理葬境

忍原富臣

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第五話「冥浄陸雲」

~魔除けの勾玉~

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「さて……」

 海宝かいほうが皆の顔を見渡し、剛昌ごうしょうへと静かに声を掛けた。

「では、落ち着いたようですし話をして頂けますか?」
「うむ」

 剛昌が手記を取り出し海宝へと丁寧に手渡した。陸奏りくそうは海宝の傍へと体を近付け、開かれた手記の頁に目を向ける。
 剛昌達が要点をまとめながら二人に今までの経緯を話していく。
 春桜(しゅんおう)が死ぬ前の体調の悪化、手記の内容、黒百合村と悪夢の話……最後に、火詠と泯の容態、兵士達の話をした。

「……」

 黒百合村を燃やしたことを伝えた時、陸奏と海宝は悲しみの表情を浮かべていた。涙をこぼす陸奏の姿を、翠雲すいうんは目に映らないように別の方向を見ていた。

「そんなことがあったのですね……」
「……」

 話を聞き終わった陸奏は黙したまま悲しみに暮れていた。海宝は仏様の方へと向き直して目を瞑って手を合わせる。
 海宝の隣で陸奏は時が止まったかのように静止していた。人形のように固まった陸奏の涙がぽたぽたと落下していく。
 陸奏の様子をじっと見つめる剛昌と火詠ひえい

「……?」

 二人が陸奏の様子に違和感を感じていることに翠雲は気が付いていた。
 陸奏の感受性の高さを知っていた翠雲はこうなる事を知っていた、分かっていた、理解していた。だからこそ、普段は絶対に見せない威圧的な雰囲気をまとって陸奏をこの場から遠ざけようとした。
 海宝も陸奏がこうなる事は知っていたはず。なのに、この場に残した事を翠雲は疑問に感じると共に恨んでいた。

 祈る海宝に恨む翠雲、泣き続ける陸奏とそれを不思議そうに見つめる二人。本堂の中はそれぞれの想いが無音で飛び交いながらも時間が過ぎていった。

「さてと……」

 祈りを終えた海宝の呟いた声は小さいながらも響いた。四人はハッと我に返ったように後ろを振り向く海宝を見つめる。

「剛昌殿に翠雲殿、火詠殿に陸奏……私はこれから飢饉で死んでいった者達の弔い……供養参りを行います」

 海宝の言葉に剛昌が食い入るように前のめりに姿勢を崩した。

「それで解決するというのか!」

 妹と火詠の容態を気にする剛昌にとって、海宝の言葉一つ一つが希望に満ちた言葉となっていた。
 海宝は剛昌の問いかけに対して、静かに横へと首を振った。

「これだけで解決できるかは私にも分かりません……飢饉で死んでいった幾千の命を全て弔うということも、そもそも難しいことですからね……」

 自信の無い海宝の言葉に剛昌は肩を落とした。

「そんな……」

 剛昌は悔しそうに拳を床へとつけて力を込めた。
 会話の途絶えた海宝へ次に言葉を発したのは火詠だった。

「海宝様、飢饉で亡くなった民の数は数千から万に達するかもしれません。その者達全員の弔いをどうやって行うのですか?」

 冷静な質問の内容に翠雲はぴくりと眉を動かした。海宝は供養の方法を簡易的に説明する。

「そうですね、村を全て回って死者の魂を集める……というのが一番良いかもしれません」

 非現実的な海宝の言葉に耳を疑った火詠は堪らず聞き返した。

「魂を集めるとは?」
「はい……持ってきますから少しだけ待っていてくださいね」

 海宝はそう言うと本堂を後にして何処かへと向かって行った。
 本堂の中で冷静に考える事が出来ていたのは火詠だけ。翠雲は何かを考えているようだが、先程のやり取りを気にしているのか、未だに発言する気配は見られなかった。
 陸奏は止まらない涙を拭い続ける。

「はぁ……」

 翠雲が陸奏の様子にとうとう声を漏らした。

「陸奏……だからこの件には関わらないでくれと言ったのに……」

 涙を拭く陸奏に怒りと呆れを含んだ声で翠雲が呟く。

「いえ……これは知らねばならない事でしたから……」
「陸奏殿、よろしいですか?」

 二人の会話に割って入る火詠。剛昌も含めた全員が火詠へと視線を移した。

「はい……?」
「何故、貴方はそんなにも泣いているのですか?」
「それは……」

 言葉の続かない陸奏を助けるように翠雲が火詠へと話しかける。

「火詠、別に構わなくていいでしょう」
「ええ、別にいいのですが、どうしてそこまで悲しむことが出来るのか……とても気になって――ゴホッゴホッ……」
「火詠さん!」
「っ⁉」

 剛昌や翠雲よりも先に火詠の傍に近付いたのは少し離れている陸奏だった。

「大丈夫ですか⁉」
「え、ええ……」

 剛昌と火詠は陸奏の動きの速さに驚いた。先程まで泣いていた若者が自分達の反応よりも素早く身体を動かしたという事実。心配される火詠がちらりと翠雲へと目を向ける。
 何も語らない翠雲の横で陸奏は火詠の背中を擦っていた。

「皆さん、お待たせしました」
「海宝様! 火詠さんが……」

 心配している陸奏の声かけで海宝が火詠の元へと近付いた。

「火詠さん、これを身に着けてください」

 海宝はそのまま火詠の首に紫色の勾玉をかけた。火詠は勾玉を指先で掴んでまじまじと見つめる。

「これは?」
「魔除けのお守りです。多分ですが効果があるでしょう。それと、手を差し出して頂けますか?」
「こうですか?」

 火詠の差し出した右手を海宝は両手で優しく包み込んだ。乾いた音が海宝の手の内から微かに聞こえる。
 願うような、祈るような海宝の雰囲気に、周囲は静かに見届けていた。儀式のようなものを終えた海宝は心配そうに火詠を見つめる。

「これでどうでしょうかね。気休めにしかならないかもしれませんが……」
「あ、あー……はい、確かに少しだけ楽になったような気がします」

 首の違和感が緩和されたことを確認した火詠が目を見開いた。
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