異世界で永久の愛を誓え

宮々詞羽

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異世界転移

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 宙に浮いた感じがしただけで、実際には落ちていた。

 バキバキと枝を折る衝撃を背中に受け続け最後にドスンと大きな衝撃を受け息が詰まった。
「──っいって」
 全身に重力を感じた。どうやら背中で着地したようだった。しなりの良い枝のお陰で、落下スピードが緩和されたようだったが、流石に落下のショックで暫く大の字で放心状態だった。
 幸い怪我は擦り傷と打撲程度で済んだようだが、それでも数メートルの高さはあったであろう。ぶつかり続けた枝の衝撃と、落下の衝撃が残る身体をすぐに動かすのが怖かった。倒れた仰向けの体制のまま頭だけを動かし周りの様子を窺う。
 (──どこかの森の中?)
 それしか分からなかったが、その森の豊かな腐葉土が落下の衝撃を抑えるクッションになってくれたようだ。
 
 数回深呼吸をしてから上体を起こして、もう一度辺りを見回した。周りには高く生い茂った木と、草と、あと聞こえて来るのは鳥の囀り。
(いや、意味わからん)
     
 さっきまでは会社だった。地震で倒れ掛けた資料棚を必死で支えていた。
 ──そうだ。あいつはどうなった!?
「──弓達!」
 思わず叫んだが、祥行の声は周りの木々に吸い込まれるだけだった。すぐ傍に居たはずの弓達の姿は何処にもなかった。
 資料室で大きな地震が起きて、床が抜けた感覚はあった事は覚えている。だが、一緒に落ちたかどうか分からなかった。その瞬間の記憶が無いと言うべきなのか。
(まさか死んでないよな)
 そんな考えが頭に浮かび、ぞっと悪寒が走った。
 鼻腔に残る血の生々しい鉄の臭いが、最悪の事態を思い起こさせ思わず手の甲で鼻を抑えた。全身が心臓になったみたいに身体がバクバク脈打つ。祥行は震える身体を落ち着かせようと、ぎゅっと拳を握りしめた。
 一瞬パニックに陥ったが、無理矢理考えを良い方に向ける。自分は無事でいるのだから、きっと大丈夫。何とか思考を落ち着かせて、今どうすべきかを考える。

 改めて周りを観察してみると、獣道なのか人の道なの分からないが、踏み固められて出来たような筋道が目見入った。
 取り合えずは弓達を探しつつ、そこを進んで行く事にした。
 時間はまだ、午前中のはずだ。左腕に着けている腕時計を確認したら8時45分を指していた。あれからさほど時間は過ぎていないようだった。ならば日があるうちに森を抜けた方が良いと考える。
 祥行は身体の状態をもう改めて確認する為にあちこち擦っていく。
 その手はまだ微かに震えていた。資料室で必死に棚を支えていた時の疲労からか、今起こった事に対する不安や恐怖からなのか分からなかった。震えを鎮めるようにまた拳を握る。
 さっきまではアドレナリンの効果だったのだろう 、そこまで痛みは感じていなかった。今になって身体のあちこちからギシギシとした痛みが現れてきたが、幸い動けない程の痛みではなかった。
 祥行は立ち上がって丁寧にスーツに着いた汚れを払い落して一通り身なりを整えると、先ほど見つけた筋道へ歩いて行った。 
 
 暫く歩き続け、次第に落ち着いてきて思考も冷静になってくると、ふとある噂を思い出した。
 近年、世界各地で噂されていた異世界召喚事件。
 目撃者の話によると、人が突如現れたブラックホール、または眩い光の中に吸い込まれるとこの世界から姿が消えて無くなると言うものだ。人が居なくなったと言うだけであれば失踪事件なのだろうが、この事件は更に不思議な噂話が付いてくるちょっと奇妙な話だった。
 日本でも都市伝説的な位置づけとして十数年前から話題になっていた、異世界には存在するという説。SNSは勿論、TVでも特番が組まれたりする事もあり、リアル神隠しなどと言われた。そんな失踪事件が、ある時異世界召喚事件として噂されるようになったのには理由がある。
 実は忽然と姿を消していた行方不明者が数年後に元気な姿で発見されたというのだ。しかも、当の本人は異世界で普通に生活をしていたと言う。
 異世界には魔法が存在しており、何かしらの危機に陥っているらしい。それを回避する為の唯一の方法が、異世界から特定の人物を召喚する事。つまり、この召喚と言う行動が失踪事件の真相だと言うのだ。おまけに、異世界へ召喚される人は特別と言うだけあって、神のような魔法を使う事が出来て、その力で世界を救ったと言う。その後は称え崇められ、何不自由ない生活を送れる、まさにハッピーエンド有りきの漫画やゲームに出てくるような夢の話だ。
 この噂を知った当時は、あまりにも現実離れ過ぎて話のネタ程度にしか捉えていなかったのだが、営業先での会話のきっかけにでも使うことがあるかもと、それなりに情報収集はしておいた。
 それを基に考えると、この状況は結構それに近いのではと考える。だが、疑問もあった。それは選ばれし者に与えられるチート的な能力や魔法を感じられない事だ。とてつもなく運が良いご都合主義の運命的な出会いも救いも今のところ全く起きていない。改めて冷静に自身の状況を返りを見みるが、やはり間違いなく神の力は宿っていない様だから異世界召喚ではなさそうだ。
 何故だかちょっとがっかりする。
 
 他に可能性として思い当たるのは、多発していた地震により時空の歪みが起きて、地球の何処かにワープしてしまったと言う事。現にこの状況を鑑みると、そのくらいの事が起きないと説明が出来ない状況だ。
 とにかく、あり得ない事が起きてしまった事は確かで、現に祥行はビルが立ち並ぶ街中からいきなり緑豊かな森の中に一瞬で移動してしまっているのだから。
 
 獣道をしばらく進んだ先で明らかに人の道とわかる所に出た祥行だったが、左か右かどちらに進めば人がいそうな場所に出るか見当がつかなかった。今更ながら持っていたスマホのGPS機能で位置を確認しようとしたが、電源が入らない。
 充電は家を出る時は必ずフルにしておくのが習慣になっているし、今朝会社で使った時も90%以上残っていたはずだった。腕時計の時間を再び確認したら8時45分で止まっていた。
(──おいおい。まじかよ)
 原因として思い当たるのはあの時の地震だ。やはり強力な磁場でも発生してショートしたのかもしれない。
 何も役にも立たない四角い板に成り果ててしまったスマホを、大きなため息と一緒にジャケットの内ポケットにしまった。

 ここまでの道程の中、鳥の囀りが時折聞こえるだけで獣の類は見なかった。
 途中、猪やもしかしたら狼や熊なんかに出くわすかもしれないと思い、武器として使えそうな良い感じの木の枝を拾って備えていたが、今は主に杖の役割をしている。野生の獣を相手にどれだけ役に立つか分からないが、何も無いよりはましである。

 ここの気温は日本で例えるなら初夏に近かった。祥行はジャケットを腰に巻き付け、ネクタイも外してポケットに入れ、ベストのボタンは全開だった。シャツの袖も肘が出るまで捲り上げている格好だが、日本ほど湿度は感じない為、常に自然の木陰がある森の中は風が吹けばそれなりに涼しかった。とは言え、汗は掻いているし、喉は渇いているし、腹も減っている。弓達の痕跡も相変わらず何も無い。
 はぁ──。と大きなため息が出た。
 (家に帰りたい……)

 草木が生い茂る慣れない道をひたすら歩き続けているが、終わりが見えないと心が折れそうになった。
 あの時、反対方向に行けば今頃は何処かの町に着いていたかもしれないなどと、今更な事を考えて不安になる。
 下がった視線が、しわしわになって腰に括り付けられたジャケットの袖に止まった。その視線はスーツのパンツの裾に染み付いた草や泥の跡や、すり傷が付いた革靴を辿っていき更に気分が落ち込んだ。
 改めて見るとひどい有様だった。営業職という事もあり、身なりにはそれなりに頑張ってお金を掛けてきたのだ。そんな自慢のスリーピーススーツと革靴をどろどろにして、ひたすら森の中の道を歩き続けているのはまさしく悪夢だった。訳の分からないこの状況を、夢なら早く覚めてくれと切に願った。せめてあいつでも居てくれたら──。とか考えてしまうあたり、かなり弱気になっている。

 辺りが少し暗くなり始め気温も下がり始めた。時計の針は相変わらず8時45分を指したままだ。もう何度この時間を確認したことか……。
 
 森の中は日の陰りが早かった。このまま町に出られなければ、この森で一夜を過ごさなければならなくなる。早めに休める所を確保した方が良いのか、ひたすら歩いて森を抜けた方が良いのか、新たな二択に迫られた。
 祥行は森を抜ける方を選んだ。素人が道具も持たず、いきなりサバイバルキャンプなんて出来るわけがない。このままどこかの町に着かなければ、本当に見知らぬ土地の森の中で野宿という状況になる。少しでも早くこの森を抜ける為に懸命に歩き続けた。





 日はすっかり落ちてしまい、努力の甲斐もなく祥行はいまだ森を抜けだせずにいた。
 太陽の代わりに木々の隙間から覗く空には月が出ていた。なんだがいつもより赤み掛かっていて大きく見える。月の高度が低いと赤みを帯びるんだったか──。とにかく空から届く光が木々の隙間を照らしてくれるお陰で、木の影に入らなければ全くの暗闇と言う訳ではないのは幸いだった。

 クルルルル───。クル───。
 
 パキ、パキッ。

 ザザ──ガザガザ───。

 時折、怪しい音や動物の鳴き声が聞こえる。その度にビクつきながら辺りを見回す。
 
 漫画なんかによくある身を隠せそうな洞穴や木の穴が都合よく見つかる訳がなく、祥行は2メートル程の高さの木の上によじ登って休んでいた。地面に居るよりは獣に襲われにくいのではないかと思ったからだ。
 少し太めの枝のお陰で膝を抱えて座ることが出来た。
 夜になると気温が随分と下がって来た。昼間は暑くて脱いでいたジャケットを着ても肌寒かった。身体を丸め少しでも体温が逃げないようにする。震える身体は気温のせいか、恐怖のせいか。心細くて泣きそうだった。
 今朝までは普通の何時もの朝を過ごしていたのにそれがどうしてこんな事になっているのか。弓達はどうなったのか。あの場に一緒に居たはずなのに居なくなってしまった。頭を怪我していたし、他は無事であればいいのだが。最悪の場合、地震による崩壊で死んでしまったのかもしれない。もしそうだとしたら、せめて辛い思いや痛い思いをする事がなければいいが。
 つい不吉な事を考えてしまった。慌ててその考えを打ち消す為にバチンと両手で頬を挟んだ。ヒリヒリ痛む頬は今が現実だと感じさせた。
 
 一日歩き続けたせいで瞼はひどく重かった。膝の上で組んだ腕に頭を乗せて目を瞑ったが、寝れるはずもなく、ただ目を閉じているだけだった。空腹で胃が痛い。身体のあちこちも痛い。
(──このままここで死んでいくのかな──)
 再びマイナス思考が働いて鼻の奥がツンと痛くなってきた。
 夜明けまであとどのくらいだろうか。

 ギャッギャッギャ───。
 
 バサバサッ。

 昼間移動している時は感じなかった獣の気配があちこちでする。確認しようにも周りは濃い影ばかりで何も分からない現状に恐怖も倍増する。
 無事に朝を迎えられたとしても、トラウマになりそうだ。もう、暗い夜道は一人で歩けないかも──。
 祥行は更にギュっと膝を抱えひたすら朝になるのを待った。

 
 
     
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