5 / 50
5
しおりを挟むこの世とは、元来不平等のものなのだ。
「汝、病めるときも健やかなるときも伴侶を愛し、守り抜くことを誓いますか」
「誓います」
大聖堂で執り行われた私とフェルナンドの挙式には多くの貴族が参席していた。
国王が私とフェルナンドの婚姻を急がせたのは、社交の場でミリアとの婚姻を願い出たディアドレに捨てられる形で私がフェルナンドと婚姻したという事実を隠すためだ。
フェルナンドが私に心酔し、いち早く婚姻を認めてほしいと願い出たために、兄よりも先に婚姻が認められたというのが国王の用意した筋書きだ。
もちろん、それを信じる者は一人もいない。
この後私とフェルナンドは王家が保有するタウンハウスに移り住むことが決まっているが、フェルナンドの身分は第二王子のままで、ディアドレの婚姻後彼の即位が決まったタイミングでフェルナンドの正式な王室離脱がなされる。
「では、誓いのキスを」
神官に指示されたフェルナンドは、細かな宝石がきらめくベールをそっと持ち上げ、私と視線を合わせた。
白い婚礼服はやはりフェルナンドによく似合っていた。ディアドレはその髪の色も相まって白よりも黒い服の方がよく似合う。異母兄弟というだけで、ここまで雰囲気が異なるものなのか。
婚姻式までの準備期間はたったの一週間であったが、その間フェルナンドからは花や宝石の贈り物が毎日届けられた。添えられたメッセージカードに、愛の言葉はないが、常に私のことを気遣う言葉が書き記されていた。
本当に、絵に描いたような善人だ。
ふと最前席に座るディアドレとミリアの姿が視界に入り、すぐにフェルナンドへと視線を戻した。
ミリアはディアドレに何かを耳打ちし、楽しそうに笑っていた。まるで、フェルナンドの犠牲などなかったかのような美しい笑みだ。
「ユゼフィーナ」
今日のフェルナンドは、間違いなく私に好意を持っているかのようなまなざしで私を見つめている。今も、彼の演技は続いているらしい。
このような場面はおそらくミリアに見せたくなかっただろうに、彼の涙ぐましい努力に触れるたび、胸が変に疼いてくる。それはもどかしさのような、痛みのような――とにかく言葉に言い表すことのできない鈍痛だ。
きっとフェルナンドは、今この瞬間にもこんなはずではなかった、と思っているはずだ。
「フェルナンド様」
どうしてミリアやディアドレの思う通りに未来が進んで、フェルナンドと私は運命に見捨てられてしまったのだろうか。ただそれが妬ましい。
神の教えでは『妬み、嫉み、誹り、そして報復は死をもたらす』と言われている。だからこそ、ここまでの人生は常に心をなくして眼前の事柄だけに目を向けていた。
――だけれど、そういう私は悪魔のような罪を犯し、それゆえにすでに死んでしまっているのだ。
そして、予定より随分と早く来世が巡ってきた。それならば今日の私も、少しくらい悪魔らしくふるまってもいいだろう。
来世では他人を振り回してでも、好きなように生きると誓っていたのだから。
フェルナンドは私の決意など知る由もなく事前に私に送ったメッセージのとおり、私の額に口づけようとこちらへ体を寄せた。その隙を狙って彼の頬へと手を伸ばし、目を見張る彼に合わせるように背伸びをする。
――フェルナンド殿下はどんなお顔をなさるのかしら?
今はただ、それが知りたいだけだ。予想外の私の動きに呆気にとられる彼の瞳を見据え、勢いのままもう一方の手を彼の肩に乗せて唇を寄せる。
「ユゼ、」
フェルナンドは驚いた顔も美しいのだ。
その桃色の唇に触れる少し前、私はぼんやりとそのようなことを考えていた。
美しい者が驚き、慌てふためく様子というのはどうにも可愛らしい。己の胸中に生まれた悪しき感情に気付いて、その歓びをすっぽりと覆い隠すように微笑みを浮かべた。挙式中フェルナンドの気遣いを反故にして彼の唇に口づけたあとの彼の表情は本当に素晴らしかった。
しばらくの間ただ呆然として、その後じわじわと頬に赤薔薇のような鮮やかな赤が現れる。彼が私の突然の行動に驚き狼狽え、そうして動揺する己に照れているのだということが一目でわかるほどの変わりようだ。
彼は実にわかりやすく狼狽え何かを言いだそうと口を開きかけたが、残念ながら周囲から鳴り響く拍手喝采を聞いて言葉を飲み込んでしまった。
「殿下は何をおっしゃるつもりだったのかしら」
できれば聞いてみたかった。
一足先に踏み入れた夫婦の寝室で一人呟き、広い寝台に腰を落ち着ける。あの後私とフェルナンドはこの国の慣例に倣って一度として言葉を交わさず、目を合わせることもなく同じ馬車に乗ってこのタウンハウスへと足を踏み入れた。
馬車に乗り降りする際にエスコートのために手を差し出すフェルナンドの動きはめずらしくぎこちないもので、すぐに彼の王宮の庭で、その手を離すよう言い放ってしまったことを思い出した。だがそれを謝罪することもできず、そして式中の行動の理由を告げることもせずに夜を迎えた。
夫婦の寝台の上には芳醇な香りを放つ薔薇が散らばっている。花弁を一つ拾い上げて鼻に寄せ、ひっそりとその香りを楽しんだ。フェルナンドも花が好きなのだろうか。自身の庭園に青薔薇を育てるほどだから、おそらく嫌いではないだろう。
「ああでもあれは、ミリア嬢のためかしら」
いつかその恋心を打ち明けるために、もしくはすでに愛おしい恋人となっていたその人の目を楽しませるために用意したものが青薔薇だったのだとしたら、彼はその花弁の一つでさえ、愛せないかもしれない。
いっそのこと、フェルナンドにもミリアの独り言を伝えておくべきだろうか。私を憐れんでいる彼ならば、私の言葉を遮ることなく最後まで聞き届けてくれるだろう。
「でも、信じてくださる確証はないわね」
己の側にいた愛おしい人を怪しむような他人など、信頼には値しない。今更人の告げ口をすることを恥と思うような良心は残っていないが、自身の発言のせいでこれから長い時間を過ごすことになる夫に精神の病を疑われるのは得策ではない。
それに、もしも万が一、あの優しいフェルナンドが私の言葉を信じたとして、彼はどのように思うだろうか。
慈しみ、自身の人生を犠牲にしてでも幸福を願うような相手に手玉に取られ、『当て馬』だの『押しに弱い』だの、わけのわからないひどいことを言われているのだと知ったら、心優しい彼はどれほど傷つくだろうか。
それに王妃となった暁には、フェルナンドを『攻略』するとも言っているのだ。聞きなれない言葉ではあるが、おそらくあれは二人の王子を誘惑して愛の奴隷にしようと考えているということだ。
この国の常識にあてはめれば到底考えられないような大胆な思考ではあるが、元来悪魔というのは法の外側に存在する生き物だ。
「聖女を悪魔だと思うなんて……、火炙りにされても仕方がないわね」
随分とどうでもいいことを考えてしまった。握りしめた花弁は萎れている。それをそっと寝台の上に落とし、右側の扉を叩く音に顔を上げた。
「ユゼフィーナ嬢、入っても……、問題ないでしょうか」
夫婦の寝室は妻と夫の私室の間に位置しており、いずれもの部屋からも入室ができる形となっている。どちらの扉にも鍵はついておらず、両者はいつでも寝室と互いの私室に侵入することができるのだ。
その扉を律儀に叩くフェルナンドの声に、無意識に笑みがこぼれた。
19
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!
高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。
7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。
だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。
成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。
そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る
【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】
次期騎士団長の秘密を知ってしまったら、迫られ捕まってしまいました
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢で貴族学院2年のルミナスは、元騎士団長だった父親を8歳の時に魔物討伐で亡くした。一家の大黒柱だった父を亡くしたことで、次期騎士団長と期待されていた兄は騎士団を辞め、12歳という若さで侯爵を継いだ。
そんな兄を支えていたルミナスは、ある日貴族学院3年、公爵令息カルロスの意外な姿を見てしまった。学院卒院後は騎士団長になる事も決まっているうえ、容姿端麗で勉学、武術も優れているまさに完璧公爵令息の彼とはあまりにも違う姿に、笑いが止まらない。
お兄様の夢だった騎士団長の座を奪ったと、一方的にカルロスを嫌っていたルミナスだが、さすがにこの秘密は墓場まで持って行こう。そう決めていたのだが、翌日カルロスに捕まり、鼻息荒く迫って来る姿にドン引きのルミナス。
挙句の果てに“ルミタン”だなんて呼ぶ始末。もうあの男に関わるのはやめよう、そう思っていたのに…
意地っ張りで素直になれない令嬢、ルミナスと、ちょっと気持ち悪いがルミナスを誰よりも愛している次期騎士団長、カルロスが幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いしますm(__)m
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
はじめまして、旦那様。離婚はいつになさいます?
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
「はじめてお目にかかります。……旦那様」
「……あぁ、君がアグリア、か」
「それで……、離縁はいつになさいます?」
領地の未来を守るため、同じく子爵家の次男で軍人のシオンと期間限定の契約婚をした貧乏貴族令嬢アグリア。
両家の顔合わせなし、婚礼なし、一切の付き合いもなし。それどころかシオン本人とすら一度も顔を合わせることなく結婚したアグリアだったが、長らく戦地へと行っていたシオンと初対面することになった。
帰ってきたその日、アグリアは約束通り離縁を申し出たのだが――。
形だけの結婚をしたはずのふたりは、愛で結ばれた本物の夫婦になれるのか。
★HOTランキング最高2位をいただきました! ありがとうございます!
※書き上げ済みなので完結保証。他サイトでも掲載中です。
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。10~15話前後の短編五編+番外編のお話です。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非!
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。 ※R7.10/13お気に入り登録700を超えておりました(泣)多大なる感謝を込めて一話お届けいたします。 *らがまふぃん活動三周年周年記念として、R7.10/30に一話お届けいたします。楽しく活動させていただき、ありがとうございます。 ※R7.12/8お気に入り登録800超えです!ありがとうございます(泣)一話書いてみましたので、ぜひ!
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる