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しおりを挟む悪趣味な晩餐会を終え、父に惜しまれながらも馬車に乗り込んだソフィアは、前の席で震え続ける二人の様子を見下ろしていた。
どう足掻こうが、救うことはできない。
ここで感情に任せて触れたところで、共倒れするだけだ。ソフィアは僅かに悩みつつ、友人のためにミルクを購入した店で買ったサブレを取り出し、魔法を使って二人の目の前に置いた。
この行いが罪滅ぼしになると思ったことは、一度もない。
「あげるわ。お腹がすいているでしょう」
じきに毒が回り、のたうち回りながら死に至る運命にあることを知らぬ二人は、ぴくりと耳を立てて目の前に置かれたサブレを見つめている。
ソフィアはこの二人がすでに、差し出されるものを無条件に食すことができない程度には恐怖心を植え付けられていることを知っている。ましてや目の前にいるのは稀代の悪女だ。
「毒なんて入っていないわよ」
ソフィアが本心から告げたところで、獣人たちは回り切った毒に苦しみのたうち回るその時、常にソフィアの目を鋭く睨みながら朽ちていく。
ソフィアが稀代の悪女と呼ばれる所以は、この日にある。彼女は己の生誕のその日、必ず二人の幼い獣人を死に至らしめる。この噂はウィリアムとショーンが面白がって積極的に広めているのだろう。
やがて、フローレンス家の馬車の中から何者かのうめき声が上がるのを聞いた王都の者たちは、いっそう悪女を恐れるようになった。
その声を、ソフィアがわざと聞かせるようにしていたとは知りもせずに。
馬車は郊外へ進んで行く。
ソフィアは予想通り、まったくサブレに手を付けようとしない二人の姿を見やって、痩せ細った狐耳の獣人の前に置かれているサブレの端を魔法の力で切り取り、己の口に運んだ。
「王都で有名なお菓子の店のものよ。食べても死なないわ」
——食べなくとも死ぬけれど。
馬鹿馬鹿しい言葉を吐きそうになったソフィアは、努めて笑みを浮かべた。
薬を打たれているはずの熊の獣人は、ソフィアがサブレを嚥下したのを見て、同じようにつばを飲み込んだ。
ソフィアが思う以上に、彼女は薬の耐性を持っていそうだ。
ソフィアは微かな希望を見出すのが無駄な悪足掻きであることを何度も学んでいたはずが、己の胸に微かな期待が宿るのを感じた。
そのとき、ただ震え続けていた狐耳の獣人が、サブレに噛みついた。一口含めば、あとは無言で齧りつき始める。その姿を見つめた少女もおそるおそるサブレに齧りつく。
今回は、助けられるだろうか。
約10年間、ソフィアは幼い命が奪われて行く瞬間を見つめ続けてきた。そのたび、兄が用いる毒の成分が何なのかを見極めようとしていた。獣軍基地で充分に1人の時間を作ることができたソフィアは、簡単な解毒作用のある回復薬なら、すでに手に入れている。
ポケットに忍ばせてきた回復薬を取り出して、わずかに警戒の色を和らげた幼い子どもたちへソフィアが声をかけようとしたその瞬間、不吉な音を立てて、馬車が動きを止めた。
「何事かしら?」
獣人に手を貸そうとしていることに勘付かれたのかと身構えたソフィアは、御者からの応答がないことに気付き、瞬時にその場に立ち上がった。
「いい子で座って居なさいね」
己を殺すだろう相手に言われたところで従いたくなるはずもないだろうが、ソフィアはそれ以上の言葉を付け足すこともなく、馬車の扉を開いた。
馬車が足止めされたのは、彼女には見覚えのない場であった。
おそらく獣軍基地へ向かう道の途中であると考えて間違いないだろう。不自然なほどに静まり返ったその場に降り立ったソフィアは、ゆったりとその足を動かし、御者台にあるはずの男が地面に倒れ込んでいるのを確認した。
すでにこと切れている。
ソフィアがそのことに気付くよりも先に、周囲から黒い影が飛び出した。
暗闇に紛れる何者かの姿かたちは、雄々しく逞しい。まるで、ここのところ、貴族たちを襲っている罪人たちの特徴にそっくりだ。
——ついにこの時が来たのね。
ただ一人笑みを浮かべたソフィアは、怯えなど見せることなくその場に佇んでいた。目視できるだけでも、10人は居るだろうか。
一斉に攻撃を受ければ、魔術師と言えど対処しきれない者がほとんどだろう。
複数の対象に同時に魔法攻撃を仕掛けるのはそう簡単なことではない。ましてや、テオドールが使うような広範囲に渡る魔法などもってのほかだ。
ソフィアもさすがにテオドールが使うような魔法を行使することはできないが、このくらいの相手であれば、造作もない。
四方から飛び掛かられるそのとき、ソフィアはふいに、ルイス・ブラッドの瞳を思い返していた。
清い光が灯る眼は、フローレンス家の食卓で見た獣人の男たちのものとはまるで違う。優劣などないが、やはり、ルイス・ブラッドはただ一人だ。あの場で散った一つひとつの命にも同じことが言える。
彼がもし仮に、フローレンス家の晩餐会に同行していたとしたら、どうなっていたのだろうか。ソフィアはくだらない想像を繰り返していた。
彼が今日ソフィアに声をかけた理由は、フローレンス家の晩餐会で起こる惨殺の噂を耳にしていたからなのか、それとも本当にソフィアの身を案じていたからなのか。
やはり、ソフィアは何度考えても、あの瞬間の彼は、己の身を案じて声をかけてきているように思えてならない。そういう男なのだ、きっと。
だから、ユリウスは、彼を選んだ。
計画は、順調に進んでいる。ソフィアはいずれ、己のもとにこの死神たちがやってくることを予測していた。なんせ、ソフィアは稀代の悪女だ。
——この場で死ぬつもりなど、毛頭ないけれど。
しかし、ソフィアが対象を凍り付かせようと攻撃魔法を詠唱しかけたそのとき、後方で、痛みに呻く何者かの鳴き声が響いた。
その瞬間、ソフィアはえも言われぬ感情に己の背筋が凍りつくのを感じた。
聞き覚えのある声ではない。ソフィアの前に現れるその者は、常に気高く、無口で、それでいてチャーミングな友人だった。決して今聞いたような痛々しい声をあげるような者ではない。
そのはずが、なぜそれが己の友人の声であるとわかったのか、ソフィアには説明ができなかった。
彼女はただ恐ろしい怒りに駆られ、ゆっくりと振り返る。
無意識に漏れ出した強烈な魔力が、彼女に襲い掛からんとしていた者たちの息を奪う。それが彼女の父が少し前に見せた物と全く変わらない悍ましき闇魔法であることにさえ気付かずに、ソフィアはただ、地面に倒れ込み、浅い呼吸を繰り返す友人の姿を見下ろしていた。
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