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第一章 鳥に追われる
幽霊船
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オゼ
腹一杯になったのか、マモルの瞼が重そうになってきたので、大きなソファのある娯楽室に移動することにした。
「おい、おぶってやろうか」
半目でふらふら歩くマモルが船の揺れもあいまって心配になり、声をかけた。
「オゼくん、船でおんぶは危ないから、手をつないであげたら」
「あ、はい」
食事中もずっと敬語で話していた俺をおばさんは一度も茶化したりしなかった。
この人は昔から子どもの俺にも適当に接することはなかったから昔のままだ。色々気になっていることはあるが、思春期以上の思春期が急に訪れて、言葉を発する前に十回以上頭の中で練習をするので、べらぼうに口数が少なくなっている。
特に沈黙を気にする様子もなく、細い腰でよろけもせず歩くおばさんに安心する。意味のないことをひっきりなしにしゃべる女は苦手だ。会話の無い時間に交わされる物の方が遥かに大切だ。
娯楽室に入る時はおばさんがドアを押さえていてくれた。
まずマモルをソファに横にさせる。
おばさんが部屋の隅の棚から毛布を手に取ったが、俺が上着を脱ぐのを見て、そのまま元の場所に戻した。
横になったマモルに上着をかけてやると、小さな手がその端っこをぎゅっと握った。
「子どもは好きじゃないけど、この子はかわいい。あの日スーパーで初めて会ったの。近所に住んでいたのに見たことなかったのは病気がちだったからなんだね」
おばさんがマモルの顔を見ながら静かに言った。
「そうなんです。こいつは外では遊べない子どもだったから。でも俺の家には良く遊びに来ていました。ゲームとかより、俺の話を聞くのが好きだった。今思えば、友だちのいない俺の方が話を聞いてもらってたようなものですけど」
「わたしと同じだ」
涼しい横顔のままおばさんが呟いた。少し口元に笑みが浮かんでいる。
「同じ?」
「わたしも話す人がいなかったから、オゼくんに聞いてもらって救われてた」
依存――。そんなの世間では嫌がられる関係なんだろうな。互いをよりどころにして何が悪い。
「そうだ、おばさんとマモルはどうしてあの日、二人であのスーパーにいたんですか?」
だめだ――やっぱり、名前では呼べない。
「一緒に行ったわけじゃない。あそこで会ったの。お互い殺されていることは姿を見た瞬間にわかったから、その子に近づこうとした時にオゼくんが現れて――オゼくん?」
「今、何て言ったんですか? 『殺された』?」
ほとんど揺れを感じていなかった船が大きくうねるような感覚がした。
「――オゼくんは知っていると思ってた。今更何も変わらないけど。わたしとマモルくんにとっては」
病気と事故だと思っていた。全然違う。俺にとっては。
「誰に、どうして殺されたんですか」
「それが、本当に思い出せない」
おばさんが全く調子を変えずに答えるものだから、俺の方がおかしいのかと思えてくる。
「もしかしたら、この船に乗っている誰かに殺されて、その恨みを晴らすために蘇ってしまったのかもしれない……って大丈夫? 冗談のつもりで……ごめん」
「……いや、ちょっと本気にしてしまいました。馬鹿だな、俺は」
三人とも同じ町に住んでいたからもしかしたら、と思ってしまった。
良く考えろ、俺が中学生の頃、アオチは小学生だし、オオミに至っては小学校にもあがっていない。だが、待てよ。殺すつもりなんてなくて良いんだ。
例えばマモルの飼っていた鳥がマモルの家の窓辺に居たとする。家の中で放し飼いにしていることも多かったからあり得る。たまたま窓が開いていて、通りかかったあいつらのどちらかが、鳥のかわいらしさに自分の方に呼び寄せる。それを見ていたマモルが慌てて道路に飛び出して――とか。
それとも親と入った喫茶店に、仕事の息抜きに来たおばさんがいたとする。親は友人と会話に夢中だ。そこで、暇を持て余した二人のうちどっちかが、おばさんの飲み物とか食べ物に、いたずら心で何かアレルギーになるような物を混ぜたとか。もしくはおばさんのアパートの裏のハチの巣を突いたとか。興奮したハチにアレルギーだったおばさんが刺されたというのはどうだ。……アレルギーにこだわり過ぎか。でも健康そうだったおばさんに病名が思いつかないのだ。
「あのさ、おばさん。じゃあ俺に『鳥を掴まえて』って言ったことは覚えていますか」
おばさんが迷うことなく頷く。こっちを先に聞けば良かった。
「あれはもう掴まえたんじゃないの?」
「え?」
鳥を掴まえたい、なんて思い始めたのはここ数日のことだし、マモルとおばさんに『鳥を掴まえて』と言われたこともそれまで忘れていた。
「ああ、気にしないで。何となくもう掴まえたのかと思ってた。でもまだなら掴まえないといけない。オゼくんが思っている通り、群れで飛んでいるあの鳥の一羽を」
「何のために」
おばさんが黙ってしまったが、何か考えているようだ。
「鳥を掴まえ損ねると、燃料にもなれずに潰されるの」
「海で燃える心臓のことですか……潰されるとは?」
そっちは初めて聞いたが、圧迫されて破裂する心臓を思い浮かべて動悸がした。
「たぶんオゼくんが想像している通り」
「おばさんとマモルは鳥を掴まえられたのですか?」
「本当は死ぬ前に掴まえなければならないんだけど、わたし達は失敗してしまった。鳥を掴まえることが大事なことだと知らなかったから。だからオゼくんには掴まえて欲しい。わたし達がここに居られるのはまだ誰かの心にいるから」
誰かって、いや、それは俺だ。まあ、そんなことは良い。
今、どうしても鳥を掴まえたい、そんなに焦燥にかられるということは……
「俺ってもう少しで死ぬんでしょうか」
おばさんが柔らかく笑った。懐かしい笑顔だった。
「みんな死ぬでしょ、いずれ」
もっと詳細を聞きたくて前のめりになった時、船が何かにぶつかったような強い衝撃を感じた。
腹一杯になったのか、マモルの瞼が重そうになってきたので、大きなソファのある娯楽室に移動することにした。
「おい、おぶってやろうか」
半目でふらふら歩くマモルが船の揺れもあいまって心配になり、声をかけた。
「オゼくん、船でおんぶは危ないから、手をつないであげたら」
「あ、はい」
食事中もずっと敬語で話していた俺をおばさんは一度も茶化したりしなかった。
この人は昔から子どもの俺にも適当に接することはなかったから昔のままだ。色々気になっていることはあるが、思春期以上の思春期が急に訪れて、言葉を発する前に十回以上頭の中で練習をするので、べらぼうに口数が少なくなっている。
特に沈黙を気にする様子もなく、細い腰でよろけもせず歩くおばさんに安心する。意味のないことをひっきりなしにしゃべる女は苦手だ。会話の無い時間に交わされる物の方が遥かに大切だ。
娯楽室に入る時はおばさんがドアを押さえていてくれた。
まずマモルをソファに横にさせる。
おばさんが部屋の隅の棚から毛布を手に取ったが、俺が上着を脱ぐのを見て、そのまま元の場所に戻した。
横になったマモルに上着をかけてやると、小さな手がその端っこをぎゅっと握った。
「子どもは好きじゃないけど、この子はかわいい。あの日スーパーで初めて会ったの。近所に住んでいたのに見たことなかったのは病気がちだったからなんだね」
おばさんがマモルの顔を見ながら静かに言った。
「そうなんです。こいつは外では遊べない子どもだったから。でも俺の家には良く遊びに来ていました。ゲームとかより、俺の話を聞くのが好きだった。今思えば、友だちのいない俺の方が話を聞いてもらってたようなものですけど」
「わたしと同じだ」
涼しい横顔のままおばさんが呟いた。少し口元に笑みが浮かんでいる。
「同じ?」
「わたしも話す人がいなかったから、オゼくんに聞いてもらって救われてた」
依存――。そんなの世間では嫌がられる関係なんだろうな。互いをよりどころにして何が悪い。
「そうだ、おばさんとマモルはどうしてあの日、二人であのスーパーにいたんですか?」
だめだ――やっぱり、名前では呼べない。
「一緒に行ったわけじゃない。あそこで会ったの。お互い殺されていることは姿を見た瞬間にわかったから、その子に近づこうとした時にオゼくんが現れて――オゼくん?」
「今、何て言ったんですか? 『殺された』?」
ほとんど揺れを感じていなかった船が大きくうねるような感覚がした。
「――オゼくんは知っていると思ってた。今更何も変わらないけど。わたしとマモルくんにとっては」
病気と事故だと思っていた。全然違う。俺にとっては。
「誰に、どうして殺されたんですか」
「それが、本当に思い出せない」
おばさんが全く調子を変えずに答えるものだから、俺の方がおかしいのかと思えてくる。
「もしかしたら、この船に乗っている誰かに殺されて、その恨みを晴らすために蘇ってしまったのかもしれない……って大丈夫? 冗談のつもりで……ごめん」
「……いや、ちょっと本気にしてしまいました。馬鹿だな、俺は」
三人とも同じ町に住んでいたからもしかしたら、と思ってしまった。
良く考えろ、俺が中学生の頃、アオチは小学生だし、オオミに至っては小学校にもあがっていない。だが、待てよ。殺すつもりなんてなくて良いんだ。
例えばマモルの飼っていた鳥がマモルの家の窓辺に居たとする。家の中で放し飼いにしていることも多かったからあり得る。たまたま窓が開いていて、通りかかったあいつらのどちらかが、鳥のかわいらしさに自分の方に呼び寄せる。それを見ていたマモルが慌てて道路に飛び出して――とか。
それとも親と入った喫茶店に、仕事の息抜きに来たおばさんがいたとする。親は友人と会話に夢中だ。そこで、暇を持て余した二人のうちどっちかが、おばさんの飲み物とか食べ物に、いたずら心で何かアレルギーになるような物を混ぜたとか。もしくはおばさんのアパートの裏のハチの巣を突いたとか。興奮したハチにアレルギーだったおばさんが刺されたというのはどうだ。……アレルギーにこだわり過ぎか。でも健康そうだったおばさんに病名が思いつかないのだ。
「あのさ、おばさん。じゃあ俺に『鳥を掴まえて』って言ったことは覚えていますか」
おばさんが迷うことなく頷く。こっちを先に聞けば良かった。
「あれはもう掴まえたんじゃないの?」
「え?」
鳥を掴まえたい、なんて思い始めたのはここ数日のことだし、マモルとおばさんに『鳥を掴まえて』と言われたこともそれまで忘れていた。
「ああ、気にしないで。何となくもう掴まえたのかと思ってた。でもまだなら掴まえないといけない。オゼくんが思っている通り、群れで飛んでいるあの鳥の一羽を」
「何のために」
おばさんが黙ってしまったが、何か考えているようだ。
「鳥を掴まえ損ねると、燃料にもなれずに潰されるの」
「海で燃える心臓のことですか……潰されるとは?」
そっちは初めて聞いたが、圧迫されて破裂する心臓を思い浮かべて動悸がした。
「たぶんオゼくんが想像している通り」
「おばさんとマモルは鳥を掴まえられたのですか?」
「本当は死ぬ前に掴まえなければならないんだけど、わたし達は失敗してしまった。鳥を掴まえることが大事なことだと知らなかったから。だからオゼくんには掴まえて欲しい。わたし達がここに居られるのはまだ誰かの心にいるから」
誰かって、いや、それは俺だ。まあ、そんなことは良い。
今、どうしても鳥を掴まえたい、そんなに焦燥にかられるということは……
「俺ってもう少しで死ぬんでしょうか」
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