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 この世とは、元来不平等のものなのだ。

「汝、病めるときも健やかなるときも伴侶を愛し、守り抜くことを誓いますか」
「誓います」

 大聖堂で執り行われた私とフェルナンドの挙式には多くの貴族が参席していた。

 国王が私とフェルナンドの婚姻を急がせたのは、社交の場でミリアとの婚姻を願い出たディアドレに捨てられる形で私がフェルナンドと婚姻したという事実を隠すためだ。

 フェルナンドが私に心酔し、いち早く婚姻を認めてほしいと願い出たために、兄よりも先に婚姻が認められたというのが国王の用意した筋書きだ。

 もちろん、それを信じる者は一人もいない。

 この後私とフェルナンドは王家が保有するタウンハウスに移り住むことが決まっているが、フェルナンドの身分は第二王子のままで、ディアドレの婚姻後彼の即位が決まったタイミングでフェルナンドの正式な王室離脱がなされる。

「では、誓いのキスを」

 神官に指示されたフェルナンドは、細かな宝石がきらめくベールをそっと持ち上げ、私と視線を合わせた。

 白い婚礼服はやはりフェルナンドによく似合っていた。ディアドレはその髪の色も相まって白よりも黒い服の方がよく似合う。異母兄弟というだけで、ここまで雰囲気が異なるものなのか。

 婚姻式までの準備期間はたったの一週間であったが、その間フェルナンドからは花や宝石の贈り物が毎日届けられた。添えられたメッセージカードに、愛の言葉はないが、常に私のことを気遣う言葉が書き記されていた。

 本当に、絵に描いたような善人だ。

 ふと最前席に座るディアドレとミリアの姿が視界に入り、すぐにフェルナンドへと視線を戻した。

 ミリアはディアドレに何かを耳打ちし、楽しそうに笑っていた。まるで、フェルナンドの犠牲などなかったかのような美しい笑みだ。

「ユゼフィーナ」

 今日のフェルナンドは、間違いなく私に好意を持っているかのようなまなざしで私を見つめている。今も、彼の演技は続いているらしい。

 このような場面はおそらくミリアに見せたくなかっただろうに、彼の涙ぐましい努力に触れるたび、胸が変に疼いてくる。それはもどかしさのような、痛みのような――とにかく言葉に言い表すことのできない鈍痛だ。

 きっとフェルナンドは、今この瞬間にもこんなはずではなかった、と思っているはずだ。

「フェルナンド様」

 どうしてミリアやディアドレの思う通りに未来が進んで、フェルナンドと私は運命に見捨てられてしまったのだろうか。ただそれが妬ましい。

 神の教えでは『妬み、嫉み、誹り、そして報復は死をもたらす』と言われている。だからこそ、ここまでの人生は常に心をなくして眼前の事柄だけに目を向けていた。

 ――だけれど、そういう私は悪魔のような罪を犯し、それゆえにすでに死んでしまっているのだ。

 そして、予定より随分と早く来世が巡ってきた。それならば今日の私も、少しくらい悪魔らしくふるまってもいいだろう。

 来世では他人を振り回してでも、好きなように生きると誓っていたのだから。

 フェルナンドは私の決意など知る由もなく事前に私に送ったメッセージのとおり、私の額に口づけようとこちらへ体を寄せた。その隙を狙って彼の頬へと手を伸ばし、目を見張る彼に合わせるように背伸びをする。

 ――フェルナンド殿下はどんなお顔をなさるのかしら?

 今はただ、それが知りたいだけだ。予想外の私の動きに呆気にとられる彼の瞳を見据え、勢いのままもう一方の手を彼の肩に乗せて唇を寄せる。

「ユゼ、」

 フェルナンドは驚いた顔も美しいのだ。

 その桃色の唇に触れる少し前、私はぼんやりとそのようなことを考えていた。



 美しい者が驚き、慌てふためく様子というのはどうにも可愛らしい。己の胸中に生まれた悪しき感情に気付いて、その歓びをすっぽりと覆い隠すように微笑みを浮かべた。挙式中フェルナンドの気遣いを反故にして彼の唇に口づけたあとの彼の表情は本当に素晴らしかった。

 しばらくの間ただ呆然として、その後じわじわと頬に赤薔薇のような鮮やかな赤が現れる。彼が私の突然の行動に驚き狼狽え、そうして動揺する己に照れているのだということが一目でわかるほどの変わりようだ。

 彼は実にわかりやすく狼狽え何かを言いだそうと口を開きかけたが、残念ながら周囲から鳴り響く拍手喝采を聞いて言葉を飲み込んでしまった。

「殿下は何をおっしゃるつもりだったのかしら」

 できれば聞いてみたかった。

 一足先に踏み入れた夫婦の寝室で一人呟き、広い寝台に腰を落ち着ける。あの後私とフェルナンドはこの国の慣例に倣って一度として言葉を交わさず、目を合わせることもなく同じ馬車に乗ってこのタウンハウスへと足を踏み入れた。

 馬車に乗り降りする際にエスコートのために手を差し出すフェルナンドの動きはめずらしくぎこちないもので、すぐに彼の王宮の庭で、その手を離すよう言い放ってしまったことを思い出した。だがそれを謝罪することもできず、そして式中の行動の理由を告げることもせずに夜を迎えた。

 夫婦の寝台の上には芳醇な香りを放つ薔薇が散らばっている。花弁を一つ拾い上げて鼻に寄せ、ひっそりとその香りを楽しんだ。フェルナンドも花が好きなのだろうか。自身の庭園に青薔薇を育てるほどだから、おそらく嫌いではないだろう。

「ああでもあれは、ミリア嬢のためかしら」

 いつかその恋心を打ち明けるために、もしくはすでに愛おしい恋人となっていたその人の目を楽しませるために用意したものが青薔薇だったのだとしたら、彼はその花弁の一つでさえ、愛せないかもしれない。

 いっそのこと、フェルナンドにもミリアの独り言を伝えておくべきだろうか。私を憐れんでいる彼ならば、私の言葉を遮ることなく最後まで聞き届けてくれるだろう。

「でも、信じてくださる確証はないわね」

 己の側にいた愛おしい人を怪しむような他人など、信頼には値しない。今更人の告げ口をすることを恥と思うような良心は残っていないが、自身の発言のせいでこれから長い時間を過ごすことになる夫に精神の病を疑われるのは得策ではない。

 それに、もしも万が一、あの優しいフェルナンドが私の言葉を信じたとして、彼はどのように思うだろうか。

 慈しみ、自身の人生を犠牲にしてでも幸福を願うような相手に手玉に取られ、『当て馬』だの『押しに弱い』だの、わけのわからないひどいことを言われているのだと知ったら、心優しい彼はどれほど傷つくだろうか。

 それに王妃となった暁には、フェルナンドを『攻略』するとも言っているのだ。聞きなれない言葉ではあるが、おそらくあれは二人の王子を誘惑して愛の奴隷にしようと考えているということだ。

 この国の常識にあてはめれば到底考えられないような大胆な思考ではあるが、元来悪魔というのは法の外側に存在する生き物だ。

「聖女を悪魔だと思うなんて……、火炙りにされても仕方がないわね」

 随分とどうでもいいことを考えてしまった。握りしめた花弁は萎れている。それをそっと寝台の上に落とし、右側の扉を叩く音に顔を上げた。

「ユゼフィーナ嬢、入っても……、問題ないでしょうか」

 夫婦の寝室は妻と夫の私室の間に位置しており、いずれもの部屋からも入室ができる形となっている。どちらの扉にも鍵はついておらず、両者はいつでも寝室と互いの私室に侵入することができるのだ。

 その扉を律儀に叩くフェルナンドの声に、無意識に笑みがこぼれた。
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