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おさとうふたさじ
8.
しおりを挟む「青木さん、そろそろお迎えが来る時間ですね」
「あ……、ですね」
「はい、準備して帰ってください」
先輩は社内結婚を機に、部署の配置転換で秘書課に来たと言っていた。
基本的に社内婚は認められていても、近しい部署からは外されることが多い。暗黙のルールらしいから、私と遼雅さんの関係については完全な黙秘が続けられている。
ぼうっと考え込んでいれば、専務の視線がこちらへと向けられる。いつものやさしい微笑みだった。
「佐藤さんも、今日は先に上がってください」
「何か、お手伝いできることがあるんでしたら……」
「いえいえ。たまに早く帰ってゆっくりリフレッシュするのも大切です」
「それはそうですが……」
「また明日、元気いっぱいで会社に来てください」
「……わかりました」
「気を付けて帰ってくださいね」
きらきらした笑顔で言われて、言葉に詰まったままぎこちなくうなずく。
後ろからくすくすと笑い声が鳴って、思わず先輩のほうを見つめてしまった。
「なんだか、新婚夫婦みたいですね。気を付けていってらっしゃいって見送る奥さんと、まだ一緒にいたい旦那さんみたい。あはは。配置は逆ですけど」
先輩には、本当に何度も驚かされて心臓が飛び出そうだ。
でたらめなようで鋭い先輩を見送って、専務付きの秘書室の備品を一つずつオフにしていく。
日報をあげてから、あらかた荷物を片付けて、いつもと同じように専務の役員室の扉を三度ノックした。
「はい」
「佐藤です」
「どうぞ」
重厚に見えて開きやすいドアだと思う。すこし力を入れるだけでデスクに向き合っている人と目が合ってしまった。
眼鏡は、仕事をしている時だけかけていると聞いた。
シルバーのフレームは橘遼雅の印象をアンニュイかつ理知的なムードに変えてしまっている。
じっとこちらを見つめる人に首をかしげながら、後ろでドアがぱたりと閉じる音を聞いた。
次にはふわ、ととろけそうに微笑む瞳に囚われてしまう。
「専務、」
「――こっちおいで」
二人になると、急にスイッチが入ってしまうのだろうか。困って見つめていれば、首を傾げた人がもう一度声をあげた。
「柚葉さん、こっち、来てくれませんか」
こんなにもやさしい声で提案されて、断れる人なんているのだろうか。
いつも困ってしまう。
おそるおそる近づいて、片手で眼鏡を外した人の前に立った。
椅子に座っている専務――遼雅さんは上目遣いがセクシーで、見ているだけでも眩暈がしてしまいそうだ。
「……抱きしめても?」
あまくて胸に痺れる。
声を失っていたら、右手が腰の裏に回ってやんわりと優しい力で抱き寄せられた。
熱はいつもと同じくやさしくて、今朝に抱きしめられた時と変わらない匂いに包まれる。意思とは真逆に、くたりと力が抜けてしまった。
「よい、しょっと」
「わ、」
くるりと体を回して、遼雅さんの脚の間にすっぽりと体を置かれてしまった。後ろから抱きしめてくる人が「あー、」とため息のような感嘆を漏らす声が耳に触れて、擽ったい。
「たち、」
「名前」
「……りょう、がさん」
「うん?」
突然人が入ってくるとは思えないけれど、それにしてもここは会社だ。どぎまぎしていれば、覗き込むように遼雅さんの顔が近づけられた。
「りょう、」
ちゅ、と頬にキスが落ちてくる。すこし顔を離した人が満足そうに笑って、私のお腹に回った手に力を込めた。
「柚葉」
耳に響く声に弱い。
右肩に顎を乗せて、静かに私の名前を呼んでくる。振り向く力はなくて、ただ俯いていれば、くすくすと笑う音が耳に触れた。
「一つ、弁明してもいいですか?」
「な、んですか?」
「さっきの女性」
「女性?」
「園部さん」
「はい」
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