僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

01. 透明な子ども

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 父の足音は、廊下のカーペットをほとんど沈ませることなく通り過ぎた。
 食堂の椅子に腰を下ろしても、視線は合わない。
 窓から差し込む西陽が、父の横顔を細く縁取っていた。

「今日もお疲れさまでした、貴方」
「父上、おかえりなさいませ」
「ちちうえ、おかえりなしゃいませ」
母、妹、弟が次々に声をかけ、父もそれににこやかにこたえる。
「……おかえりなさいませ、父上」
 僕も挨拶をして口元に笑みを作った。
 ――返ってきたのは、銀器が触れ合う小さな音だけ。まるで僕の声など、最初から存在しなかったかのようだ。

 メイドが料理を運び込む。磨かれた銀皿に盛られた肉の香りが、暖炉の熱と混じって広がった。
 妹がナプキンを膝に広げながら、目を輝かせて話し始める。
「今日、先生に絵を褒められたの。『色の使い方がいい』って」
 父は顔を上げ、わずかに目を細めた。
「そうか……お前は昔から細かいところによく気がつく」
「あなたは本当に器用だもの」
 母も微笑み、穏やかに相槌を打つ。
 弟が椅子の背にもたれ、誇らしげに胸を張った。
「僕も剣の稽古で誉められたよ。『姿勢がいい』って!」
 父は笑みを浮かべ、弟の頭を撫でる。
「日々の鍛錬の成果だな」
「まあ、立派ね」
 母は柔らかな笑みを返した。

 僕はその温かな空気の輪の中にいるようで、実際には届かない場所にいた。
「兄さまは? 今日は何をしていたの?」
 無邪気な妹の問いに、感情が揺れる。
「僕は――」
「食事中にあまり兄さまを困らせないの」
 答える間もなく、母が軽く妹をたしなめた。
 僕は場の空気を壊さないよう笑顔を保ち、喉の奥で熱の気配を察する。
 身体の奥がかすかに疼き、背中に薄い汗がにじんだ。
 ――あとで薬草茶を作っておこう。苦味の強いあの茶を。

 暖かい料理から立ち上る湯気の向こうで交わされる家族の言葉を聞きながら、僕は静かにナイフを動かした。
 父の横顔。銀器の音。家族の笑い声。
 淡い西陽が差す食卓の輪の中に、僕の席だけ温度がなかった。

 ◇

 ……チリ、と冷えた夜風が頬をかすめる。瞼を開けると、そこは薄暗い宿舎の一室だった。
 伸びた足先が床を踏む。もうあの頃のように、椅子から足が浮くことはない。

 低くうなる風が外の枝を揺らしていた。薄く開けた窓から、夜の空気が冷たく滑り込んでくる。
 額に手をやると、じんわりとした熱がこもっている。胸の奥の疼きが、さっきまで見ていた夢と重なった。
 寝台から立ち上がって外套を羽織る。
 宿舎の廊下は冷えきっていて、足音がやけに響いた。

 自室のドアを静かに閉めると、――東雲千景しののめちかげ
 金属の板に刻まれたその名が、夜の灯りを淡く返した。
 夜気が裾からふくらはぎを撫でて抜けていく。
 水や氷の加護を持たぬ者は、寒さに強くはない。
 由緒ある水属性の家に生まれながら、僕だけが無属性だった。
 出来損ないだった僕は、物心ついた頃から父にも母にもこの名を呼ばれた記憶がない。

 久々に見た家族の夢を振り払うように、二、三度頭を振った。
 この時間なら宿舎の隊員たちも皆寝ていて、誰とも顔を合わせる心配はないだろう。そう思うだけで、肩の力がわずかに抜ける。

 宿舎にあるこじんまりとした共同の給湯室。
 自室から持ってきた乾燥薬草の束を取り出し、小ぶりの茶器に移す。
 香りだけで、苦味の強いブレンドだとわかる。湯を注ぐと、青い香気がふわりと立ち上った。

 給湯室と続き間になった簡易的な休憩所に設置してある席に腰を下ろし、湯気の立つ茶を両手で包み込むように持ち上げる。
 口に含むと、舌の奥にじんとした熱が広がり、喉を通るたびに胸の奥でざわめいていた魔力が落ち着いていく。
 この茶は炎症を抑える薬草を何種も混ぜたもので、幼少の頃から熱が出た時には必ず自分で用意してきた。
 深く息をつき、額に手を当て直す。魔力が荒れている。任務の後はいつもこうだ。

 僕の体質――無属性という特異な魔力は、循環の経路を持たないがために行き場を失って体内に滞留し、感情や疲労が引き金になって疼きと熱をもたらす。
 物心ついたときから常に感情を抑えてきたのは、この疼きを少しでも和らげるためでもあった。

 王国直属の第二魔法部隊『エルダーフレイム』。
 各自で発生する魔力異常への対応を担う部隊のひとつで、僕もそこに所属している。
 今回の任務は魔力が異常に濃くなっている地域での調査だった。

 人は通常、火・水・風・土・氷・雷といった自然由来の属性魔力を持っており、大地や山脈、大気にも様々な属性が溶けあっている。
 特に魔力の濃い土地には、その属性を持った精霊という存在が誕生することもある。

 水属性の家系の長男として生まれたものの、水属性はおろか、他の属性さえ持っていなかった。両親もさぞ驚き失望したことだろう。
 過去にそのような例がなかったことからも、僕は自分の体質を理解して感情制御ができるようになるまでは、とても苦労をかけたと思う。
 本来であれば、このような体質の子どもは長く生きられないはずだった。
 だが、幸か不幸か、あらゆる属性を中和できる特殊能力『魔力交歓マナ・ブレンド』を僕は持っていた。
 この特殊な能力により、無意識に自分の中に蓄積した魔力を中和し生き延びることができたのだろう。
 この能力に気づいてからは、自分の武器として意識的に使うことで、二十歳になるこの年まで自立して生きてこられた。

 湯気が徐々に薄くなっていく。
 明日からまた別の任務地での調査が始まるので、そろそろ休まなければならない。
 茶を飲み干し、空になったカップを盆ごと洗い場に運び、水でゆっくりとすすぐと、冷たさが指先から腕へと伝わっていく。
 それでも、身体にこもった熱だけはまだ完全に消えることはなかった。

***
【作者より】
 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 次話では、異動してきた上官との初めての任務と不思議な光との出会いを描きます。
 静かで孤独な日常が、少しずつ動き始めます。
***
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