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第三章 神様のいない海
わたしの文字
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オゼ
「ここがお前の部屋か……」
探していたローヌは自分の部屋でベッドに浅く腰かけ、うなだれていた。俺たちの回収人の部屋とはずいぶん違う。
まるで牢屋じゃないか。本物の牢屋に入った事がないから、実際にこうなのかは知らないが、イメージそのままだ。
暗く硬い壁に囲まれて、飾りも、生活臭もなく、冷たい。
「迎えに来てくれたの……?」
微かに震えた声と、濡れて光っている目が悲しい。
思わず目の前に立って、力なく落としている両肩を支えてしまった。
「お前のせいじゃない。大丈夫だ」
「君は許してくれるの? 黙って見ているだけの僕を」
「おばさんの事か? あれは俺の意志だろ」
すっかり弱気のローヌの隣に座る。ベッドまで硬くて心地が悪い。こいつ、こんな調子で最後まで自分の役目を果たせるのか?
「例え……君が許してくれても、彼は――君たちの回収人は僕のふがいなさを嘆いているだろうね。彼に少しは見直してもらえるように、僕も鳥に呼びかけたんだ。アオチくんの会った鳥、使いの監視鳥だ」
ローヌの唇の色が少しだけ良くなった気がした。
昔、冬山でアオチを助けた鳥。俺も今日の午前中に見た。堂々とした、夜の海のように黒くなびく翼と、動脈血のような鮮やかな赤い目の縁が印象的なあいつは、神様の使いの一種だと聞いた。
「鳥は俺を助けてくれるかな」
「君たちの誰に心臓をあげても、彼が死なないように助けて欲しい、と僕はお願いする。無言ちゃんは君と同じで、新しい世界に行く側だから、僕は今度こそ勇気を振り絞ってウルウを助けるよ。さあ、鳥が来る前に君たちには最後の試練だ」
まったく、試練だらけの最期の一日だな。
「これから、文字が襲ってくるけど、最後だから自分の力で耐えるんだよ」
嫌がるローヌを連れて、俺たちの船に戻った。
全員が外の倉庫の前に寝そべっているのを見た時は驚いた。
こんな時に、何をリラックスしているんだ。
俺たちが梯子から甲板に降り立った音を聞いて、半身を起こしたのはオオミだけだ。回収人は寝たまま、手を振っている。
下が真っ暗闇な梯子を渡るのに勇気が必要だったのは、最初の一歩だけだった。後は落ちることなど想像から消えて、踊るように渡り切った。
「オゼさん、ローヌさん、良かった。こっちに来て、一緒に文字を見ましょう。僕たちは手を繋いでいたから霧にも負けませんでした。今度も一緒にいれば大丈夫ですよ」
チラリと意味深に俺を見て、オオミが続けた。
「オゼさんはアオチさんの隣、端っこに行ってください。ローヌさんは真ん中、回収人さんの隣です」
「ええっ」
ローヌが若い女みたいな反応をするので面白くて仕方ない。
オオミは完全に解っているな、とさっきの目線で確信した。
何も知らないのはこいつだけか、そう思いながら、仰向けに寝るアオチの横に座った。
「文字ってまさか、あれのことか?」
横になりかけた俺の隣でアオチが呟いた。斜め上の暗い空を凝視している。
「どれ?」
目を凝らして同じ方向に顔を向けるが、海よりも深い空が見えるだけだ。あれ? もしかしてあの小さい星の事か?
さっきまで星一つ無かったはずなのに、小さく金色に光るものがある。物凄く小さくて見落としていた。視力検査の一番下にある、もはや俺にとっては点にしか見えないあれみたいだ。
「あれ、字か? 何て書いてるんだ。俺も目が悪いんだよ」
オオミと違ってコンタクトだから、回収人に眼鏡呼ばわりされていないけど。
「あれが神様の文字だ。黙っていつも通りの心で見ていろ」
アオチの代わりに回収人が落ち着いた声で答えた。
みんなすっと黙り込む。この船に乗って初めて、ぷちゃんぷちゃんと優しい波の音がした。
一瞬、回収人の膝の上にいたマモルと目が合う。波の音に合わせて首を揺らしながら笑っている。良かった、あの場所なら安心だ。
再び空に目を向けると、波を伴奏に点だった光が徐々に大きくなってきている。
なるほどな、あの光が空に文字を浮かび上がらせると言うわけか。漢字か? それともちょっとした文章でも作るつもりか?
「そんな単純なものじゃないぞ。お前たちに神様の字は読めないよ」
小さかった光がはっきり認識出来るサイズになったかと思うと、今度は勢いよく動き始めた。飛ぶ星の軌跡は消えず、空に巨大な何かを意志を持って描いている。
暗い空に光の文字。
英語の筆記体を縦書きにしたようなものが五行、現れた。
回収人の言う通り知らない文字だ。あの青白く眩しい言葉はどうやって発音するんだろう。回収人たちも本当はこの言語を話すのか?
いつもは乗客に合わせてくれているだけなんだろうか。
二行目の文字がやたらに光が強い。他の文字が霞んで見えるくらいだ。
「何か、二行目、やたら眩しくないか」
思わず隣のアオチに確認する。
「ん? 二行目? 右から四行目が光って見えるよ。他のはぼんやりしてる」
どういう事だ? 人によって見え方を変えるのか? いかにも神様の使いそうな嫌らしい手だ。
「僕は、五行目ですね」
やっぱりな。他のやつらはどうだろう。回収人二人に目をやると、
「お前は二行目か。俺と同じだな。……おい、あんまりふっつくな。気持ち悪い」
「ごめんなさい。あの……僕は四行目です」
ローヌのやつ、回収人にべったりだ。確かに気持ち悪い。昼間に首を絞められていた時だって、本当は歓喜していたに違いない。
「僕は全部ピカピカに見えるよ」
「そうか、マモルは偉いな」
何が偉いのか解らないが、マモルがやることは全部褒めてやるのが俺だ。第一マモルは叱らないといけない事などしないのだから。
「わたしは一行目」
「うるん」
無言ちゃんの答えにウルウがぶんぶん頷く。こいつにも濃く見える文字があるのか。
「なあ、あれは何て書いてあるんだ。それぞれ強調されている部分がメッセージになっているんだろ?」
回収人二人に聞いてみる。
「言えねえよ。お前らショックを受けるぞ。知らない方が幸せなこともある」
……気になるじゃないか。悪口とか卑猥なことでも書いていて、とても口に出せないのだろうか。
「でも、どうせ読めないんだから、何の影響もないんじゃないか」
「ならいいんだけどな」
突然、耳鳴りがした。文字が音圧を発しているんだ。
空に浮かぶあの字、生きている。
音がどんどん強くなる。思わず耳を押さえながら少し頭を上げて、みんなの様子を確認した。
ウルウさえ、両手を耳の部分に当て、目を固く瞑っている。
回収人二人は顔に「ああ、嫌だ」と書いてあるような苦々しい表情を浮かべているが、視線をそらすことはなく、体勢も変えない。
「なあ、本当に何なんだよ、あの文字は!」
耳鳴りを振り払うように大声で言った。
回収人がどんどん光を増す二行目に照らされた彫の深い顔をこちらに向けた。
「お前と俺に目立って見えているあの二行目だが、鏡文字だ。描いてある事は俺の口からは言えないから、今、自分で読み解くか、次の世界で挑戦してみろ」
「俺のは?」
大声でアオチが尋ねてきた。こいつ聞こえてたのか。
「お前のは砂文字、風に飛ばされて消えては、また書き直されているだろ」
「じゃあ僕のは?」
そりゃあオオミも気になるよな。
「五行目は石文字。石に刻まれているわけじゃないぞ。石が空を削って書いた文字だ。そうなると無言ちゃんの一行目もわかるだろ?」
「わかるわけありません」
「水だよ。空に文字が流れ続けている」
空の素材は一体何なのかという疑問が渦巻いているが、ローヌが口を挟んできて質問するタイミングを逃した。
「僕のは炎だよ。文字が炙られ続けているから僕にさえ良く見えない。でもそういうの、ぞくぞくするだろ」
こいつはいちいち興奮するポイントが気持ち悪い。
「全部輝いて見えるマモルは本当に凄いな。これなら残りの五行も読めそうだな」
「もっとあるのか」
得意そうに頷くマモルの頭を撫でながら回収人が答えた。
マモルは耳鳴りも平気らしい。死人のせいだろうか。
「ああ、神様の文字は十種類。それを幾通りもの組み合わせで話しかけてくる。今は、ここにいる者に特に見やすい五つの文字で現れたんだろう」
「どうせ読めないのに何を伝えようって言うんだ?」
答える代わりに回収人が立ち上がった。
「お前らは起き上がるなよ。眼鏡、マモルを頼む」
「おい、どこに行くんだ?」
起きるなと言われた先から、後を追いそうになった。
「オゼくん、言う事を聞くんだ。僕も少し離れるよ」
ローヌもそう言って冷たい床から飛び起き、回収人の背中を追った。
ついに、あの文字が攻撃してくるのだろうか。
「みんな、間を詰めて、手を握っていようぜ」
アオチが俺の手を取って言った。
そうだ、思い出が映る霧だって手を繋いで凌いだんだ。
カツカツと音を立てて船首に向かう回収人たちの足元を見ていると、突然空が明るくなった。
文字が明るさを増したのか? そう思って見上げた空に、巨大な三角形が五つ並んでいた。正三角形や二等辺三角形、鈍角も鋭角も様々な三角が五行の文字の代わりに空から圧をかけている。
俺には全ての三角形が昼白色に見える。やっぱり二行目が強烈に眩しい。他のみんなは違って見えているのか?
さっきから耳元で鳴っているぎゅいんぎゅいんという音がどんどん激しくなってきた。
ひょっとして、これは耳元で神様が話している声なのか?
そう気がついた時、高い所から急降下するように血の気が引いた。
何だ? 何て言ってるんだ?
『――キテ』
ん? ノイズが酷くて聞き取れない。
『モドッテキテ!』
大音量のスピーカーの音割れのような声が聞こえて、空から顔をそむけた。
『オネガイ……モドッテキテ……』
何処に戻るんだよ! 繰り返し耳元で響く声に耐えられず、回収人に助けを求めるつもりで頭を持ち上げた。
回収人も俺を見ていた。悲しい顔をしていた。
「え……」
次の瞬間、俺から空に視線を戻した回収人の手を見て小さく声を上げてしまった。
鏡の盾? 右手から巨大な、それこそ回収人の身体を三人は覆い尽くせるほどの盾が生えていた。
空の三角が、震え始めた。鏡の盾に言葉を反射して押し返しているんだ。
その盾がどこから現れたのか、どうやって片腕で支えているのかも解らない。
空では更に驚くことが起こっていた。平面だと思っていた三角が立方体になっている。回転しながら苦しげな声を上げている。
おいおい、神様を怒らせてないよな。
急に全ての三角が鋭利な角をこちらに向けた。
――絶対怒ってるじゃないか。
「おい、みんな。固まろう!」
もう寝そべってなんていられない。飛び起きて、みんなで一つの生き物のように固く身体を寄せ合った。
これが神様の狙いだったんじゃないか? 一瞬そんな考えが
頭をよぎった。
「オゼさん、あれ!」
俺の肩に頭を乗せていたオオミが叫んだ。
空を振り返る。
――もう駄目だ。
三角が一斉にこちらに飛んで来るのが見えた。
顔を伏せたその時だ。カチンと冷たい音がした。見なくてもわかる気がした。ローヌが三角を切り裂いた情景が目に浮かんだから。
それを確認するためだけに、振り返る。
やっぱり――というべきか、ローヌが次の三角を真っ二つに切るのを見た。
掌から伸びた、銀色の剣で。
三角を切り裂く冷たい音が、瞬きをする間にあと四回鳴り、次に息をした時には、宙に浮くものは何も無かった。
「責任を取ってくださいね」
ローヌが台詞と全然釣り合っていないニコニコ顔で回収人に言った。
「僕、神様の言葉を断ち切ってしまいました。めちゃくちゃ怒っていると思うんですよ。いや、あの人は怒ったりしないか。失望しているはずです。いずれにしろ、僕はもうただではあの人の身体に戻れない。どうしてくれるんですか」
鏡の盾を手の中にしまい込んだ回収人が――しまい込む瞬間は残念ながら見逃したが、明らかにウザそうな顔でローヌを見もせず答える。
「頼んでねえだろ」
素気なくそれだけ言って、船の中に戻っていく。
「待ってくださいよ。僕たちもう、絶対離れられませんね」
スキップしそうな勢いで後を追うローヌに俺たちも続いた。
「ここがお前の部屋か……」
探していたローヌは自分の部屋でベッドに浅く腰かけ、うなだれていた。俺たちの回収人の部屋とはずいぶん違う。
まるで牢屋じゃないか。本物の牢屋に入った事がないから、実際にこうなのかは知らないが、イメージそのままだ。
暗く硬い壁に囲まれて、飾りも、生活臭もなく、冷たい。
「迎えに来てくれたの……?」
微かに震えた声と、濡れて光っている目が悲しい。
思わず目の前に立って、力なく落としている両肩を支えてしまった。
「お前のせいじゃない。大丈夫だ」
「君は許してくれるの? 黙って見ているだけの僕を」
「おばさんの事か? あれは俺の意志だろ」
すっかり弱気のローヌの隣に座る。ベッドまで硬くて心地が悪い。こいつ、こんな調子で最後まで自分の役目を果たせるのか?
「例え……君が許してくれても、彼は――君たちの回収人は僕のふがいなさを嘆いているだろうね。彼に少しは見直してもらえるように、僕も鳥に呼びかけたんだ。アオチくんの会った鳥、使いの監視鳥だ」
ローヌの唇の色が少しだけ良くなった気がした。
昔、冬山でアオチを助けた鳥。俺も今日の午前中に見た。堂々とした、夜の海のように黒くなびく翼と、動脈血のような鮮やかな赤い目の縁が印象的なあいつは、神様の使いの一種だと聞いた。
「鳥は俺を助けてくれるかな」
「君たちの誰に心臓をあげても、彼が死なないように助けて欲しい、と僕はお願いする。無言ちゃんは君と同じで、新しい世界に行く側だから、僕は今度こそ勇気を振り絞ってウルウを助けるよ。さあ、鳥が来る前に君たちには最後の試練だ」
まったく、試練だらけの最期の一日だな。
「これから、文字が襲ってくるけど、最後だから自分の力で耐えるんだよ」
嫌がるローヌを連れて、俺たちの船に戻った。
全員が外の倉庫の前に寝そべっているのを見た時は驚いた。
こんな時に、何をリラックスしているんだ。
俺たちが梯子から甲板に降り立った音を聞いて、半身を起こしたのはオオミだけだ。回収人は寝たまま、手を振っている。
下が真っ暗闇な梯子を渡るのに勇気が必要だったのは、最初の一歩だけだった。後は落ちることなど想像から消えて、踊るように渡り切った。
「オゼさん、ローヌさん、良かった。こっちに来て、一緒に文字を見ましょう。僕たちは手を繋いでいたから霧にも負けませんでした。今度も一緒にいれば大丈夫ですよ」
チラリと意味深に俺を見て、オオミが続けた。
「オゼさんはアオチさんの隣、端っこに行ってください。ローヌさんは真ん中、回収人さんの隣です」
「ええっ」
ローヌが若い女みたいな反応をするので面白くて仕方ない。
オオミは完全に解っているな、とさっきの目線で確信した。
何も知らないのはこいつだけか、そう思いながら、仰向けに寝るアオチの横に座った。
「文字ってまさか、あれのことか?」
横になりかけた俺の隣でアオチが呟いた。斜め上の暗い空を凝視している。
「どれ?」
目を凝らして同じ方向に顔を向けるが、海よりも深い空が見えるだけだ。あれ? もしかしてあの小さい星の事か?
さっきまで星一つ無かったはずなのに、小さく金色に光るものがある。物凄く小さくて見落としていた。視力検査の一番下にある、もはや俺にとっては点にしか見えないあれみたいだ。
「あれ、字か? 何て書いてるんだ。俺も目が悪いんだよ」
オオミと違ってコンタクトだから、回収人に眼鏡呼ばわりされていないけど。
「あれが神様の文字だ。黙っていつも通りの心で見ていろ」
アオチの代わりに回収人が落ち着いた声で答えた。
みんなすっと黙り込む。この船に乗って初めて、ぷちゃんぷちゃんと優しい波の音がした。
一瞬、回収人の膝の上にいたマモルと目が合う。波の音に合わせて首を揺らしながら笑っている。良かった、あの場所なら安心だ。
再び空に目を向けると、波を伴奏に点だった光が徐々に大きくなってきている。
なるほどな、あの光が空に文字を浮かび上がらせると言うわけか。漢字か? それともちょっとした文章でも作るつもりか?
「そんな単純なものじゃないぞ。お前たちに神様の字は読めないよ」
小さかった光がはっきり認識出来るサイズになったかと思うと、今度は勢いよく動き始めた。飛ぶ星の軌跡は消えず、空に巨大な何かを意志を持って描いている。
暗い空に光の文字。
英語の筆記体を縦書きにしたようなものが五行、現れた。
回収人の言う通り知らない文字だ。あの青白く眩しい言葉はどうやって発音するんだろう。回収人たちも本当はこの言語を話すのか?
いつもは乗客に合わせてくれているだけなんだろうか。
二行目の文字がやたらに光が強い。他の文字が霞んで見えるくらいだ。
「何か、二行目、やたら眩しくないか」
思わず隣のアオチに確認する。
「ん? 二行目? 右から四行目が光って見えるよ。他のはぼんやりしてる」
どういう事だ? 人によって見え方を変えるのか? いかにも神様の使いそうな嫌らしい手だ。
「僕は、五行目ですね」
やっぱりな。他のやつらはどうだろう。回収人二人に目をやると、
「お前は二行目か。俺と同じだな。……おい、あんまりふっつくな。気持ち悪い」
「ごめんなさい。あの……僕は四行目です」
ローヌのやつ、回収人にべったりだ。確かに気持ち悪い。昼間に首を絞められていた時だって、本当は歓喜していたに違いない。
「僕は全部ピカピカに見えるよ」
「そうか、マモルは偉いな」
何が偉いのか解らないが、マモルがやることは全部褒めてやるのが俺だ。第一マモルは叱らないといけない事などしないのだから。
「わたしは一行目」
「うるん」
無言ちゃんの答えにウルウがぶんぶん頷く。こいつにも濃く見える文字があるのか。
「なあ、あれは何て書いてあるんだ。それぞれ強調されている部分がメッセージになっているんだろ?」
回収人二人に聞いてみる。
「言えねえよ。お前らショックを受けるぞ。知らない方が幸せなこともある」
……気になるじゃないか。悪口とか卑猥なことでも書いていて、とても口に出せないのだろうか。
「でも、どうせ読めないんだから、何の影響もないんじゃないか」
「ならいいんだけどな」
突然、耳鳴りがした。文字が音圧を発しているんだ。
空に浮かぶあの字、生きている。
音がどんどん強くなる。思わず耳を押さえながら少し頭を上げて、みんなの様子を確認した。
ウルウさえ、両手を耳の部分に当て、目を固く瞑っている。
回収人二人は顔に「ああ、嫌だ」と書いてあるような苦々しい表情を浮かべているが、視線をそらすことはなく、体勢も変えない。
「なあ、本当に何なんだよ、あの文字は!」
耳鳴りを振り払うように大声で言った。
回収人がどんどん光を増す二行目に照らされた彫の深い顔をこちらに向けた。
「お前と俺に目立って見えているあの二行目だが、鏡文字だ。描いてある事は俺の口からは言えないから、今、自分で読み解くか、次の世界で挑戦してみろ」
「俺のは?」
大声でアオチが尋ねてきた。こいつ聞こえてたのか。
「お前のは砂文字、風に飛ばされて消えては、また書き直されているだろ」
「じゃあ僕のは?」
そりゃあオオミも気になるよな。
「五行目は石文字。石に刻まれているわけじゃないぞ。石が空を削って書いた文字だ。そうなると無言ちゃんの一行目もわかるだろ?」
「わかるわけありません」
「水だよ。空に文字が流れ続けている」
空の素材は一体何なのかという疑問が渦巻いているが、ローヌが口を挟んできて質問するタイミングを逃した。
「僕のは炎だよ。文字が炙られ続けているから僕にさえ良く見えない。でもそういうの、ぞくぞくするだろ」
こいつはいちいち興奮するポイントが気持ち悪い。
「全部輝いて見えるマモルは本当に凄いな。これなら残りの五行も読めそうだな」
「もっとあるのか」
得意そうに頷くマモルの頭を撫でながら回収人が答えた。
マモルは耳鳴りも平気らしい。死人のせいだろうか。
「ああ、神様の文字は十種類。それを幾通りもの組み合わせで話しかけてくる。今は、ここにいる者に特に見やすい五つの文字で現れたんだろう」
「どうせ読めないのに何を伝えようって言うんだ?」
答える代わりに回収人が立ち上がった。
「お前らは起き上がるなよ。眼鏡、マモルを頼む」
「おい、どこに行くんだ?」
起きるなと言われた先から、後を追いそうになった。
「オゼくん、言う事を聞くんだ。僕も少し離れるよ」
ローヌもそう言って冷たい床から飛び起き、回収人の背中を追った。
ついに、あの文字が攻撃してくるのだろうか。
「みんな、間を詰めて、手を握っていようぜ」
アオチが俺の手を取って言った。
そうだ、思い出が映る霧だって手を繋いで凌いだんだ。
カツカツと音を立てて船首に向かう回収人たちの足元を見ていると、突然空が明るくなった。
文字が明るさを増したのか? そう思って見上げた空に、巨大な三角形が五つ並んでいた。正三角形や二等辺三角形、鈍角も鋭角も様々な三角が五行の文字の代わりに空から圧をかけている。
俺には全ての三角形が昼白色に見える。やっぱり二行目が強烈に眩しい。他のみんなは違って見えているのか?
さっきから耳元で鳴っているぎゅいんぎゅいんという音がどんどん激しくなってきた。
ひょっとして、これは耳元で神様が話している声なのか?
そう気がついた時、高い所から急降下するように血の気が引いた。
何だ? 何て言ってるんだ?
『――キテ』
ん? ノイズが酷くて聞き取れない。
『モドッテキテ!』
大音量のスピーカーの音割れのような声が聞こえて、空から顔をそむけた。
『オネガイ……モドッテキテ……』
何処に戻るんだよ! 繰り返し耳元で響く声に耐えられず、回収人に助けを求めるつもりで頭を持ち上げた。
回収人も俺を見ていた。悲しい顔をしていた。
「え……」
次の瞬間、俺から空に視線を戻した回収人の手を見て小さく声を上げてしまった。
鏡の盾? 右手から巨大な、それこそ回収人の身体を三人は覆い尽くせるほどの盾が生えていた。
空の三角が、震え始めた。鏡の盾に言葉を反射して押し返しているんだ。
その盾がどこから現れたのか、どうやって片腕で支えているのかも解らない。
空では更に驚くことが起こっていた。平面だと思っていた三角が立方体になっている。回転しながら苦しげな声を上げている。
おいおい、神様を怒らせてないよな。
急に全ての三角が鋭利な角をこちらに向けた。
――絶対怒ってるじゃないか。
「おい、みんな。固まろう!」
もう寝そべってなんていられない。飛び起きて、みんなで一つの生き物のように固く身体を寄せ合った。
これが神様の狙いだったんじゃないか? 一瞬そんな考えが
頭をよぎった。
「オゼさん、あれ!」
俺の肩に頭を乗せていたオオミが叫んだ。
空を振り返る。
――もう駄目だ。
三角が一斉にこちらに飛んで来るのが見えた。
顔を伏せたその時だ。カチンと冷たい音がした。見なくてもわかる気がした。ローヌが三角を切り裂いた情景が目に浮かんだから。
それを確認するためだけに、振り返る。
やっぱり――というべきか、ローヌが次の三角を真っ二つに切るのを見た。
掌から伸びた、銀色の剣で。
三角を切り裂く冷たい音が、瞬きをする間にあと四回鳴り、次に息をした時には、宙に浮くものは何も無かった。
「責任を取ってくださいね」
ローヌが台詞と全然釣り合っていないニコニコ顔で回収人に言った。
「僕、神様の言葉を断ち切ってしまいました。めちゃくちゃ怒っていると思うんですよ。いや、あの人は怒ったりしないか。失望しているはずです。いずれにしろ、僕はもうただではあの人の身体に戻れない。どうしてくれるんですか」
鏡の盾を手の中にしまい込んだ回収人が――しまい込む瞬間は残念ながら見逃したが、明らかにウザそうな顔でローヌを見もせず答える。
「頼んでねえだろ」
素気なくそれだけ言って、船の中に戻っていく。
「待ってくださいよ。僕たちもう、絶対離れられませんね」
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