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しおりを挟むユリウス王子からの返事は、翌日ソフィアのもとに届いた。
“親愛なる私のフィーへ”から始まる手紙には、ソフィアに会えない日々の耐え難い退屈さが書き連ねられている。
ユリウスは現在、王宮の中で帝王学を叩きこまれ続けているらしい。
末の王子である彼の評判は最悪だ。放蕩王子として知られており、婚約者のソフィア以外にも親しい女性を何人も侍らせている。
教育係は、ユリウスに悪知恵を吹き込むソフィアが居ぬ間に、必死に手を尽くして教育に励んでいるようだ。
“一月後は人目を気にせず、たっぷりと愛を囁き合おう”
情熱的な言葉を目視したソフィアは、ゆったりと微笑みを浮かべつつ、登城の日を心待ちにしている旨の返事を書いて送った。
ソフィアとユリウスの面会は、閉め切られた密室で行われる。未婚の男女にはあるまじき行為だが、誰一人として咎める者はいない。
数年前、節度のない二人の行いを注意した女官が王宮の地下牢に繋がれ、激しい拷問を受けた後に死に至った。
地下牢で壮絶な拷問を受けた女官は、死の淵で、気まぐれに舞い降りたソフィア・フローレンスの姿を仰ぎ見たという。
枯れた声で謝罪の言葉を尽くした女官は、美しい少女が麗しく微笑む姿を見て、安堵の表情を浮かべた。——その瞬間、女官はソフィアが稀代の悪女であることを失念していたのだ。
「いやだわ。臭い。早く処分して頂戴」
無慈悲に命を下したソフィアは、その後女官の処刑が行われたことを聞いても眉一つ動かすことなく首をかしげていたという。
「そのような命を下した記憶はありませんけれど。貴方の思い違いではなくって?」
けろりと言いきった悪女に、近衛騎士の顔色が瞬時に青ざめた。
目の前の少女は、ユリウスの婚約者であっても王族ではない。つまり、処刑の命令など、越権行為なのだ。衰弱しきった女官を前に、騎士たちは彼女の犠牲をもって悪女の排斥を目論んでいた。
「貴方、もしかして……、ご自身の判断で、王宮に仕える者に罰を下したというの? 何と恐ろしい!」
享楽に耽るユリウスとは違い、ソフィアは悪知恵の働く悪女だ。この一件でユリウスの周囲の近衛騎士は一挙に入れ替えられ、全てフローレンス家に親しい家門の者となった。
ユリウスの婚約者として権力をほしいままにしているソフィアに異議を唱える者などいない。あれば秘密裏に処理されるか、もしくは見せしめに殺されるかのどちらかだ。
ソフィアはユリウスの砂糖菓子のような笑みを思い浮かべつつ、ゆったりと紅茶を嗜む。アイスブルーの瞳に眩いブロンドヘアの彼は、まごうことなき美男子だ。だが、それだけなのだ。
ソフィアが魔術師団の魔術師となったのもユリウスの口添えがあってこそだ。さらにこの合同訓練で総司令官を拝命するに至ったのも彼の思い付きに過ぎない。
「ふふ、おかしいわね」
ユリウスに仕える者たちは、ソフィアが合同訓練に赴き、しばらく王宮に顔を出すことがなくなると知ったとき、どれほど喜んだことだろうか。面会にひと月かかるのも、おそらく何者かに邪魔立てされているに違いない。
——悪女から、放蕩王子を遠ざけようとしているのかしら。
引き裂かれる運命の己とユリウスを思うソフィアは、1人おかしな気分になりながらやおら立ち上がり、静々と歩き出した。
王宮に仕えるまっとうな者たちは、今、ソフィアをユリウスの隣に置くことの危険性を深く理解している。グラン帝国は長きに渡り、魔法使いの子孫である一つの民族のみが居住する国であった。そこにフェガルシアの民が現れ、100年の時を経て、ようやくその2つの民族が歩み寄らんとしている。
剣の扱いや力仕事を得意としない魔法使いの子孫たちにとって、高い身体能力を持った生真面目な性格の獣人たちはそう悪い友人ではない。獣人にとっても、摩訶不思議な力を行使して己の傷を治したり、明かりをつけたりすることのできる魔法使いたちの存在は非常に興味深く、その力の恩恵に預かることができるならば、拒絶する理由を持たない。
ただ、1つ、フローレンス家の悲劇というの深い禍根を理由に、歩み寄ることができずにいるのだ。
「あら、モリスさん。ごきげんよう」
「ソフィア様! 今日もお美しいですわ」
「ええ、ありがとう」
マリアはソフィアに話しかけられた瞬間、ぴくりと肩を揺らした。昨日の一件をソフィアが蒸し返すことを恐れているのだろうか。はたまた、珍しく朝のうちに顔を出したソフィアの悪巧みを恐れているのかもしれない。
ソフィアはマリアの強張った表情に努めて気づかぬふりをしながら、満面の笑みを浮かべて囁いた。
「昨晩、悍ましい事件があったようですわね」
近頃、王都は凄惨な事件が相次いでいる。
いずれも、貴族階級の若い令嬢や子息を狙った暴行事件だ。すべての者は一様の証言をしている。鈍器を持ったガタイの良い何者かが背後から襲いかかり、集団に殴られ続けた、と。
恐ろしい事件でありながら、まだ罪人が何者であるのか見当もついていない。
「……ええ。そのようですわね」
硬い表情を浮かべたマリアが、声を潜めながら言葉を発した。
王都で起こる暴力沙汰の事件は基本的に獣軍が取り締まり、治安を維持している。その暴力事件を起こすのが、大抵獣人同士であるからだ。
一方、魔法使いの子孫であるグランの子らが起こすのは魔法犯罪が多いため、こちらは魔術師団が原因を解明し、取り締まっている。
これまでに獣軍が魔法使いの子孫を捕えたり、魔術師団が獣人を捕えたりしたことは一度もない。
なぜならば、根が真面目で忠誠心の強い獣人たちは、これまで、先王の愚行を真摯に受け止め、一度として魔法使いの子孫たちに牙を剥いたことがなく、反対に、ソフィアのような差別意識の強い魔術師たちは、暗黙の了解として目を瞑られているため、捕らえられることがないからだ。
獣人たちは、フローレンス家を筆頭に彼らを嫌う者たちからどれほど激しい差別を受けようと、無言でそれを受け止め、今日まで歩んできた。
「わたくし、どうしていまだに悍ましい罪人が野放しにされているのか、不思議でたまりませんの」
しかし、ここへ来て、明らかに獣人の犯行と思しき事件が頻発している。それも、フローレンス家のような、獣人差別を繰り返す家門の者ばかりが狙われる事件だ。
ソフィアの冷ややかな声を聞いたマリアが、一瞬息を呑んだ。
秘密裏に獣軍と親交を深めているマリアは、その事件の捜査にも陰ながら尽力していることだろう。獣人の鼻を使っても捕らえることのできない相手だ。
一刻も早い真相究明のために走り回る獣軍の者たちが、合同訓練を通じて知り合った魔術師団員に相談を持ち掛けていても不思議はない。
もちろん、ソフィアにそのような声がかかることはないのだが。
「もしかして、どなたかが罪人を故意に——」
「フローレンス総司令官殿」
ソフィアが巧みにマリアを誘導せんと口を開きかけた時、背後から腹に響くような低音が発せられた。
——何てタイミングの悪い人なの。
ソフィアは内心悪態をつきつつ、あからさまに肩を上ずらせ、わかりやすく眉を顰めた。
この時間は、件の事件が起こった場を見回っているものと踏んでいたが、どうやら今日の彼は、まだ獣軍基地に居るらしい。
「そのようなことを考える騎士はいません」
簡潔な言葉だ。
ソフィアが何を言わんとしていたのか、彼には正しく察せられているらしい。
マリアとのやりとりをすっかり聞かれていたことを理解したソフィアは、次の手を思い浮かべつつ、さも不快そうにため息を吐いた。
ルイス・ブラッドはみだりにソフィアの周囲に現れることをしない。しかし、ソフィアがこの事件について言及するときは、必ずと言ってよいほど目の前に現れるのだ。
この男によって、ソフィアは彼女の計画を大きく狂わされている。ルイスが唯一の弱点であるという設定は、諸刃の剣だ。
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