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しおりを挟むルイス・ブラッドは、己の使い魔が嬉々として花畑に足を踏み入れ、花の香りを嗅ぎながらうろうろと歩き回る姿をぼんやりと見つめていた。
久々に外出を許されたライは、その羽を伸ばして野花が咲く広野を走り回っている。その足を止めるのが花の周りばかりなのだからおかしい。
ライは気高い狼だ。賢く、聡く、それでいて矜持のある手懐けがたい魔獣であると言える。
そのはずが、屈強な戦士には到底似合わないような花を吟味し、極力花弁を傷つけぬようにと口に咥えている。
「ライ、手伝うか?」
仕方なく声をかけるも、ライはルイスの声を無視して歩いて行く。
ソフィアとの逢瀬が禁じられたことをかなり根に持っているらしい。我が使い魔ながらなかなかに気難しい狼だ。ルイスはあきれ顔を浮かべながらそのあとに続いて、同じくあきれ顔を浮かべて振り返ってくるライを無視する。
ユリウスとの関係を詰問したあの日、激情に駆られるまま淑女の身体を蹂躙したルイスは、壊れた人形のように動きを失くして汚れた寝台に倒れ込んだソフィアの姿を見て、言い知れぬ感情に囚われた。
あれほどまでに屈服させようと躍起になっていたはずが、一切の反応を見せず、固く瞼を閉ざして気を失うソフィアの姿を見たとき、ルイスの心にはただ一つ、喪失感だけが広がっていた。
何度思い返そうとも、たっぷりとルイスの体液を摂取したソフィアは、途中から正気を取り戻し、ただ襲い来る快楽の波に怯えるようにルイスの手から逃れようとしている。その腕を捕らえ、後ろから何度もソフィアの腹の中を暴き、すすり泣く彼女の眦を舐め啜った。
ルイス以外の男に身体を触れさせぬようにと何度も執拗にソフィアに誓わせ、ようやく満足して、その腹にどぷどぷと大量の精を放出したのだ。
白濁した体液に身体を汚されたソフィアは、とうとう気を失っていた。その顔に、笑みが浮かんでいるはずもない。
番が笑む瞬間を、ルイスはそう多く見たことがない。彼自身にかけられる表情は、そのほとんどが敵対心のあるものばかりだ。
「フィア」
囁いたところで、散々手酷く犯された淑女が目を覚ますはずもない。ソフィアが、ユリウスと身体を重ねていないと囁く声を聞いた時、ルイスは己の心に、形容しがたいぬるい炎が灯るのを感じていた。
その身体を抱きしめた時に香った匂いは、何よりも得難い優しい香りだったように思えるのだが、それを再現することは叶わない。
あれ以来、どれほど丁寧に扱おうと試みても、ソフィアは口を固く閉ざして、ルイスの言葉に応えようとしない。強姦まがいの扱いを受けたのだから当然だ。ルイスは理解していながら、もう二度とソフィアの瞳が己を見ないのではないかと想像し、酷く心をかき乱された。
この感情は何だ。番とは、これほどまでに心を狂わせるものなのか。
ルイスはこれまでの23年間の人生において、一度も感じたことのない感情にひどく戸惑っていた。
花を吟味するライの後ろで、ルイスは手近な位置にある野花の前で足を止めた。ソフィアの寝室に積まれた古書の中に挟まれていた花を思い返す。
花が好きなのだろうか。
ソフィアは着飾ることや宝石を身に着けることにそれほど執着していないように見える。悪女としての側面を知る者はソフィアがそれらのものをこよなく愛しているように思うかもしれないが、あの部屋を知るルイスは、彼女が自身を美しく見せることにはさほど興味を抱いていないことを察していた。
美しく育てられた薔薇よりも、野花を大切に保管しておくような乙女だ。ルイスはソフィアの心が掴めないことを悟るたびに、輪郭のあやふやな彼女の真実に興味をそそられる。
一輪の花を拾い上げたルイスは、無意識の行動に自嘲しつつ、捨てることもできずにその花を優しく握ってライの後ろを歩いた。
ルイスはソフィアがライに会えないことを気に病んでいるのをよく理解していた。
なぜなら、ソフィアが毎晩欠かさず温室に足を踏み入れて、帰る瞬間もしばらく周囲を見回してから、僅かに眉を下げてしまうところを何度も目撃しているからだ。
ルイスと対面するソフィアが、そのような表情を作ってくれることはない。ルイスに出会えないことを残念に思うはずがない。その事実に触れるたび、ルイスはソフィアの腕を掴んで暗所に引き込んでしまいたくなるような、抱きしめて己だけを知らしめてしまいたくなるような、はたまた、何よりも甘やかして慰めてやりたいような、おかしな感情に包まれた。
馬鹿馬鹿しい感情であることを理解しながら、ルイスはソフィアの行動を遠巻きに見つめることをやめられずにいたのだ。
相手は、決してかかわるべきではない女性だ。己の行動次第では、獣人の今後の処遇にもひびが入る。何度も理解していながら、やめることができない。
そうしてたっぷりとソフィアの姿を見つめたルイスは、時間をかけておかしな感情を振り払った後に彼女の寝所へ訪れる。
ソフィアがルイスを待ちわびるような表情を浮かべたことなどない。最近は、声すらかけられない。
ただ訳もなく抱きしめる腕だけは拒絶されることもなく、いや、それも、ルイスに無体を働かれることを恐れての行動なのかもしれないが、ルイスはその可能性を頭の中から追いやって、ソフィアが規則的な寝息を立てるまで勝手にソフィアの小さな身体を抱きしめて、瞼を開くことのない麗しい女性の顔を、夜目がきく瞳で見つめ続けている。
そのような振る舞いで、一体自分は何をしたいのか。
昼間のソフィアは、かろうじてルイスの言葉に反応を示してくる。それに密かな安堵を浮かべるルイスは、自身の心が、向かってはならない方向へ豊かになっていることを感じ取っていた。
「ライ……? まあ、来てくれたの!」
微かに明るいソプラノの声が響いて、ルイスは静かに身体を隠しつつ、その姿を見やる。
肉眼でその姿を僅かにとらえられる程度の距離に隠れるルイスは、想像通り、ライの姿を確認したソフィアが、己には見せることのない表情を浮かべているのを射抜くように見つめた。
「ふふ、またお花を摘んできてくれたのね。嬉しいわ」
ソフィアの前に花を差し出したライは、麗しい乙女が顔をほころばせてしゃがみこむのを見た瞬間、隠すこともなく尻尾を振り乱した。
これほどまでにライに好かれるソフィアが、悪しき心を持つはずもない。ルイスは再びその事実を叩きつけられつつ、その手が躊躇いなくライの身体に伸びるのを見つめている。
ソフィアがルイスの身体に触れてくる機会は多くない。むしろ、ソフィアはいまだにルイスの身体に触れることを恐れているように思える。呪いに侵された状態でなければ、関わろうともしてこないだろう。
「会いたかったわ。お元気そうでよかった。ライが来てくれないから、ミルクをたくさん腐らせてしまったの」
表情豊かに寂しさを訴えるソフィアの仕草を見やったルイスは、とうとう騒ぎ続ける胸を右手で押さえて、息を吐き下ろした。
「ふふ、どうぞ入って。ご招待するわ」
決して、ルイスがその場に招待されることはない。ソフィアの魔法にかけられた温室は、二人の姿を覆い隠している。
最近はとくに反抗的なライも、ルイスにその記憶を見せようとはしない。しかし、入り口で繰り広げられるやり取りを見るに、ソフィアはライを害するようなことはしない。むしろその逆だ。
ルイスは己の手に握られた花が萎れかけているのを見やって、静かに嘲笑した。
頭の中では、ライの頭を撫でる悪女が、少女のような満面の笑みを浮かべている姿が繰り返されている。その笑みが一度も自分には向けられていないのだと知った時、ルイスは、己の心に渦巻く欲望の行きつく先が何なのか、はっきりと察してしまった。
馬鹿馬鹿しい願望だ。
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