Realize・Id  ~統境浪漫譚~

86式中年

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本編 『承』

第三十二章 最終課題と猫乱入

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 異能を使った訓練となると、選べる場所は限られる。

 そもそも、圏内での異能の使用は基本的に条例で禁止されている。法律で禁止しないのは幾つか理由があるのだが、そもそも旧世紀の治安事情のように取り敢えず銃火器や刃物を禁止しておけば人死の出る事件はそう起こらない、というざっくりとした前提が崩れているからだ。また、圏と圏を移動するのにそれなりの危険性を伴い、これも旧世紀のように気軽ではなくなっているのも大きい。

 各圏を囲う障壁を出れば消却者が跋扈する危険領域になり、内部はそれこそ出ないものの適合者による異能を使った犯罪もある。また、一般市民においても緊急時―――特に予備役動員―――に備えてある程度の武装を奨励されていることもあって各家庭に武器の類を置いておく事は常識となっている。

 当然、それは正規の使い方をされない事もあり、であるならば防衛するための力もまた必要だ。

 このように法律のように国の命令で一括で決めてしまうには、想定される状況が煩雑すぎるために各圏の条例で個別に対応し、また治安を考えた上で基本的に禁止、という緩い項目になっているのである。

 政府号令の元、全面的に禁止にすることも可能ではあるだろうが、その場合、今以上に血を見る結果になるだろうことは想像に難くないため現実的ではない。そもそも命が掛かっているため、国民の反発も酷いものになるだろう。

 さて、そうした事情もあるため適合者にとって生命線である異能の訓練は、重きに置きたいものの、行える場所は限られるのだ。

 まずは自宅や私有地、これは言うまでもなく可能。無論、効力を敷地外に及ぼさないという但し書きはあるが。霊素制御などの、異能を伴わない出力に限ってなら公園などの広い場所でなら可能。きちんと異能を使って訓練するとなると、軍事基地か専用の圏が建てた公共訓練施設、または教練校などになる。

 この3つの内、学生である三上が気軽に立ち寄れるのは後者2つ。特に彼の身分が教練校生であることを鑑みると、最後の一つが一番無難で気軽とも言えるだろう。

 そんな訳で、連休が明けて三日目。三上は朝から鐘渡教練校の第一格技場に足を運んでいた。昨日ちょっとした事件があって、再開した水無瀬との朝練の内容が次のステップへと進んだためだ。ここからは異能を用いた訓練になるらしい。

 まだ仕事前、ということもあってか、いつものジャージ姿の水無瀬が、同じくジャージ姿の三上の前に立って口を開く。

「さて、どういう事情かは不明だが、めでたくクラスAになったようだし今日からは私達が使う異能の応用を教えよう」
「お、押忍」
「今まで君に教えてきた異能の使い方と、基本は変わらない。ただ、1つ捻った使い方をすると威力が上がるし射程も伸びる。単にそれだけだが、特に身体を得物にする我々にとって射程は非常に重要なことだ」

 直立不動のままで三上は頷く。

 何も近接戦闘に限った話ではないが、特に射程は非常に大事だ。その一戦が人生最後の一戦ならば被弾覚悟で突っ込めばいいが、多くの場合は次があるし、そもそもそこを死地と定めるか悩ましい場合が大半だ。継戦を考えれば余力を残して次に挑むためには被弾は極力押さえねばならないし、次の戦場を考えると後遺症を患う訳にはいかない。

 リスクとリターンを勘案した時、一般的には長射程がローリスク且つハイリターンが望める。相手の索敵や射程よりも離れて倒せるならば、ノーダメージなのだから。

「という訳で、手加減はしてあげるからまずは防いでみると良い。かつては聖拳などと持て囃された―――ロートルの拳を」

 水無瀬が身構えて、雰囲気が変わる。その覇気に呑まれかけ、しかし三上も構えを取った。

 

 話は、昨日の朝にまで遡る。



 ●



「良かったな三上。適合率、上がってんぞ」
「はい?」

 連休明け二日目。

 まだ意識と身体が連休モードから抜けず、気怠い休みボケに特班が四苦八苦している中、班ごとに行われる朝礼で山口が唐突にそんな事を三上に告げた。

「いや、一ヶ月前の検査結果はCでしたし、覚醒してからずっとCですよ俺?」
「知ってるよ。だが、昨日行った定期検査でクラスAになってるぞ」
『はぁっ!?』

 ほれ、とペラ紙一枚を渡されて、皆が覗き込むとズラズラと数字が並んでいる。恒常能力係数1764±200E、最大理力圏域16m、最大瞬間出力係数6458E。他にも幾つか文字が踊った後、最後の項目に確かに測定結果がクラスAとなっていた。

 それを見て、特班の面々が顔を見合わせる。

「あの、エリカ様。適合率ってそんな急に上がるものじゃないですわよね?」
「ええ、難しいはずだわ。大体は緩やかに年々上がっていくものだから。前例はあることはあるけれど、大体が対消却者戦で、消却者との過度の接触があった場合に上昇するというものよ。それだって、元々遺伝子変異を起こしている適合者が再反応して変異するっていう、滅多に起こらない現象だし」
「戦場に出ていない正治が上がるのはおかしい、と」
「お前さん、実は連休中に傭兵の真似事してたとか?」
「いやいやいや、GW中はずっと久遠の面倒見てたぞ。小夜が前半はバイト先で缶詰食らってたから。自主練はしてたけど、それだってフィジカル面での、というかぶっちゃけ長期連休で鈍らん程度のモンだし。そもそも異能自体連休中に使ってねぇよ」

 全くもって思い当たることが無い三上は困惑しながらもそう言い切り、皆も首を傾げた。そんな中で飛崎が顎先に手を遣って、おもむろに口を開く。

「ふむ。ちょっとここで使ってみろ」
「は?いや、構内での許可のない異能の使用は―――」
「山口教官。非殺傷なら問題なかろう?」
「許可する」

 三上は躊躇ったが、この場に現場責任者がいてそれが許可した以上は使用できる。

「え、えぇっと、じゃぁ………三割超過」

 仕方なしに三上は祝詞を紡いで意識を左手に集中、霊素の糸を複数出現させて編み込む。模擬戦でも使用した鎧武者の籠手を模した飛ぶ拳だ。

「―――あれ?」

 組み上げている最中、その違和感に気づいた三上が首を傾げた。

「どうしたの?」
「いや、何か、組上がんのが速いんですが………?」

 しっかり測定した訳では無いが、感覚的には気持ち早くなったと三上は言う。エリカはそれに成程、と頷いて。

「それだけ位階が上がったってことね」
「位階ってなんぞ?」
「うん?レンは知らない?」
「実は理論的なもんはさっぱりだ。使えればそれで良かったしな」
「相変わらず現場一点主義ですわねこの男………」

 異能とは即ち、燐界と呼ばれる異世界の法則をこの世界に現出させる一種のバグ技のようなものだ。

 これをより燐界の法則に近づける―――つまりより強力な異能を発現させようとすると、当然、その使用者は燐界により近い存在にならざるを得ない。俗に引っ張られると呼ばれる現象故に、適合者の異能の強さをランク分けした時にピラミッドのような階級クラス分けをされる。更にその中で細分化された数値―――ゲーム的に表現するのならステータスのパラメーター―――があり、その区分を位階と呼ぶ。そして一つの区分を超えた時に位階が上がったと言われるのである。

「ふーん………その位階ってのが行き着くところまで行くとどうなるんだ?」
「その適合者の異能は理を外れる、と言われているわ」
「ああ、つまり理外ってヤツか。今更になって分かったわ」
「貴方も達してるんでしょうに………」

 さてな、と飛崎は肩を竦めて韜晦した。

 だが、彼の詳細な適合係数を把握している山口を筆頭に、教練校側は飛崎が数値的には理外に到達している事を知っている。当然、その情報は国にも流れることになっているので水面下で人材の獲得に躍起になっている国軍と圏軍が既に鞘当を始めているのだが、それはまた別の話である。

「クラスが上がるのは目出度いことだが、しばらくは慣らしながら使えよ。いきなり全力で振り回すと体がついてこないからな」
「お、押忍」

 山口の珍しく教官らしい忠告に、三上は恐々と頷いた。



   ●



 と言うやり取りが昨日あったのだが、状況は慣らしなど許してくれそうになかった。

 彼我の距離はおよそ10m。一足で踏み込むには遠い距離。だが、既に水無瀬は拳を構えていて。

「っ!?三割―――」

 三上が祝詞を口にして、背筋を走る危険信号がそれでは足りないと訴えかける。即座に祝詞を切り替えた。

「―――七割超過!」

 祝詞を紡ぐと同時、馴染ませていた手順が意識せずとも勝手に組み上がる。

 三上の正面に翠の燐光を吹き散らして霊素粒子の糸が出現し、それらが自動で瞬時に編み込まれて巨大な腕を形成。鎧武者の籠手を基準とした衣装で出現したそれは、三上を守るように水無瀬との射線上に立ち塞がった。

 そしておそらくはそれを待っていたのだろう。水無瀬から攻撃の気配が急速に高まったのを三上は感じた。

「ふっ………!」

 呼気と同時に白い光が駆け抜け、様々な現象が同時に起こった。

 まず、盾代わりに顕現させた霊素の両腕はガシャンと硝子を割るような音共に破砕され、半身になって上体を反らしていた三上の肩に熱を与え、一拍遅れて衝撃も来た。想定以上の衝撃に、彼の巨体を持ってしても踏ん張りきれず、受け身を取って転がることとなった。

「よく防いだ。感覚は理解できたかね?」

 片手を突いて身を起こすと、構えを解いた水無瀬が尋ねてきた。

「これは、霊素の放出って奴ですか?」
「そうだね。理論だけで言えば身体で練り上げた霊素を一点集中して着弾させる、単にそれだけだ。大抵の戦闘系適合者は祝詞を使って似たことが出来るだろうから、単純な異能というよりはむしろ技術に近い。ただこれは突き詰めた分、少々趣が異なる」

 三上はその説明を聞きながら、掠った左肩に視線をやる。本当てこそ躱したが、カス当たりしただけでジャージの肩部分が擦過熱でテカリを帯びていた。手加減してコレだ。本気で、しかも直撃を食らったらどうなるか想像もつかない。

 確かに戦闘系の適合者は似たようなことが出来る。例えば飛崎などが行っていた雷閃。細かな差はあるが、本質的にはあれも鞘という薬室に霊素粒子を溜めて放出しているに過ぎない。だが、大凡の適合者はその行動に己が持つ異能の固有性能、ゲーム的に言うならば属性が乗ってしまう。適合者は燐界のエネルギーである霊素粒子を確かに扱えるが、それを己というフィルターを通してこちらの世界に顕現させるので、どうしてもロスや変質は防げないのである。これを、俗に変換とも言う。

 水無瀬が言うには、それを極限にまで減らして限りなく純粋に近い霊素粒子を用いた攻撃法なのだという。

「我々の場合、異能が『霊糸形成』なのも幸いしているね。変換される属性も無いから、その分楽できる。何しろ練って揃えて着弾させるだけでいい」

 束ねて指向性を与えて標的に爆発力を叩きつけるのが、これの本質なのだと水無瀬は言う。

「尤も、言うほど万能な技術ではない。射程を伸ばせば威力が下がるし、威力を上げれば射程が落ちる。かと言ってどっちつかずにすれば中途半端、極端にすれば制御が出来ずに自傷する。普通にやれば、順当に異能を使ったほうが楽だ。我々で言うなら、形成から鉄拳を飛ばした方が利便性の観点で見れば強く小回りが効く」

 適合者にはそれぞれ理力圏と呼ばれる有効範囲がある。より分かりやすく言うなら異能の射程のようなものだ。

 これはクラス云々よりも本人が持つ異能に左右されることが多く、三上や水無瀬のような近接戦闘に特化した適合者は自ずとその範囲は狭くなる。この技を用いれば一時的にその範囲を逸脱できるだろうが、水無瀬が言うように距離に比例して威力は減衰するだろうし、ならば最初から異能を用いて自身が把握している有効範囲内で攻撃したほうが最大リターンを望めるだろう。だからこそ、霊素粒子を異能に変換した攻撃を行う適合者はいても、霊素粒子そのものを扱う適合者は極めて少ない。

 そして、そこから更に一歩踏み込んだのが水無瀬景昭と言う男だ。

「さて、ここからが私が拳聖などと持て囃された理由だ。軽く実演するから、ちょっと見ていたまえ」

 そう言って、水無瀬は格技場の壁付近に並べて設置されているサンドバックに向き直る。距離は優に30m。適合者向けに作られているそれは、AE素材で作られており、生半可な異能ならば擦り傷一つつかない。

「拳を握れ」

 水無瀬は拳を腰溜めに構えると、祝詞を一つ。構えた右拳からチリチリと擦過音が鳴り始め、大気が震える。
 そして。

「―――!」

 打ち出した正拳突きから極光が放たれ、標的としたサンドバックを半ばから消し飛ばした。

「すっげぇ………」

 ざぁっとサンドバックの中身の砂を吐き出す音を背景に、三上は我知らず声を出していた。何より驚いたのはあれだけの威力を見せながら、周囲のサンドバックや、その後ろにあった壁に一切被害を出していないのである。

 狙った標的、狙った場所だけをピンポイントで破壊せしめた。

「正直恥ずかしいのだが、聖拳と理事長に名付けられたのが運の尽きでね。これをメインに立ち回ったから拳聖などと呼ばれる事になった」

 まだ水無瀬が無名だった頃、そして有名になった事件で長嶋武雄と出会って共闘することになった。それまでは何処にでもいる兵士だったよ、と彼は嘯く。

「元は単純に訓練していただけなんだ。昔から拳を握るしか脳のない子供でね。仕方がないから、所謂遠当てと呼ばれる内勁気功を体得できないかと試行錯誤していた時期があった。結局、本を読んだだけでは気功の類は習得できなかったが、異能に目覚めてから似たようなことが出来るようにはなったんだ」
「それがコレ、ですか………」
「多分、当てるだけなら今の三上君でも可能だよ。問題は、威力だ」

 水無瀬曰く、威力は霊素粒子だけでも異能だけでも再現できないという。同等の威力同士を同じ標的に同時着弾させることによってこの技は成るのだと語る。

「私と私が教えた数人以外が体得できなかった理由なんだがね。説明自体は簡単なんだ。電気理論で言うところの三相交流の波を合わせる―――つまり、インバーター制御を生身で行えと言っているだけだからね。ところが、いざやろうとするとコレがセンスを問われる」
「インバーター制御っすか?」
「そう。人が持っている固有脳波によって呼び込まれる霊素粒子と異能は制御されている。それを意図的に重ねることによって、指数関数的に威力や射程が上昇する。この脳波の周波数と間隔が重要になってくるんだが―――」
「えーっと?」

 理解が及ばない三上に、水無瀬は苦笑して。

「まずは糸を出して、捻ってご覧」
「こうですか?」

 言われたとおりに、三上は右手の平を広げ霊糸を出す。形成はしないで糸をヨリヨリと捻る。

「もう一方の手で、形成しないで霊素だけを捻ってみて。出力は糸と同じ」
「んん………?」

 霊素だけを出す、と言われ四苦八苦しながらもやってみる。気を抜くと直ぐに糸へと変換されてしまいそうになり、三上は眉根を寄せた。しかも右手の霊糸を維持したままだ。曲芸みたいだな、と思いつつもどうにか形になった。

 だが。

「一発でそこまで出来るなら上等上等。それで、それを合わせた上で、拳に乗せ着弾点とタイミングを0.03秒以内で揃えて全力で穿つ」
「んんんん―――?」
「混乱するだろうね。慣れてしまえばどうと言うことはないが、マルチタスクの上にシビアだから」

 ここに至って混乱の極地に達した三上は、手にした霊糸と霊素を維持できなくなってしまった。右手と左手で違うことをしているのだ。慣れていなければ難しいし、それに加えてまだ手順がある。

「だが慣れると―――」

 そう言って水無瀬はサンドバック群へと向き直り、全身を使って極光を連打する。拳、蹴り、肘、頭突き、果ては指弾までだ。繰り出すたびに燐光が奔ってドカンドカンと爆発音と供にサンドバックが弾け飛び、一通り終わることには砂の山が出来ていた。

「うっわぁ………」
「このように蹴りでも頭突きでも何処からでも出せるようになるから、全身が凶器になる。極論、指先一つでも可能だからね。出すだけならほぼタメがいらない。補強できる霊素量次第で格上殺しも可能だ」
「マジですか」
「私はクラスAだが、屠龍勲章持ちだよ?つまり皇竜にも通ったんだよ、コレ」

 水無瀬を拳聖と名付けたのは長嶋だが、そう足らしめたのは彼と二人で厄災種である皇竜を討伐したからこそだ。多くの兵士がその光景を目撃し、クラスExの武神と対等以上に皇竜を真正面からぶん殴っていくクラスAの水無瀬を、出来の悪い漫画の登場人物を見る目で見ていたとか。

「だから持て囃されて有名になった後、多くの人間がこぞって私に教えを請いに来た。私も強い味方が出来るのは良いことだと思って熱心に教えた。だが、一部の例外を除いて習得できたのは同じような属性付与されない異能を持っていて、近接格闘にセンスがあって、更にはそこに重きを置いている適合者だけだった。思えば、それが悔しかったんだろうねぇ………」

 その時に教職に就くことを志したのだと言う。

 余談だが、その一部の例外はやはり長嶋武雄だった。長嶋派炎雷流に似通った技があるらしい。その延長で似たようなことを既にしていた。制顕と言う、本来なら迎撃用の防御技なのだが、意図せずそれを水無瀬が使っていたものだから気を良くしてそこから捩って名付けたようだ。

 本人としてはいい迷惑だったようだが。

「私は我流だし、由緒正しい流派に師事したことはない。だから技と呼ばれる技は大して持っていないし、消却者相手でも対人でもこれが有効に使えるから、コレが基本技で奥義だ」

 基礎的な体術は既に教えた。次に幾つもの敗北を与え、それの対策も三上の身体に叩き込んだ。ならば後は、自らを象徴するこの聖拳だけ。

 だからこそ、と水無瀬は前置いた。

「これを覚えることが出来たなら、もう免許皆伝だね」

 そう言って微笑んだ水無瀬を見て、三上は息を呑み―――。

「さて、一緒に片付けようか。―――サンドバック」
「お、押忍」

 調子に乗って備品を破壊しまくり、山となった砂の山となってしまったサンドバックの処理方法をどうするか師と供に頭を悩ますことになった。



 ●



「で?どうなのさ」
「いや、これがさっぱり」

 結局片付けが終わらず、後はやっておくから授業に出ておいで、と水無瀬に送り出された三上は特班のメンツの中で一番最後に班室に入ってきた。始業ギリギリは珍しいと皆に声を掛けられ、先程までの水無瀬とのやり取りを説明した後、新見に尋ねられて三上は首を横に振った。

 因みに、興味を覚えた特班の面々が同じように霊素と異能を別々で扱ってみようとしてみたが、一発で出来たのは飛崎だけだ。曰く『リズムがあるかないかだけで、やってることはピアノと変わらんな』だそうだ。

「KIKOU………つまりオリエンタルファンタジー!」
「ヨーロッパファンタジーが何ぞ言っておる………」
「エリカ様は実在してます。幻想ではありませんわ」
「そういう意味じゃないと思うなー」

 そもそも本来、一般庶民にとって王族なんぞは物語に出てくる幻想種と変わらないぐらい関わり合いがないのだ。何でこんなにガッツリ関わり持ってしまったんだろう、と新見が自らの境遇を嘆いていると、足元に置いていた自分のリュックがガサゴソと動いていることに気づいた。一体なんだろうと思って空けてみると、黒い毛玉がぴょんと抜け出てきた。

「って、あれ?アズライト?」
「やぁ、貴史。今日はガッコウなるものに興味を覚えてな。帯同させてもらうことにした」
「いや、猫同伴で教練ってオッケーなんだろうか………」

 テーブルの上に着地して、そんな事を宣う黒猫に特班の面々の視線が集う。

『………』
「あ」
「どうかしたか?貴史」

 遅ればせながら事態を自覚した新見に、この期に及んでまだ理解していないのか青い瞳を新見に向けて猫は首を傾げていた。

『猫が喋った!?』

 ようやく状況を飲み込んだ一同が声を上げ、新見はあちゃーと顔を覆う。

「ほうほう。最近の猫は喋るのか………SFの美学してんな!」
『いやいやいやいや』

 見当違いの方向で感心している飛崎に、皆がツッコミを入れているとリリィが上ずった声音で黒猫に急速接近していた。

「ア、アズライト!貴方喋れたのですね!?こ、これがNEKOMATA!!」
「まぁ、吾輩、少々特殊でな。実は小粋な日常会話からネット検索のお供まで何でもござれさ」
「ついでにモフれるのですね!?子供の頃の夢が………!ド○トル先生になれなくても動物とおしゃべりできるなんて―――!!」

 最近主の趣味に付き合ってとある映画にハマっていたリリィは神はここに居た、とばかりに天を仰ぎアズライトに触れようと手を伸ばし。

「それは止めてもらえるかリリィ・シーバー。君の撫で方は下手だ」
「え」

 まさかの本猫から拒絶された。

「ついでに少し怖い」
「!?」
「後、この間のカリカリはおいしくなかった」
「っ!?」

 余りに容赦のない追撃に皆がうわぁ、とリリィに同情し、やっぱり嫌だったんだなぁと新見は何処か達観した表情をしていた。

 しかしそんな従者を思いやってか、主であるエリカが猫に声を掛ける。

「ごめんね、アズライト。でもリリィの事を嫌わないであげて。悪い子じゃないのよ?」
「エリカ様………!」

 その優しさと思いやりにリリィの忠誠心が上がった。

「ただ、ちょっと、そう―――寂しい女なの」
「エリカ様………!」

 選んだ言葉のチョイスにリリィの忠誠心が下がった。

 ロイヤルコンビがギャルゲーの如き好感度パラメータの乱高下を起こしている横で、新見はアズライトに話しかけた。

「いいの?アズライト。喋っちゃっても」
「構わないさ。きっと人と触れ合わなければアイは探せない。―――最近、そう思うようになった」

 そう言って、猫はくしくしと顔を洗う。

 ここ最近、何があったのかは知らないが何だか妙に理知的というか達観した物言いをするようになったのを新見も知っている。一応その理由を聞いては見たのだが、どうにも要領を得なかった。

「でもどうするの?山口教官も流石に猫同伴は許してくれないような気がするけど」
「大丈夫だ。交渉する」

 猫がくぁ、と欠伸を一つし事も無げに言い放った。



 ●



 その日、山口明里は教官生活が始まって以来三年目でこの世の理不尽に直面していた。

 いつものように出勤し、いつものように他の教官達と適当に挨拶し、そしていつものように受持班の面倒を見るために班室へ赴いたらそこに猫が居た。

 黒い艶やかな毛並みに、青い瞳の猫だ。部屋のテーブルに、所謂エジプト座りと呼ばれる座り方でじっとこちらを見つめていた。最初は誰だよ動物持ち込んだ馬鹿は、と呆れていたが、直ぐに状況が不可解な方向へ転がりだした。

 何と、その猫が喋ったのである。

「は?何?何だこの状況」
「だから吾輩を新見貴史の保護者と見立てて同席させて欲しい」

 あまつさえ自身の要求を告げてくるのだから、山口と言えども混乱の極地に容易く至ってしまう。

「新見。お前の身元引受人って猫なのか?しかも喋ってるし。何コレ新手の異能?」
「そんな素敵異能があるのですか!?」
「リリィはちょーっと黙ってようねー」

 もうどうにでもなーれ、とばかりに乾いた笑みを浮かべる新見に、リリィが別の単語に反応してエリカが割りと物理で押さえつけるというカオスな状況の中、猫は人間の混乱などお構いなしに気ままに口を開く。

「世の中には授業参観という行事がある。どうやら子供の親を手当たり次第に呼び出して行う公開処刑のようだが」
「アズライト、君は一体何を参照してるの?」

 ネットに繋がった猫はそれを辞書代わりに使うは良いが、参照先が絶妙に偏っている気がしてならない。

「この時ばかりは非友好国の大使館の如き治外法権である学校内に部外者が立ち入って授業を監視して実態を暴いて良いのだという」
「班長大丈夫っすかあの猫、色んなとこに喧嘩売ってますけど」
「いや、ウチに授業参観無いし」
「な、なんだってー!?」
「ついにネタまでフォローし始めたな。しかも儂が分かる旧世紀の奴」

 繰り出されるネタの数々に、少々辟易しながら山口が深く吐息する。それを形勢不利と見たか、猫は早々に自らが切れる鬼札を出すことにした。

「肉球」
「は?」

 ててて、とアズライトは山口へと近寄ると、その手にぽむん、と前足を置いてふにふにした。そしてじっと山口をその青い瞳で見上げる。

「吾輩の肉球を好きにして良い」
「―――っ………!?」
「はいリリィ、落ち着こうねー」

 背後でどっかの侍従がガタン、と椅子を蹴倒して立ち上がっていたが主に羽交い締めされていた。

「いや猫の肉球なんか………」
「尻尾もどうだ?」

 渋る山口の手に、アズライトは尻尾をしゅるしゅると絡めていく。

「………………………」

 ふさふさの尻尾の毛は、中々に心地よく山口は息を呑む。

「仕方ない。―――腹も、許そう」

 そしてそのままごろん、と腹を向けて猫は身を倒した。

 ふかふかでもふもふの腹を見せられ、山口はしばし黙考する。そこに如何な葛藤があったのかは余人には理解が及ばないが―――。

『落ちたな』

 無言のまま、アズライトが差し出した腹にすっと彼女の手が伸ばされたのを見て、皆がそう思ったのだった。
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