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閑話「陸奏の過去」
始まりの刻
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黒百合村の事件が城下町でも流れ始めた頃、城下町の一角に聳え建つ寺では勢いよく走る陸奏の姿があった。
僧侶たちの中でも僧正という高い位にも関わらず、陸奏は昔から変わらない性格のまま大きく育っていた。
伸びてきた短い髪をほんの少しだけ気にしながら陸奏は本堂の扉を開ける。
「海宝様!」
何か大事でもあったように陸奏は険しい表情を浮かべていた。
いつもなら呼びかけに応じて海宝は直ぐに振り向くのだが、この時は粛々と仏様へと祈りを捧げ続けていた。その様子に陸奏は静かに扉の入り口を閉めてその場で正座をして終わるのを待った。
人よりも二回りほど大きい仏は海宝を見守るように少し下を向いて本堂の奥で鎮座していた。金で出来たその姿は荘厳であり、部屋の中はひんやりとした空気が足元を這うように流れていた。
陸奏は仏様を見つめた。入口からは少し距離があってもその金色に輝く姿は凛々しく、美しさも兼ね備えたその雰囲気は見る者を魅了した。
「……」
魂が抜け出てしまいそうな感覚に、陸奏はハッと意識を現実へと戻した。
「陸奏、すみませんね」
祈りを終えた海宝がゆっくりと膝を陸奏の方へと向けて微笑んだ。
「いえ! 海宝様、お疲れ様です!」
満面の笑みで陸奏は海宝へと謝辞を述べた。
「ふふ、相変わらず元気ですね」
「元気だけが取り柄ですからね!」
「ふふっ、こちらにどうぞ」
「はい!」
陸奏は立ち上がり、仏様の前で座る海宝の元へと近寄った。仏様へと深々と一礼し、陸奏は海宝より少し入口近くの床で正座した。
「なんだか慌てていたようですが、どうしたのですか?」
海宝が静かに陸奏へと尋ねる。
「それが……」
陸奏は先程とは打って変わり、俯いて悲しげな表情を浮かべた。
「何かあったのですか?」
「はい……今さっき聞いた話なのですが、黒百合村が襲われて壊滅したそうです……」
「それはまた……」
あまりの内容に海宝は心を痛めた。
しんとした空気が二人を包み込んでいく。
「……村の方々はどうなったのですか?」
海宝は悲痛な面持ちで陸奏に問いかけるが……。
「焼けた家の中から発見されたそうで、全員殺されてしまっているだろうと……」
陸奏は涙を流しながら海宝へと伝えた。
「陸奏……?」
海宝は泣いている陸奏に近付いて涙を拭った。
「村の人達は……苦しかったのでしょうか……」
拭いても拭いても溢れ出る涙が陸奏の視界を遮っていく。海宝は涙の止まらない陸奏を撫でてやり優しく話しかけた。
「陸奏? 黒百合村の人達の為に一緒にお祈りしましょう」
「うぐっ……はい……」
二十代半ばの陸奏とそれよりも二回り歳の違う海宝。二人は死んでしまった者達へ弔いと祈りを捧げた。
陸奏は明るい性格の持ち主であり、寺の中でもひと際優しい性格だった。人の痛みを自分の痛みのように感じて泣き、人の苦しみを自分の苦しみのように感じて泣く、少し変わった人間だった。
戦を春桜達が繰り広げていた十年程前、翠雲によって助けられた陸奏は海宝の居た寺へと預けられた。翠雲が時々顔を覗かせると、無邪気な子どものように陸奏は翠雲へと駆け寄っていく。気が付くと、翠雲は陸奏にとって親であり兄のような存在となっていた。育ててくれた海宝もまた、陸奏にとっては翠雲と同じ親同然の存在であった。
感受性の豊かな陸奏を海宝は大切に育て、十年以上が経った今では僧正の位まで成長した。贔屓をしたわけでも特別ちやほやしたわけでもなく、陸奏は自分の力でその地位へと昇格した。
分け隔てなく誰とでも気軽に接する陸奏を毛嫌いする者は居なかった。天然で少し抜けている。でも、性格は誰よりも優しく、困っている人への嗅覚は人一倍強かった。
そのせいなのか、陸奏はよく泣いていた。今でもそれは変わらない。
陸奏がまだ十四歳前後の頃、王城が出来る前の古い寺に預けられていた時の話――
海宝の元へと預けられて直ぐの頃、寺の後ろにある雑木林で見知らぬ子ども達が遊んでいた。その近くには海宝が育てていたアサガオが綺麗に咲いていたが、子ども達はアサガオを毟(むし)り取っては面白がっていた。
海宝に頼まれて陸奏は寺の留守番と境内の掃き掃除していた。
寺の後ろの方で聞こえた子ども達の燥(はしゃ)ぎ声が気になり、箒を木に立て掛けて様子を見に行く。そこでは三人ほどの子どもたちが海宝が育てていたアサガオを木の棒で叩いたり、千切って遊んでいたのだった。
陸奏はその光景を見ただけで泣きそうになっていた。自分でも何故なのかは分からない。けれど涙がぽろぽろと零れ落ちていく。
無残に千切られたアサガオは踏みつぶされ、ぐしゃりと捻じ曲げられた花からは水分が血のように滲み出ていた。
痛い……辛い……悲しい……。陸奏の心はそれを見ただけで深く深く傷ついた。心を抉るような痛みに陸奏は胸を押えた。
陸奏が見ていることに気が付いた子ども達は一斉に声を荒げる。
「なんだよ、こっち見るなよ!」
「こいつ、最近寺に来た奴だぞ!」
「弱そーな奴だな!」
「……」
泣き叫ぶアサガオの花に共鳴して陸奏は涙が止まらなかった。
「海宝様の……」
陸奏は呟きながらゆっくりと彼等に近付いていく。
「なんだ、やんのか?」
「やっちまえ!」
「こいつ泣いてるぞ!」
涙を流す陸奏を見て子ども達は笑ったが、陸奏は表情を一つも動かさずにゆっくりと近付いていく。
きつい目つきをした陸奏と変わらないくらいの男の子が前へと出て陸奏に声を掛ける。
「やんのか?」
「……」
陸奏は彼を通り過ぎて無残に散ったアサガオの花びらを拾い集めた。
「可哀そうに……痛かったでしょう……?」
か細い声で陸奏は泣きながら呟く。
無視された子ども達は頭にどんどん血が上っていく。
「なんだこいつ気持ち悪(わり)ぃ! 花に話しかけてるぞ!」
「やっちまおうぜ!」
「やれやれー!」
その後、陸奏は殴られ蹴られ続けた。
やり返すこともなく、拾い集めた散り散りのアサガオを両手で大切に包みこみ、じっと守り抜く陸奏。
「やり返してみろよ!」
「……いや」
陸奏は戦う事を選ばず、頑なにアサガオを死守した。いくら自分が傷付けられても、これ以上アサガオを傷付けられないようにと陸奏は丸くなって必死に散ったアサガオを抱きかかえた。
「……」
海宝たちが戻って来た時には、陸奏は寺の後ろでぐったりと倒れていた。痛々しい姿に海宝たちが何事かと騒ぎ立てる。
しかし、陸奏はただ一言だけを泣きながら呟いた。
「ごめん……なさい……」
襲われたことや、自身が傷付きボロボロになっても、陸奏は守れなかったアサガオの事だけを海宝に謝罪したのだった。
陸奏の言葉、無残に散っているアサガオ、血と痣だらけの身体……。ここ最近、いたずらをする子ども達が居たことをふと思い出した海宝は、こうなった経緯を想像するのは簡単だった。
「一人にしてしまったばっかりに……」
海宝は自分の行いを悔やみながら陸奏を抱え、寺の中へと移して寺の者達で看病することとなった。陸奏が完全に回復するには暫くかかったが、一ヶ月程が経過した時には既に寺の掃除を再び始められるようになっていた。
怪我もすっかり治り、陸奏が境内の掃除をしていた時、境内で海宝と二人きりになることがあった。
手を後ろで組み遠慮がちに海宝へと話しかけに行く陸奏。
「海宝様……?」
「どうしましたか?」
海宝が振り返ると、陸奏は上目づかいで言いにくそうに口を一文字で閉じていた。
海宝が優しく話しかけても、陸奏は目線を右に左にと逸らす。アサガオの事を気にしているのだろうと海宝は思い、陸奏の頭を優しく撫でてやった。
「貴方が気にすることじゃありませんから、もう大丈夫ですよ」
海宝の言葉を聞いて陸奏は小さく口を開く。
「あの……」
「どうしましたか?」
「こっち……」
海宝の袖を軽くつまむと、陸奏はそのまま寺の後ろの林の中へと入って行った。進んでいくと、そこには日ごろ水を汲んでいる池が広がっていた。
海宝は木々に囲まれた池を見渡す。
「ここはいつ来ても綺麗ですね」
「海宝様……こっち」
「はいはい、急ぐと危ないですから、ゆっくり行きましょう」
この頃、まだ口数の少なかった陸奏は内気で、自分から話しかけるような性格ではなかった。そのため、陸奏と会話が出来るのは海宝と翠雲、一部の寺の者だけだった。
池から少しだけ離れた草木の茂る場所へと入る二人。日陰では心地良い風が木の間を通り抜けていく。
陸奏が立ち止まり海宝の顔を見つめた。
「海宝様……ここ……」
「おお、これはまた綺麗な場所ですね。かすみ草ですか」
陸奏が海宝に見せたかったもの。それは林の中で見つけた白いかすみ草の咲く綺麗な場所だった。
人の立ち入らない場所で自然に育ったかすみ草は一面を綺麗な白色で埋め尽くしていた。
「アサガオ……じゃないけど……」
陸奏は海宝の袖をぎゅっと掴む。
「いえいえ、こんなにも綺麗な場所があったなんて知りませんでした。陸奏、ありがとうございます」
微笑みながら海宝がお礼を言うと、陸奏はそれまで見せたことのない満面の笑みで喜んでいた。
「また、皆でここを見に来ましょうね」
「うん!」
暫くかすみ草の花を眺めた後、二人は寺の方へと戻っていった。
道中、陸奏はアサガオを守れなかった事を目に涙を溜めながら話した。
海宝は優しい声音で陸奏へと言葉を返す。
「また来年、アサガオは綺麗に咲いてくれるでしょうから、そんなに落ち込まないでいいんですよ」
「でも……」
「さあ、早く戻らないと皆が心配してしまいますよ」
海宝は陸奏の手を握って寺へと帰っていった。
次の年、寺の後ろに咲くアサガオを陸奏は大層喜んだ。自分から世話係をしたいと志願し、それからは毎年陸奏がアサガオの世話をすることとなった――
黒百合村の死者達への祈りを終えた海宝は陸奏の顔を微笑みながら見つめていた。不思議そうに首を傾げる陸奏の姿に海宝は優しく笑いかけた。
「貴方はあの頃のままですね」
「え、何がですか⁉」
海宝の言葉に陸奏が驚いた表情を浮かべる。
海宝は一呼吸おいてから陸奏へと問いかけた。
「……貴方が寺に来たばかりの頃、一面に咲くかすみ草を見せてくれた事、覚えていますか?」
「昔のお寺に居た時のことですよね、覚えてますよ?」
陸奏は不思議そうな顔で返事をした。陸奏の訳が分からないといった雰囲気に、海宝は笑みを浮かべながら呟いた。
「また、見に行きたいですね」
海宝の言葉にパッと表情を変えて嬉しそうにする陸奏。
「そうですね! 春栄や翠兄さんにも見せたいです! ああ、でもまだ残っていますかね……」
言い終える時には少し悩んだ表情に変わっていた陸奏。コロコロ変わる顔を見て海宝はずっと微笑み続けていた。
「海宝様はいつも嬉しそうですね!」
「ふふっ、そうですね。貴方が居ると飽きがなくて楽しいですよ」
「どういう意味ですか⁉」
「ふふっ、さあ、どういう意味でしょうね」
「ええ……」
「ふふっ」
楽し気な会話が終わった後、しんとした空気が本堂の中に訪れた。
海宝が仏様を見上げている間、陸奏は目を閉じて仏様に手を合わせていた。
目を少しだけ開き、悲しげな表情を浮かべた陸奏は海宝に小さく声を掛けた。
「海宝様?」
「どうしましたか?」
海宝は振り返らずに陸奏に返事をした。
「世界はとても優しいです」
「そうですね」
「でも、とても残酷です……」
陸奏の頬を一粒の涙が零れ落ちていく。
戦で両親を亡くし独りで死体の傍で泣いていた陸奏。血で染まった家の中、両親の亡骸の横で涙を流すしか出来なかった陸奏は翠雲によって助け出された。
辛い過去を持つ陸奏の言葉の意味はとても重く本堂の中へと響いた。
「そうですね……」
海宝はただ、目を伏せて陸奏の言葉を噛みしめていた。
僧侶たちの中でも僧正という高い位にも関わらず、陸奏は昔から変わらない性格のまま大きく育っていた。
伸びてきた短い髪をほんの少しだけ気にしながら陸奏は本堂の扉を開ける。
「海宝様!」
何か大事でもあったように陸奏は険しい表情を浮かべていた。
いつもなら呼びかけに応じて海宝は直ぐに振り向くのだが、この時は粛々と仏様へと祈りを捧げ続けていた。その様子に陸奏は静かに扉の入り口を閉めてその場で正座をして終わるのを待った。
人よりも二回りほど大きい仏は海宝を見守るように少し下を向いて本堂の奥で鎮座していた。金で出来たその姿は荘厳であり、部屋の中はひんやりとした空気が足元を這うように流れていた。
陸奏は仏様を見つめた。入口からは少し距離があってもその金色に輝く姿は凛々しく、美しさも兼ね備えたその雰囲気は見る者を魅了した。
「……」
魂が抜け出てしまいそうな感覚に、陸奏はハッと意識を現実へと戻した。
「陸奏、すみませんね」
祈りを終えた海宝がゆっくりと膝を陸奏の方へと向けて微笑んだ。
「いえ! 海宝様、お疲れ様です!」
満面の笑みで陸奏は海宝へと謝辞を述べた。
「ふふ、相変わらず元気ですね」
「元気だけが取り柄ですからね!」
「ふふっ、こちらにどうぞ」
「はい!」
陸奏は立ち上がり、仏様の前で座る海宝の元へと近寄った。仏様へと深々と一礼し、陸奏は海宝より少し入口近くの床で正座した。
「なんだか慌てていたようですが、どうしたのですか?」
海宝が静かに陸奏へと尋ねる。
「それが……」
陸奏は先程とは打って変わり、俯いて悲しげな表情を浮かべた。
「何かあったのですか?」
「はい……今さっき聞いた話なのですが、黒百合村が襲われて壊滅したそうです……」
「それはまた……」
あまりの内容に海宝は心を痛めた。
しんとした空気が二人を包み込んでいく。
「……村の方々はどうなったのですか?」
海宝は悲痛な面持ちで陸奏に問いかけるが……。
「焼けた家の中から発見されたそうで、全員殺されてしまっているだろうと……」
陸奏は涙を流しながら海宝へと伝えた。
「陸奏……?」
海宝は泣いている陸奏に近付いて涙を拭った。
「村の人達は……苦しかったのでしょうか……」
拭いても拭いても溢れ出る涙が陸奏の視界を遮っていく。海宝は涙の止まらない陸奏を撫でてやり優しく話しかけた。
「陸奏? 黒百合村の人達の為に一緒にお祈りしましょう」
「うぐっ……はい……」
二十代半ばの陸奏とそれよりも二回り歳の違う海宝。二人は死んでしまった者達へ弔いと祈りを捧げた。
陸奏は明るい性格の持ち主であり、寺の中でもひと際優しい性格だった。人の痛みを自分の痛みのように感じて泣き、人の苦しみを自分の苦しみのように感じて泣く、少し変わった人間だった。
戦を春桜達が繰り広げていた十年程前、翠雲によって助けられた陸奏は海宝の居た寺へと預けられた。翠雲が時々顔を覗かせると、無邪気な子どものように陸奏は翠雲へと駆け寄っていく。気が付くと、翠雲は陸奏にとって親であり兄のような存在となっていた。育ててくれた海宝もまた、陸奏にとっては翠雲と同じ親同然の存在であった。
感受性の豊かな陸奏を海宝は大切に育て、十年以上が経った今では僧正の位まで成長した。贔屓をしたわけでも特別ちやほやしたわけでもなく、陸奏は自分の力でその地位へと昇格した。
分け隔てなく誰とでも気軽に接する陸奏を毛嫌いする者は居なかった。天然で少し抜けている。でも、性格は誰よりも優しく、困っている人への嗅覚は人一倍強かった。
そのせいなのか、陸奏はよく泣いていた。今でもそれは変わらない。
陸奏がまだ十四歳前後の頃、王城が出来る前の古い寺に預けられていた時の話――
海宝の元へと預けられて直ぐの頃、寺の後ろにある雑木林で見知らぬ子ども達が遊んでいた。その近くには海宝が育てていたアサガオが綺麗に咲いていたが、子ども達はアサガオを毟(むし)り取っては面白がっていた。
海宝に頼まれて陸奏は寺の留守番と境内の掃き掃除していた。
寺の後ろの方で聞こえた子ども達の燥(はしゃ)ぎ声が気になり、箒を木に立て掛けて様子を見に行く。そこでは三人ほどの子どもたちが海宝が育てていたアサガオを木の棒で叩いたり、千切って遊んでいたのだった。
陸奏はその光景を見ただけで泣きそうになっていた。自分でも何故なのかは分からない。けれど涙がぽろぽろと零れ落ちていく。
無残に千切られたアサガオは踏みつぶされ、ぐしゃりと捻じ曲げられた花からは水分が血のように滲み出ていた。
痛い……辛い……悲しい……。陸奏の心はそれを見ただけで深く深く傷ついた。心を抉るような痛みに陸奏は胸を押えた。
陸奏が見ていることに気が付いた子ども達は一斉に声を荒げる。
「なんだよ、こっち見るなよ!」
「こいつ、最近寺に来た奴だぞ!」
「弱そーな奴だな!」
「……」
泣き叫ぶアサガオの花に共鳴して陸奏は涙が止まらなかった。
「海宝様の……」
陸奏は呟きながらゆっくりと彼等に近付いていく。
「なんだ、やんのか?」
「やっちまえ!」
「こいつ泣いてるぞ!」
涙を流す陸奏を見て子ども達は笑ったが、陸奏は表情を一つも動かさずにゆっくりと近付いていく。
きつい目つきをした陸奏と変わらないくらいの男の子が前へと出て陸奏に声を掛ける。
「やんのか?」
「……」
陸奏は彼を通り過ぎて無残に散ったアサガオの花びらを拾い集めた。
「可哀そうに……痛かったでしょう……?」
か細い声で陸奏は泣きながら呟く。
無視された子ども達は頭にどんどん血が上っていく。
「なんだこいつ気持ち悪(わり)ぃ! 花に話しかけてるぞ!」
「やっちまおうぜ!」
「やれやれー!」
その後、陸奏は殴られ蹴られ続けた。
やり返すこともなく、拾い集めた散り散りのアサガオを両手で大切に包みこみ、じっと守り抜く陸奏。
「やり返してみろよ!」
「……いや」
陸奏は戦う事を選ばず、頑なにアサガオを死守した。いくら自分が傷付けられても、これ以上アサガオを傷付けられないようにと陸奏は丸くなって必死に散ったアサガオを抱きかかえた。
「……」
海宝たちが戻って来た時には、陸奏は寺の後ろでぐったりと倒れていた。痛々しい姿に海宝たちが何事かと騒ぎ立てる。
しかし、陸奏はただ一言だけを泣きながら呟いた。
「ごめん……なさい……」
襲われたことや、自身が傷付きボロボロになっても、陸奏は守れなかったアサガオの事だけを海宝に謝罪したのだった。
陸奏の言葉、無残に散っているアサガオ、血と痣だらけの身体……。ここ最近、いたずらをする子ども達が居たことをふと思い出した海宝は、こうなった経緯を想像するのは簡単だった。
「一人にしてしまったばっかりに……」
海宝は自分の行いを悔やみながら陸奏を抱え、寺の中へと移して寺の者達で看病することとなった。陸奏が完全に回復するには暫くかかったが、一ヶ月程が経過した時には既に寺の掃除を再び始められるようになっていた。
怪我もすっかり治り、陸奏が境内の掃除をしていた時、境内で海宝と二人きりになることがあった。
手を後ろで組み遠慮がちに海宝へと話しかけに行く陸奏。
「海宝様……?」
「どうしましたか?」
海宝が振り返ると、陸奏は上目づかいで言いにくそうに口を一文字で閉じていた。
海宝が優しく話しかけても、陸奏は目線を右に左にと逸らす。アサガオの事を気にしているのだろうと海宝は思い、陸奏の頭を優しく撫でてやった。
「貴方が気にすることじゃありませんから、もう大丈夫ですよ」
海宝の言葉を聞いて陸奏は小さく口を開く。
「あの……」
「どうしましたか?」
「こっち……」
海宝の袖を軽くつまむと、陸奏はそのまま寺の後ろの林の中へと入って行った。進んでいくと、そこには日ごろ水を汲んでいる池が広がっていた。
海宝は木々に囲まれた池を見渡す。
「ここはいつ来ても綺麗ですね」
「海宝様……こっち」
「はいはい、急ぐと危ないですから、ゆっくり行きましょう」
この頃、まだ口数の少なかった陸奏は内気で、自分から話しかけるような性格ではなかった。そのため、陸奏と会話が出来るのは海宝と翠雲、一部の寺の者だけだった。
池から少しだけ離れた草木の茂る場所へと入る二人。日陰では心地良い風が木の間を通り抜けていく。
陸奏が立ち止まり海宝の顔を見つめた。
「海宝様……ここ……」
「おお、これはまた綺麗な場所ですね。かすみ草ですか」
陸奏が海宝に見せたかったもの。それは林の中で見つけた白いかすみ草の咲く綺麗な場所だった。
人の立ち入らない場所で自然に育ったかすみ草は一面を綺麗な白色で埋め尽くしていた。
「アサガオ……じゃないけど……」
陸奏は海宝の袖をぎゅっと掴む。
「いえいえ、こんなにも綺麗な場所があったなんて知りませんでした。陸奏、ありがとうございます」
微笑みながら海宝がお礼を言うと、陸奏はそれまで見せたことのない満面の笑みで喜んでいた。
「また、皆でここを見に来ましょうね」
「うん!」
暫くかすみ草の花を眺めた後、二人は寺の方へと戻っていった。
道中、陸奏はアサガオを守れなかった事を目に涙を溜めながら話した。
海宝は優しい声音で陸奏へと言葉を返す。
「また来年、アサガオは綺麗に咲いてくれるでしょうから、そんなに落ち込まないでいいんですよ」
「でも……」
「さあ、早く戻らないと皆が心配してしまいますよ」
海宝は陸奏の手を握って寺へと帰っていった。
次の年、寺の後ろに咲くアサガオを陸奏は大層喜んだ。自分から世話係をしたいと志願し、それからは毎年陸奏がアサガオの世話をすることとなった――
黒百合村の死者達への祈りを終えた海宝は陸奏の顔を微笑みながら見つめていた。不思議そうに首を傾げる陸奏の姿に海宝は優しく笑いかけた。
「貴方はあの頃のままですね」
「え、何がですか⁉」
海宝の言葉に陸奏が驚いた表情を浮かべる。
海宝は一呼吸おいてから陸奏へと問いかけた。
「……貴方が寺に来たばかりの頃、一面に咲くかすみ草を見せてくれた事、覚えていますか?」
「昔のお寺に居た時のことですよね、覚えてますよ?」
陸奏は不思議そうな顔で返事をした。陸奏の訳が分からないといった雰囲気に、海宝は笑みを浮かべながら呟いた。
「また、見に行きたいですね」
海宝の言葉にパッと表情を変えて嬉しそうにする陸奏。
「そうですね! 春栄や翠兄さんにも見せたいです! ああ、でもまだ残っていますかね……」
言い終える時には少し悩んだ表情に変わっていた陸奏。コロコロ変わる顔を見て海宝はずっと微笑み続けていた。
「海宝様はいつも嬉しそうですね!」
「ふふっ、そうですね。貴方が居ると飽きがなくて楽しいですよ」
「どういう意味ですか⁉」
「ふふっ、さあ、どういう意味でしょうね」
「ええ……」
「ふふっ」
楽し気な会話が終わった後、しんとした空気が本堂の中に訪れた。
海宝が仏様を見上げている間、陸奏は目を閉じて仏様に手を合わせていた。
目を少しだけ開き、悲しげな表情を浮かべた陸奏は海宝に小さく声を掛けた。
「海宝様?」
「どうしましたか?」
海宝は振り返らずに陸奏に返事をした。
「世界はとても優しいです」
「そうですね」
「でも、とても残酷です……」
陸奏の頬を一粒の涙が零れ落ちていく。
戦で両親を亡くし独りで死体の傍で泣いていた陸奏。血で染まった家の中、両親の亡骸の横で涙を流すしか出来なかった陸奏は翠雲によって助け出された。
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「そうですね……」
海宝はただ、目を伏せて陸奏の言葉を噛みしめていた。
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