのだ。今ならば、やろうと思う大抵のことは何でも出来る。彼女と居る時に安らいで、つい眠くなってしまうなら、それ以外の時を全て、やりたいこと、やるべきと思うことに回ばいい。俺も。そして彼女も。
翌週、提案する。
「樹里ちゃんさ、幼稚園の先生になりたいなら、保育士の免許も一緒に取っておくと、将来の育児にも、キャリアアップにも役立つと思うよ。音楽も習えるし、どうかな
?」
言い終えた途端、彼女がギュッと抱き付いてきた。
「ありがとう」
首筋にかかった彼女の髪からフワリと香るお陽さまの香りに、くらりとしながら、精一杯冷静に口を開く。
「じゃ、勉強しよう。目標が決まったから、ここからはビシバシいくよ。覚悟はいい?」
はい、と頷いた彼女が、でも、と口ごもってから、そっと顔を上げた。どうした?と尋ねたら、その声に明らかな恥じらいを乗せて耳に口を近付ける。
「あの。でも今日は、今日だけは、貴方とゆっくり過ごしたい」
「え?」
「あのね、今日は遅くなるって言って出てきたんです。だから、勉強ではなくて」
——え。
ゴクリと喉が鳴る。
記憶は厄介だ。甘い誘惑に満ちている。黙って彼女の手を引き、その小さな部屋に入る。仄暗い気配がどこか懐かしくてホッとする。
「恥ずかしいから電気消してもいいですか?」
彼女の問いには答えず、電気を消すと背から抱き締めて自分の上に座らせる。胸元を探りながら思う。昔は脱がせるのが楽だった。着物は手を差し入れるだけで肌に触れられる。
でも、ボタンも悪くない。ゆっくりと焦らすように外していきながら、緊張に震える彼女をそっと抱き留める。ふっくらとした胸を覆い隠す下着を剥ぎ取っていく。
遠い過去の風景では、灯明が尽きれば暗闇に呑まれた。でも今の世には真の暗闇はない。電気を消しても薄明かりが漏れる部屋の中、白く浮かび上がる彼女の身体。その細い腕に手を伸ばす。恥ずかしそうに伏せられた顔を持ち上げて唇を落とす。
「今日は声をあげて平気だから」
言ったら、彼女は目を瞬かせて戸惑った顔をしたけど、はいと答えた。
だから聴かせて。君の声を。その音の波で俺を揺さぶって。そして共に揺蕩おう。この世は全て波で出来ている。だからいつでも溶け合い、一つになることが出来る。身体も。心も。
彼女を横たえ、痕をつけないように優しく丁寧に唇を沿わせる。彼女の微かな息遣いを感じながら、波を想う。
ゆっくりでいい。そう彼女に言い、自分でも確かにそう思っている。
そう、ゆっくりじっくり育てていこう。彼女も自分も。今、この世にまた生まれてくることが出来たのだから大切に生きねば。
彼女の緊張を解き、身体を開いて、己を埋めていく。苦しそうな彼女の様子が気になりつつ、離れようとするとイヤイヤと首を横に降るのを見て、一気にいく。彼女はひと声上げて、でも微笑んで自分を見上げた。一筋零れ落ちる涙の雫。それを舌で掬い取る。それから二人、手足を絡ませて互いの身体を合わせた。やがて微かにブレていた律が、綺麗に一つに揃っていく。
溶け合う肉体と時間。無限のように感じる、でも永い歴史の渦からすれば、刹那の間。
——コチコチコチ。
耳に届く壁時計の秒針の音。
一瞬、眠りかけたけれど、そこは気合いで乗り越えた。いや、時計が助けてくれたのか。あの時の琵琶のように。そっと目を上げて壁時計に目礼する。
そうだ。彼女と居る時に、いつも眠るか愛でるかばかりしていたら、彼女にも娘にも呆れられてしまう。自分は常に凛々しく雄々しく堂々とし、誰にも臆することなく、顔を上げてまっすぐ前を向いていたい。そう、自分は過去にはそんな誇り高い武人であったのだから。
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