鳥に追われる

白木

文字の大きさ
39 / 94
第二章 選別の船

わたしを刺さないナイフ

しおりを挟む
カオリ


 長い、長すぎる。死んでるんじゃないの。あの子がシャワー室に入って何十分たったろう。わたしが身だしなみに気を遣わないで済むようになってから何年も経つ。生きてるころは自分もこんなだったっけ? 

 生きてる人の事は本当に心配だ。ベッドの縁から立ち上がって、シャワー室のドアをコツコツ叩いた。

「ねえ、大丈夫?」

 水の音が止んだ。少なくとも生きてる。なら別にいい。

 静かにドアが開いて、大きな深緑色のバスタオルにくるまれた、水浸しの子が出てきた。血で彩られた横顔もきれいだったけれど、水滴の奥から覗く目もまたきれいだ。

「わかっていると思うけど、わたしはもう死んだ人だから、気にせず好きなだけお湯を浴びていて。生きているか心配になっただけ」

 甲板で波を見つめていた時から、この子は話さないどころか声一つ出さない。怖いことがあったのはわかっている。それとも、もしかしたらずっと前から話すのをやめてしまっているのかも知れない。

 透き通った薄茶色の目をそっとら逸らすと、その子はそのままゆっくり私にもたれかかって来た。

「眠たいの? ちょっと待って。あなた、結構重い」

 見た目より筋肉質な子だ。向かい合ったまま社交ダンスでも踊るような恰好でベッドに運び、横たえた。というより、最後は手を離して、落とした。

「びっしょびしょ」

 わたしのシャツブラウスにも水滴が染みる。自分でも、なんでパンツスーツでこの船に乗っているのかわからない。昨日の夕方、気がついたらここにいた。回収人と名乗る素敵なおじいさんに会って、この世界はあと少しで閉じてしまうと聞いた。「ふうん」と言う感想だった。

 一度死んでいるし、「閉じる」とか「終わる」とかにいちいち心を動かされたりはしない。一晩中、ゆっくりとおじいさんの話に耳を傾けていた。子守歌みたいな声に何度か細切れに眠りに落ちた。

 陽が登って、泣いているようにも笑っているようにも見える朝の波を一人眺めていると、てってってっと子どもの走る足音がした。

 振り返るとやけに可愛らしい顔立ちの男の子が立っていた。

 ――この子も死んでる。直ぐにそうわかった。身体の周りにわたしと同じような薄い膜がかかっているのが見えたから。

 その子に見覚えがあった。思い出すまで相当時間がかかりそう、そう思った時、男の子が小さな口を開いた。

「僕、マモルだよ。青い鳥と黄色い鳥を飼ってた」

 ああ、あの子。窓際でインコを肩に乗せているのを何度か見たことがある。外で会うのは初めてだ。

「お姉さん、『おばさん』でしょ」

 突然失礼だし、矛盾しているけど、ピンときた。

 この子、オゼくんが良く話していた、あのマモルくんか。

 思い出してきた。暗い記憶の奥に閉じ込められる直前、この子といた。

「マモルくんも呼び戻されたの?」

「うん」

 日常の一コマみたく、マモルくんは軽く頷いた。子どもらしさに反して落ち着いてる。場違いに仕事に行くような服装をしている大人の自分よりずっと。

「兄ちゃんはまだ鳥を掴まえていないんだね」

 私も丁度同じことを思っていた。

「そうみたいだね。でもまだ時間はあるから。ねえ、おばさんと船の中を探検しようか。そうだ、おじちゃんにはもう会った?」

「うん、探検する! おじちゃんには会ったよ。僕さっきまでおじちゃんのお部屋にいた」

「そう」

 マモルくんと思ったより広い船内を一つ一つじっくり見て回った。子どもは嫌いなはずだったけど、マモルくんは不思議と好きになれた。それもそうか、この子は一度死んでしまった子。

「ここは個室が並んでるね。マモルくんは一人の部屋が欲しい?」

「うんう、僕おじちゃんの部屋がいい」

「わたしも。ここは生きている人、専用の部屋かもね」

 その時、外で話し声がしたかと思うと、若くてかわいい男の子が勢い良く部屋に入って来た。

 男の子、と言ったけれど二十代前半くらいの大人だ。もしかしたらもう少し上かも。自分より十歳以上年下の子はみんなかわいらしく見えるけど、この子は顔立ちも幼かった。その顔がみるみる青くなって、眼鏡が――眼鏡の奥の目がマモルくんに釘付けになった。わたしもマモルくんを見て、初めてゾッとした。その眼鏡の子を睨むように見返す表情から、さっきまでの無邪気さが消えていたから。大人が大人を相手に値踏みをしている顔だ。

 眼鏡の子は数秒フリーズした後、慌てて今閉めたばかりのドアのノブに再び手をかけた。「待って!」無意識にその背中に向かって声が出た。

 確かめたかった。生きている人に自分がどう映っているのか。

 合わせたその目はわたし達を覚えている様子はなかった。じゃあ、この子じゃないのか。酷く怯えているその子に伝えてあげないと、そう思った。大丈夫、あなたは殺していない。

 それなのに、その子はドアを背に震えながら床に滑り落ちてしまった。そんなに怖いのかなあ、ちょっとショック。いつの間にかマモルくんも顔がふっつきそうなくらいその子に近づいていた。

「ごめんなさい」、何も悪いことをしていないのにそう連呼しながらその子は部屋を出て行ってしまった。

 その時、ドアの隙間からスーツ姿の男の人が見えた。場違いな服装にこの人も死んでいるんじゃないかと凄く気になった。

 あっと言う間に閉じてしまったドアの向こうまで追いかけて行く勇気がなく立ちすくんでいると、マモルくんがぽつりと言った。

「ごめんなさい、兄ちゃんを消そうとしてるんじゃないかと思って心配だったの」


 今朝の出来事を思い返していて、ふとベッドに寝かせた子の薄茶色の髪がまだ濡れているのが気になりだした。風邪をひく、とかよりも寝ぐせが酷いことになりそう、そっちが心配になった。

「一回起きて。髪を乾かさないと寝ぐせになる」

 かなり強めに肩を叩いたのに全然起きない。

「もう……」

 サイドテーブルを確認すると、結構わかりやすくコンセントがついていた。洗面所からドライヤーを持って来て、寝ているその子の頭に熱風を当てた。さすがに目を覚ますかと思ったのに、薄っすらとも瞼を開かない。生きている人間の方が死んでいるみたい。

とにかく気になってしかたないので、轟音は気にせず「強」にして乾かした。古いタイプのドライヤーのようで、音もすごいけど風量もすごい。びっくりするほど柔らかいくせ毛が痛まないように、距離を保って風向きを変えながら、丁寧に乾かした。

 乾いた後はしばらくその感触を指先で楽しんだ。わたしの髪質と全然違う。わたしのは真っすぐで弾力と艶がある。それはそれで気に入っていたけれど、こういうのも良いな。

 外がだんだん暗くなってきている。天気が崩れそうだ。

 この子は波を見て何を思っていたのだろう。この子のしたことは想像がつく。わたしも似たような場面に遭遇したことがあるから。

 アオチくんが――彼には私たちが見えていないのに、一方的に親しみを持っているのだけど――彼が隣の船に飛び込んで行った時は久しぶりに心が躍った。初めて見た時から感じていた生命力が、冬の太陽の下に弾けたみたいで、自然と浮かぶ笑みを隠せなかった。

 オゼくんは私たちを失っても、彼のような生気のある人と今を過ごしている。オゼくんは幸せだ。あの眼鏡のオオミくんと、三人とも助かって欲しい。

 それにしても、この子はしばらく起きないだろうな。

 マモルくんは「ウルウの服にお兄さんたちと絵を描く」と言って、娯楽室へ行ってしまった。わたしも行きたい。あのウルウとかいう子も不思議だ。あの子は身体こそ大きいけれど、最近生まれたばかりに違いない。

 だから姿もあんな風に安定していない。これからどんな風に成長するのか楽しみだけれど、それを確認する時間は残されているだろうか。

 柔らかい髪と同じ質の寝息を立てているベッドの上の子にタオルケットをかけ直し、静かに立ち上がった。

 やっぱりみんなの所へ行きたい。呼び戻された少ない時間を、この船のみんなと過ごしたい。アオチくんにわたしが見えていなくても。

 動き出したわたしの手首を温かいものが掴んだ。柔らかい髪の子、こんなに温かい手だったの。驚いてその手を掴み返す。

 鳥を掴まえられたなら――きっとこんな感触なのかも知れない。

 仰向けのままこちらを向いた大きな目がわたしを見ていた。それでも頑なに声は出さない。

「……あなたも一緒に行く?」

 小さく頷くと、今まで寝ていたとは思えない軽い動きでその子はベッドから降りた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

処理中です...